ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

今日はダンスとスキー

2012年01月16日 15時31分25秒 | ペタンク爺さんの一日
今年に入って初めてのダンスサークル日で新年会となっていた、兎に角入部してひと月あまりどんなことをやるのか皆目わからないで参加していた。
一番の新参者なので少し早めに出向いていた、10時近くになりようやく今日のやることが判ってきた、新年始めのダンスパーテーとのこと、殆どの人は楽しみにしていた行事と思うが、私には皆さんとは少なくても8ヶ月のハンデーがあるので、ダンス種目の半分も覚えていない、そんなハンデー背負って仲間に溶け込むのは至難の業だ、出来れば少なくても半年くらい勉強した後であれば、まだ少しは様になっていると思っているが、覚悟して入った道なのでじっと我慢するしかない、4月になれは新会員も入ることだろうから其処までは行こうと決めている。
パーテー半ばで北沢ダンス教室から来ている若い先生達の模範演技が行われた、ダンスコンテストを目指しているなと想像しながら拝見させてもらっていた。

円山時代近くにあったポール円山の日向さんとは、私の店の釣具店の顧客でもあり近しいなかであったが、当時は私はダンスとは無縁だったが、そのころでも少し日本人離れした風貌は若い生徒に絶大な人気があったと記憶している、競技会があるとジャッチ係りをやっていた。
そのころから、もう30年以上も過ぎている、同じところでダンス教室はやっているが今は息子さんが跡を継いでいると聞いてる。

結局、今日のパーテで踊れる曲だけ何曲か踊りの輪に入った、私がリードできる所まで到達するにはしばし待たなければならない。・・・・むむむむ

白籏山の常設コースも、もうオープンしていると思っているが、一気に5キロのコースを廻ってくるにはしんどいかなと、今日八紘学園の月寒じんぎすかんクラブまで、学校の近くに車を置き雪で埋もれた畑の中のコースを辿った、今年はスノーモービルの跡が所構わずついていた。

校内なので、関係者のスノーモービルと解釈している、私も春になると中山峠のスキー場にモードルを置いて、無意根山辺りを走り回っていたことを思いだした。
今は、モービルの動きに体が付いて行かないなと想像している。

新春ダンスパーテー
模範演技

桃源郷も新年会

2012年01月15日 17時17分46秒 | ペタンク爺さんの一日
年々開かれていた自冶会の新年交礼会の参加者が減り続けていた、役員会の中では参加無料で開催しているのに如何してかなと、首を傾げていた、全部で満杯になっても100戸の市営団地の自冶会で何時も3戸ほどは空いていたが、参加者が30名に満たなくなったら新年会中止と云う話も出始めていた、これも仕方がないことだ思っていたが、今年は前年参加者より10名もの人が増えていた、私なりに考えると東日本の震災の影響もあると見ている。
私がお世話になっている市営団地は建てなおしてから20年は過ぎているが、その前は炭鉱街の長屋のような街並みが続いていた、五階建の団地に替わってからもそこそこの年代が過ぎている、多分私が旅経つまでは建て直しはないと見ている。
妻はここを桃源郷と云っていた、私もそのように思ってたので妻同様に旅立はこの家からと心に決めている。
・・・・・・それとも何処かの山の中でとも思うが、それもその時にならないとと、塞翁が馬と思うことにしている。

今日は、写真もいいが動画として一つ残しておこうと始まる前からセットしていた、所が何事も完璧に出来ることは無いものだと、今日も実感させられた。
開式時の会長の挨拶部分が失敗し抜けてしまったことだ、出来ればYouTubeにアップしようかと考えていたが、未完成なので断念し記録として保存することにした。

余興の部分のカラオケで、いつも決まって歌わなければならない立場にいるので、トップを切って北国の春を歌う、今年は女性とデュット出来る青い山脈を希望したが、用意されているカラオケセットには入っていなかった、やむを得ず18番の北国の春となった。
この部分、動画が撮れていたので見ているが、下手なのが再認識させられた。

