持続可能な国づくりを考える会

経済・福祉・環境の相互促進関係を!

持続可能なライフスタイル? ~木の花ファミリー~

2009年02月07日 | 環境
静岡県の富士山麓に、「木の花(このはな)ファミリー」という名前のコミュニティがあります。構成員は子どもからお年寄りまで50人強、ファミリーという名の示す通り、血縁を超えたひとつの家族として暮らす理念共同体です。

今回、立教大学の学習会でお世話になりました佐野淳也准教授のご紹介を受け、「持続可能」な暮らし方を実践している木の花ファミリーに見学に行ってきました。

そこは、葛飾北斎の富嶽絵図を思い起こさせるような、美しい富士と空を望む場所でした。まるで、いつも富士山に見守られているかのようです。



ファミリーの方はそれぞれが適性に沿った役割を持ち、農業や養鶏・家事などのお仕事をされています。話し合いで民主的に、その時の状況に応じた必要な役割や作業、方向性を決定していく形式がとられています。
お話によると、税法上は皆が個人事業主として登録しており、収益は平等に分配する仕組みだそうです。

私たちを案内しお話を聞かせてくださったのは、「こうちゃん」という男性の方でした。(ここでは皆がニックネームで呼び合い、肩書や条件抜きの「1人の人間」として尊重し合っているように見られました。)
こうちゃんは、お会いした時は物静かに見えましたが、案内をしてくださっている間はずーっと喋りっぱなしのパワフルな方でした。
きっと伝えたいことが数限りなくあるのだろうということが、ひしひしと伝わってきました。



こうちゃんの飾らないお人柄と笑顔にとても親しみを感じ、私たちが抱いていた疑問を率直に尋ねることもできました。

ここを訪れる前に、私たちは漠然としたイメージを持っていました。

 ・環境に配慮するあまり、前時代的な生活スタイルなのではないか?
 ・社会動向から離れたところにいるのではないか?
 ・自分たちの幸福だけを追求している閉鎖的なコミュニティなのではないか?

それは「エコヴィレッジ」と呼ばれていることや、理念共同体ゆえに思想が純化された人たちだけが集まるという固定観念のせいだったかもしれません。
しかし、ファミリーの中身は、私たちの勝手な思い込みとは違う形のものでした。

そこは、一つの社会としてシステムが構築されています。

EDE(エコヴィレッジ・デザイン・エデュケーション)と称した、皆さんが実践して得てきたことを広く社会に提供する学びの場があるようです。
「まことの家」・「ひまわりハウス」などの療養施設・デイサービスの建物では、子どもたちも混じってケアと世代間の交流がなされています。
また、何らかの事情で心のケアが必要な方を短期で受け入れることもあるそうです。



他人のためになることを考え、自分もいきいきと生きていける方法、それを実践していった結果として今の形態になったようです。それがいつのまにか「エコヴィレッジ」と呼ばれるようになったということで、ファミリーの方は特にエコヴィレッジを目指して始めたわけではないということが分かりました。
確かに、そのような枠はとっくに超えているように感じました。

ここでもっとも大切にされていることは、「つながりと調和」ということだと思います。人と人とのつながり、生き物とのつながり、また、あらゆる存在・現象・時間・空間的なつながり…。すべてはつながりの中にあり、つながっているから「在る」、その存在がすべて大切なものであり、敬愛し合うことで調和が生まれている…そのことを日常的に、実感として得ていらっしゃるように見受けられました。





「人はいることが存在意義である。ただいるだけということではなくて、たとえ病気で動けなくても、その存在が他人に影響し、人はそこから学び取ることが必ずあるから。」という言葉からもそれが感じられます。

これは、私たちの会の発起人である岡野守也氏の提唱している「コスモロジー理論」と、とても似たところがあります。
(詳しくはこちらをご参照ください → http://blog.goo.ne.jp/smgrh1992/)

こうちゃんのお話(他の方とゆっくりお話をする時間がなかったのでわかりませんが)によると、
「世界は常に変わっていっている。温暖化によって地球がその姿を変え、結果として人間の生活が成り立たなくなっても、それもまた世界のあるひとつの姿であるにすぎない。原始の古代、地球上は二酸化炭素だらけで、それが酸素に変わって生命が誕生した。再び酸素がなくなって二酸化炭素だらけになっても、まったくおかしなことではない。」
という観点に立っていらっしゃるようです。

この点が、「人類と生物の持続可能な社会」づくりを模索している私たちの会の指針と、大きく違うところだと思いました。

木の花は、「来るものは拒まず、去るものは追わず」を信条としているようです。そのようにして純化されていく組織は珍しくありません。しかしながら共同体としては可能なことですが、それが国という単位だと、たとえ理念に合わなくても去っていけるわけではありません。国家レベルではどうしていったら良いのか、とても考えさせられる機会になりました。

それにしても、とても穏やかで居心地の良いところでした。それはまさに「理想郷」といった感じで、憧れの念を抱かされます。次に訪れる時は宿泊して体験してみたいと思いました。

こうちゃんさん、同行の皆様、有り難うございます。





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