カラオケは会長がとりを
二次会の男子メンバー




札幌ペタンク協会総会

2012年01月14日 21時10分25秒 | ペタンク爺さんの一日
協会に復帰してから、今年で2回目の総会出席になった、今年は初めてSoleilから牧原氏も参加した、彼は全国クラスでも数少ない指導審判のA級ライセンス取得者で、此れからも日本のペタンク指導審判部門のリーダーとして活躍してもらわなければならない人材で、いまからもう5~6年にもなるリーグ時代に、私の時代は終わったので彼に私の後を引き継いでもらった形になったが、何年間も夏休み頃東京で開催されていた勉強会に通っていた、無論教授は本場フランスから、その方の資格者が来日してやっていた事を思い出している。
一年遅れて学園大学の中村氏にも通うようになり、そのころ北海道では彼ら二人か資格を持っていた、今は牧原氏の方が一段上の資格保持者とハンデーが出来てしまったが、今にして思えば私が推薦してそれを彼ら二人が受けて受講してくれたことに間違っていなことを、良かったなと思うこの頃です。

今日の総会で、札幌ペタンク協会の年間大会日程が発表された、次の通りです。

2月19日 第3回道央園交流大会/ツインキャップ
4月22日 第22回北海知事杯/ツインキャップ
5月13日 桜花杯/農試公園
6月03日 第25回ねんりんぴっく札幌予選/農試公園
6月17日 レデース杯、ミスター杯/農試公園
7月08日 パリ祭記念ペタンク大会/農試公園
9月09日 第22回札幌協会会長杯/農試公園
9月23日 もみじ杯/農試公園
10月28日 第53回札幌市民体育大会/農試公園

北海道協会の総会が4月21日札幌市で開催し、24年度の競技日程が発表される。
我らSoleilのクラブ員は、学生や現役の人が多く、冬期間の練習場所として駒岡の室内ゲートボール場を利用させてもらっていかが、今年は会館取り壊しのの話から使えなくなった、やもうえず平日のツインキャップを利用している、利用できる人がリタイヤ組だけになっているのが、本当に残念だと思っている、日曜祭日でも屋根つきの練習場が喉から手が出るほど欲しいと思うことしきりなり。

工事半ばか?



年間パスポート

2012年01月13日 17時56分58秒 | ペタンク爺さんの一日
札幌の藻岩山ロープウエーがリニアルオープンして、まだひと月もたっていない、私も藻岩山愛好者のひとりとして、様々な利用をして来ている近年は橇滑りの会場として、スキー場側のゲレンデから、雪友荘ルート、南斜面側、北ノ沢側、小林峠側、それにロープウエー直下、伏見コース、旭山コースと、殆ど歩いている。
それほど、親しみやすい山と山を愛している。
一年ほどロープウエーが工事のため休業していたが、真冬のロープウエー直下の登攀はこの間に通いつめている、雪が固くなると山の何処でも歩き回れるが、夏の期間は大きな石や風と木が至る所で倒れていたり、草や笹が背丈を超す至難な山の片りんも見せる。

何年か前から、藻岩山ロープウエーの年間パスポートが有るのが判り、此れを利用するようになった、今年はロープウエー代も値上がりし大人往復1700円ほどになっている、年間パスポートも無くならないで倍近く2800円になっていた。それでも2回も上がれば元が取れてしまう金額に、藻岩山愛好者としては有り難い制度と思っている。
ただ、バックカントリーが目的の藻岩山愛好者は夏でも冬でも下から登って来て歩いて降りている、その人たちの無料の休憩所も展望台の立派な建物の中に備わっている。

市民の、愛する山、今年も益々登攀してくる市民が増えることと想像できる、新しい小屋の中には名札がずらりと並んでいる。・・・・少し狭いのが気になるが、建物の中のその他の空間を利用できるので、これでいいのかとも思う。

山頂の三角点広場を窓越しに見ながら、ほっともっとで買い込んで行った、親子丼380円を暖かい館内で戴く、少し休んだ後何時ものルートから、スタート地点に出る、雪が柔らかく苦労するが何とか無事滑り降りる。

YouTubeにアップし  hp橇世界へ貼り付ける。http://soridunka.skr.jp/

お昼は親子丼
年間パスポート


歯の残り9本也

2012年01月12日 14時51分18秒 | ペタンク爺さんの一日
8020(80歳で20本)運動と云うのがあるらしいが、私の歯の根が今現在残っているのは9本で、この本数になってから数年は経過している、理想の歯の本数には程遠いが、平均的な残歯本数には達していることになっている。
残っているといっても神経は殆どなくなっていて、何かしら治療してもたしているのが現状で、決して自慢できる歯とは言えない。
どちらかというと歯の手入れが非常に悪い青年期から壮年期までと自覚している。
今朝寝覚めと共に、奥の差し歯がポロリと落ちてしまった、この前直した同じ奥歯で一年近くもっていた、30年も通い続けいてる朝日歯科が私の指定病院でこちらの息子さんがスキーチームに入部して以来のお付き合いになっている。
評判は、上手に直す歯科と云われていているが、保険外治療もありレベルが高い歯科ですが、私には別格に扱ってもらっている感じで、いつも感謝している。
殆どが、時間指定で治療しているが今日も飛び込みで抜けた歯を持ち込み、合間を見てあっという間に治療し終わってしまった。
数えて見ると、口の中には残り9本しか歯は残っていない、その残り少ない前歯の一本が虫歯になっていると指摘される、来週すぐ終わるからと治療を迫られる、来週の金曜日の時間を約束し帰ってくる、歯を大事にせねばと歯が悪くなると思い出す。

本当は、今日あたり藻岩山行く段取りを立てていたが歯の治療で予定が変わった、今日より明日は太陽の出る時間が長いらしい、ここの所気温はマイナス5度前後を推移しているので雪質は最高と思っている。

団地の石垣工事が二日間伸びた、今日は工事場所を囲っていた網を取り外していた、夕方には終わっていると思う。
団地裏のパノラマ写真を撮る。

朝日歯科で



真冬の保存食

2012年01月11日 15時16分29秒 | ペタンク爺さんの一日
札幌市内の日中の温度は、マイナス5度を指していた、この分なら旭川は10度近くになっていると思う、其れより北の名寄は滅多に行かない所だが、息子のスキー大会を応援に行った時のことであるが、物凄く寒い所と記憶している、夜布団の中に入っても、寒さのためまんじりともしないで朝を迎えた記憶がある。

道路沿いでも樹氷が一面に、ピヤシリスキー場には大きな光柱が立ち昇っていました。
太陽光がダイヤモンドダストに反射し柱状に輝いていて、こんな現象は名寄以外あまり見たことがない。
気温マイナス20度前後にならないと現れない現象で、札幌近郊では見ることは無い。
ここの所、毎朝多かれ少なかれ雪が積もっている日が続いてる、所構わずどこでも真っ白い世界に変えている。・・・・・汚れが全部隠れてしまう。

正月も過ぎ、春に収穫し塩蔵保存していた蕗とワラビをいよいよ引っ張り出す、塩だ出しに数日かかる一緒に煮いるみがきニシンも仕入れてくる、昨日の新聞には小樽でニシンが獲れだしたとか、早や春の到来を告げているようだ。
春の山菜は、こごみと竹の子は水炊きの瓶詰にしてあるが、見事完成品になっているか空けてみなければ判らない。
暫くは、煮物にしたり、おでんの材料と食べる機会多くなると思っている。

今日は、今は週1回になったダンス教室のレッスンの日だった、もう二か月以上経過しているので迷いながらでも、何とかジルバ、マンボ、ブルースの三種は踊れるようになった。
まだまだ余裕がないので、ギコチなさを抜け切れていないが自分なりに満足している。

当団地の石垣工事の期限が昨日の10日だったが、結局出来上がっていないで今日も工事が続けられていた、真冬の土木工事は大変だ。コンクリートを打った後一晩中バーナーで温めている日が何日かあった、夏と違って仕上げの程度が悪いのではと、少し考えさせられる。
塩蔵フキ
塩蔵ワラビ
ミガキニシン


今日が工事最終日

2012年01月10日 16時49分01秒 | ペタンク爺さんの一日
我が団地の石垣の一部が壊れかけていた、すぐ隣にあった昔風のアパートがあっという間に取り壊されさら地になっていた、何が出来るかと関心持っていたが、雪が降り始める前から工事が始まっていた、そんな工事が進行している中に、当団地の石垣工事の看板が掲げられた。
隣の新築工事現場とは、数十センチの空間がない隣同士の工事か始まったのは11月の雪が積もらない季節だった、正月休みも入ってたが当団地の工事は1月10日が完成日になっていたが、今朝他の要件もあり様子をみに自冶会三役が現場視察をした、可也工事進行状態は進んでいると見たが、此れなら明るい内に終わるのだろうかと疑問を感じた、民間の業者なので今日は徹夜作業かなとも感じていた。

隣の工事現場は、車庫付き鉄筋三階建ての個人住宅で狭い場所に4軒建てているのが段々判ってきた、お役所仕事と違って土地を最大限に利用しているのが良く判る建物で、現在2戸の鉄筋の部分が出来ている、土地付きなのか3,000万前後で販売していて、我が団地の石垣の下の住宅になる、近くに人が増えることは嬉しいことだ、すぐ目の前の空地にも同じような建売条件つきの土地の売り出しが始まっている、こちらも今年中には建て始まるのではないかと想像している。

団地の雪置き場の、ベランダ外の広場も雪で一杯になりつつあり、隣の棟の広場にも雪を積み始めた、こちらまで広げてゆけば2月いっぱいは間に合うかなと思っているが、初めての事なので終わってみないと判らない。

3月に入ると、中ごろから今度は毎日雪割りをして少しでも早く雪が解ける作業が始まると思っている、バケットのリースは3月いっぱいなのでその中でのやり繰りとなる。
今朝も10センチは切れない降雪、太陽も顔をのぞかせたが昼間でもちらちら雪が舞っていた。

完成間近か

春一番はサイネリヤ

2012年01月09日 18時15分59秒 | ペタンク爺さんの一日
北海道の春は、まだまだずう~と先の事、昔なら福寿草が花屋さんの1月頃の主役で輝いて見えていた、それが何時のころから今は園芸コーナーで、華やかに飾られ出していたサイネリヤ、全く馴染みがなかった花だったがここ数年変って来たことは、出初めには可也高額な花と思っていたが、昨年あたりから花の鉢の値段が極端に安く感じられるようになってきた。

花が終わってから宿根でないので、その時限りになっている、花も新種が増えて楽しさも増しているが、私たちは小さいながら鉢でもうすぐ花が咲くという姿を見て、可愛さのあまり買ってしまうのが何時もの事で。
今日も、ホーマックに立ち寄り買い物を済ませた後、園芸コーナーで目に留まったのがサイネリヤだった、いまはすっかりなじみになっているが、いつの間にやら一鉢買い込んでいた、190円との値段の安さにも気軽さがあると思う。

新年会の第1号が、今日お昼を境にあった、五区会館、五区公園とこの界隈の町内会が連合している五区連合町内会の新年会で、来賓にはあやめ野小学校の校長と教頭が来ていた、この辺の子供たちが通ってる小学校なので繋がりのあるのは当たり前のこと、緊急時の避難場所にもなっている、校長が話していたが冬期間でも避難三日くらいのサポートが出来る準備を完了したいと、夏の間はともかく真冬に災害が発生すると二次災害の方が大きくなると云うことが再認識されている。

この週末は、わがはまなす自冶会の新年会があり此方は総務をやっているので、ただ今色々な準備を進めている、今日もビンゴゲームの景品買のお供する、妹が担当しているのでサポート役は兄貴の役になるのは自然の成り行き也。
今日の新年会の余興は、素人の手品ショーで初めての出し物だった。

新年会宴もたけなわ
手品ショーも

実質橇の講習会になってしまった

2012年01月08日 17時17分58秒 | ペタンク爺さんの一日
2012シーズンに向けて、対象は小さな子供たちにFoam橇の滑走講習会を月寒公園のそり山で開催するつもりでいた、早く言えば私の作った手作り橇を子供たちに貸出して、遊んでもらうということで、私の橇を見てこれなら少し工夫すれば、私にも作れるという子供が現れるのを期待しているのもある。
並行して、ダンボールと米の入っていたビニール袋で即席の橇をその場で作って見せ、自分で作る楽しさも知ってもらいたいと、この方の期待も寄せている。

北国育ちの人間なら、子供の頃雪山でそり遊びを経験したことのある人は大勢いると思うが、大人になって真剣に取り組む人はいないと思う、よほど子ども心が残っていないと取り組めないことだと感じているが、いまだに子供の頃のそり遊びが忘れられず取り組んでいる自分に、心の豊かさが残っている証拠と思うことにしている。

今日はペタンク仲間の本間氏を、雪山トレッキングだと連れ出した、話を聞くとバックカントリーもどきなども未経験で真冬の雪山をうろつくのも初めてとのことだった、無論予定の白籏山札幌台ルートに二人で入る、途中コンビニでお昼のおにぎりを買い込むのを忘れずに、スタート地点の駐車場から、無理やりの様にスノーシューを履いてもらいストックを突かせ、Foam橇に紐をつけ肩から引くスタイルは完璧だった。
私は、背中のFoam橇ケースに三脚、ヘルメット、ドリンク、懐におにぎりと靴は狩猟用などにも使うスノーブーツスタイルで、ダウンジャケットを着ているので私も完璧スタイル。
お蔭で、大した登攀ではないのに一汗もふた汗もかいてしまう始末、橇を滑るために登らなければならない。
お昼は、東家でとる昼から足跡のない斜面に挑戦するが、暖気で雪が緩み橇は滑らなかった。

雪山は、一日一日違う顔を見せる、自然は厳しいところもあるので油断は出来ない。
何時もは一人なのに、今日は連れがあり楽しかった。

動画2本YouTubeにアップし橇世界で公開する。

お昼はおにぎりです






雪山は招く

2012年01月07日 18時00分47秒 | ペタンク爺さんの一日
昨日まで降った雪は、街の中の様子を一変させる、幹線道路は深夜から朝方までに除雪車が一斉に出動し道路わきに積み上げて行く、その雪の壁が高くなり歩道が道路が見えなくなってくる、時には道路は車が通れなくなることはよほどのことがない限り無いが、歩道の除雪が追い付かづ大変な状態の朝を迎えることもある。
長靴を履いて、出かけるのはいいが街の中に出てしまうと、これでは困ることもある、出かけるには靴二足が必要になることもあった。
昨日の、日中から雪は降っていないが其れまでに降った雪の始末が、これまた大変な仕事になる団地の除雪車は今日は駐車場の隅でゆっくり休んでいる、運転担当者がオイルを補充していた。
朝から時々太陽が顔をのぞかせていた、条件反射の様に山の雪の状態を想像していた、夢の中の話だがヘリコプターで山の上に運んでもらい、手作り橇でパウダースノーの中を雪煙を上げて滑り降りる。
今日の気象条件なら出来ると思った。
現実に戻り、白旗山札幌台へ向かう、このルートは札幌市内の東方地域の大きな雪捨て場があり雪を満載にしたトラックがじゅ繋ぎになっていて、私の車もその中に飲まれていた。
1月の最初の週末で、例年の様にクロスカントリースキー大会が始まっていた、白籏山の常設コースはまだオープンしていないが、タイトルのかかったスキー大会の為競技コースだけは早々と整備するのは何時もの事、真剣に走っている選手を見て元気をもらう。
札幌台ルートに入ると、スノーシューを履いた人が一人だけ山頂へ向けて歩いた足跡が残っていた、登山ルートになっているので下地が出来ているので2~3回スノーシューで跡をつけると橇コースに変身する、そのあとを使って昨日考えていた動画撮りを実践する。

もう少し、コースが固くなると安定すると次回に期待する、それでも動画二本まとめる。

今日、驚いたことがあった、ベランダにプランタンを利用し生ごみ処理をしていたところ、その中からど根性芽が顔を出しているのを発見する、もう少し大きくならないと何なのか今の所判らず仕舞い。
白籏山のスキー大会
ど根性芽?

そり山作り三日目になる

2012年01月06日 18時44分53秒 | ペタンク爺さんの一日
朝から窓の外では、除雪車が頻りと動き回っていたエンジン音を響かせながら時計を見るとまだ6時台をさしていた、こんなに早くから動いている事は、まとまった雪が降ったなとすぐ判ってくる。
寝起きそうそう今日は一日雪いじりになってしまうなと、一瞬頭をよぎった、今日は月一回の習い事の日の妹は、早々と家を出て行った、昨夜からご飯を炊いて保温しておいてあるので、後はおかずがあればご飯が食べれる状態になっていた。
妹の帰宅は5時過ぎると思うので、昼と夜のご飯支度は自前で。
と言っても、かんたんかんたん、お昼はふりかけににお湯を注ぎ乾燥かき揚げ天ぷらを浮かし、完成。
夕食は、昼からお米の買い出し米工房で道産米のおぼろづき玄米を白米に、2Kで952円也、粘りが特徴と話していた。
今の所、この米工房か、まほろばで玄米を精米して買っている、2K以上買わないので結構頻繁に米屋に通うことになっている、それに朝食はパンになってる、いつも角食一本を買っているので一週間ももてばいい方、切らさない様に上手に買っているが長いことボストンベーク294円が何年も続いている、今の所値上げの様子はない。

夕食は、ラーメンになる、即席だが二人分で398円だったこれ以上高額なものは無かった、値段から押しても美味しいと理解する、麺も数分茹でる生めんに少し期待をしながら買っていた。
野菜は、何かあるかと冷蔵庫の中を調べたが、使える野菜として玉ねぎ、キノコ、白菜しかなかった、それにハムがあったのでそれをバターでいため、それなりの醤油ラーメンが完成した。
どうも、シェフの質が星ひとつ程度なので、完成品は贔屓目に見ても星二つが限界と見た。

今朝は、10センチ以上の積雪があった、水分が含んでいて重い雪だった、朝一番の自家用車の周りの雪よけだけで30分もかかっていた、そのあと雪に覆われたそり山作りの三日目にかかった、表側の駐車場からピストン輸送でそり山の後ろに積み上げていた、午前中は一時近くまで雪山の上でスコップを振り回していた。
夕方近く、橇を持ち出しそり山の試走をする、何回か滑ってみて橇に座っているだけでルートをから外れない浅い溝も作った。
それに、コースを2本完成させる、仕上げにもう一日かかるかな。?


バケット大活躍

道産米、ラーメンライス


そり山作り二日目

2012年01月05日 18時40分02秒 | ペタンク爺さんの一日
朝から予報は当たっていた、積雪はたいした雪ではない、ただ風が付いているので体感温度が低く感じる、雪より風の今日の天気、こんな日はと15日の新年恒例階の年明け第1回役員会を始めてしまった、と言っても私のほかに会長と会計の三人だが、出来れば女性部の部長が来てくれれば万全だったが、どこかに出かけているのか留守だった、新年会の締め切りは年前で終わっていて、最終計算して見ると49名で、昨年より参加者が増加傾向にこれなら、消えてしまう事もないと少しほっとしている、トップ役員たちでした。
現在我が団地総数は97戸で推移している、空いているからと言ってすぐ入ってくることは無い、年一度か二度の公開抽選会で入居者が決まる仕組みになっていて、当選者は新聞に発表されるようになっている。
兎に角、建ってから25年にはなっていると思うが、民間マンションから見ると可也安いのは確かだ、最近新しく建った団地はそれ相応に高いらしい。
わが家の年収では、古い市営団地が分相応と思うと共に、有り難いとも思っている。

新年会の余興では、カラオケは何時もの事だが、今年はビンゴゲームをやろうということになっている、今日予算とりも出来二三日中に、婦人部の方の応援も得て準備に取り掛かることにしている。
妹も、昨年から女性部に仲間入りしているので、話はすぐまとまる。

昼から、少し吹雪いていたが昨日のそり山作りの仕上げのつもりで取り掛かった、何日も積み上げていた雪は固くてダンプでは削れなかった、スコップを交え二時間ほど掛かったと思うが、小さなそり山らしいものが出来あがった。
最後に、橇を持ち出して試走してみる、小さな子供には結構楽しく滑れるコースと太鼓判を押す。
この後、天気の良い日を見てそり山のコース開きをしようと思っている、近くにいるチッチャナ可愛い彼女を招待しコース開きのセレモニーもやりたいな~~。

そり山完成か

そり山作り初日

2012年01月04日 15時25分16秒 | ペタンク爺さんの一日
ここの所、一度に大雪が降らないのが市民生活にも大きな負担にはなっていない、少しづつだが確実に積雪が増えて行ってるのは間違いないが、まだ例年の雪の量にしてみれば多い量ではない、我が団地の駐車場を中心に除雪作業を自前でしているが、バケットの幅1.6mの極めて小型の小回りの利く駆動車で玄関先から車道出入り口まで、今までにない活躍をして、その上排雪の仕事もこなし、何時もはトラックで指定の雪捨て場に投げに行っていた、その費用も大きな負担になっていた、今年はバケットで団地裏の小公園に積み上げていった。

ベランダのすぐ外の目の前の雪山が、だんだん大きくなるのを毎日眺めていた、高さは限界がありそれ以上高くはならないが横に広がっている感じだった。
この感じなら大雪が2~3回続けばここだけでおさまらず隣の棟の広場にまで広がってゆくと思っているが、出入り口が狭いので、しんどい作業になると思っているが、トラックを頼んで排雪するつもりをすれば、費用の面からも自前で処理するべきと思っている。

始めの頃積み上げた雪山の方は、もう安定しているので前から考えていたソリ山作りを始めた、結構体力も必要なので一日では完成しない、今日はそり山作り初日となった。

雪いじりは疲れる、明日一日で完成させよう、朝から作業に取り掛かろうと思っている、出来ればスキーと橇の試走もするつもりだ、そろそろ姪っ子の可愛い女の子に橇コース開きに来て下さいと電話するつもりもりでいる。

今日四日は、ダンスレッスン事始めだった、ようやく習い始めてからひと月は過ぎていて何とか通い続けているので何とかものになるかなと、近頃少し自信らいいものが出てきた。
兎に角、物覚えの悪さは若いころから変らぬが、このところは70歳も過ぎ80歳近くになってからの手習だからと自分を慰めているところもある。
ーそり山作り
お昼は豚骨ラーメンでした






2012foam橇初滑り

2012年01月03日 19時10分15秒 | ペタンク爺さんの一日
昨夜から北海道の太平洋岸をかすめて発達した低気圧が通過中だった、朝起きて空を仰ぐと時々青空が出て太陽が顔を出すこともあったが、雲が早く曇ったかと思うと風と共に小雪が舞う石狩原野の風情を思わせる空模様だった。

ようやく体調も戻って気いいる、じっとしているわけにもわけにもいかず早朝から札幌台行を決めていた、到着後お昼にルートの中間点辺りにある東屋でお湯を沸かしてカップめんを食べようと、今回は固形燃料を持った、水まで持ってゆかねばならないので準備した橇ケースの重さを結構な重さになっていた。

10時になってから自宅を出る、携帯ラジオを持参し箱根駅伝の放送を聞きながら、バックカントリーになる、今日は白旗山距離コースもオープンしていて選手らしい人達がコースを明けぬ程度に滑っていた。

今日のスタイルは、橇ケースを背負い肩から橇の引っ張るロープをかけ、スノーシューを履き両手にストックを突き札幌台ルートに向かう。
今日の一番のメンコースでは荷物を置いて、スノーシューでコースの中を踏みつけ滑走ルートを作りながら、次々と上がって行った、東屋に着いたがまだ雪が少なく小屋の周りには雪の壁が出来ておらず、今日の吹雪のような北西の風が東屋を吹き抜けていた。
到着後、直ぐ固形燃料を取り出しお湯沸しにかかったが風で火力が奪われなかなか沸騰しなかった、30分もかかったが結局沸騰しないお湯でカップめんを作る。
すっかり冷え切っていたので今日のカップラーメンは近頃食べたこともないご馳走に感じた。

ルート途中で人に出会ったが、その人はツボ足で歩いていた登山ルートだけは歩く人が結構いるのか固くなっている。
今日の成果は動画1本だった、今度はお天気がいい日にゆっくりと来ようと思った。

HPの橇世界へアップしています。http://soridunka.skr.jp/

昼はラーメン
今日はこれでおしまい

二日かかりの初詣

2012年01月02日 16時41分51秒 | ペタンク爺さんの一日
元旦の午前中は、神社も混んでいるのは想像できていた、無論地域神社の月寒神社でもおなじことで、元旦にしては穏やかな年明けになっていた、夕方に近づきもうそろそろ初詣の人波も少なくなっていると、車で出かけたが驚いたことにまだ人波が神社の境内よりはみ出て並んでいた、この後ろに並んではせっかく温泉で暖かくなって帰ってきたのにと、並ぶことを断念する、わが家の神棚には今は空になっていると、社務所が空いているのを幸いにお札だけを戴いて帰る、無事神棚に神を迎えた。

今日も、夕方尋ねる昨日はたせなかった神社参拝に、もう少し日が陰りだしていてたが、参拝で並んでいる人はいなかった、参拝を済ませ恒例となっているおみくじを引いた、末吉だった。
帰って気が付いたが、おみくじの中に書いてあった文章を読んでいないことに気が付いた、どうもこれなら気にしている様子もない、自分に気が付く。

昼から市内に住んでいる長男が年始に現れる、今年は51歳になっている、東京にいる次男坊も48歳、兎に角私も恵まれた環境にいると実感している。

初詣の帰り、先輩の竹内稔さんを訪ねたが、お年始回りか留守だった。
竹内さんは近くにいるただ一人の、先輩の縁戚になっている。

おみくじ
お昼はおしるこ