ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

自称そば通

2012年01月27日 15時06分44秒 | ペタンク爺さんの一日
お米の代わりの主食として、昔からうどんそばが東西の横綱で西は讃岐のうどん、東は信州のそばがお決まりだった。
途中から支那蕎麦(ラーメン)とイタリアン(スパゲテー)が関脇や大関に上がってきたのではないかと思う、麺文化。日本の場合は、お米が採れない土地が麺文化になっている、人間は環境に順応しながら世代を交代しながら生き続けている、現在の食文化は自給自足の生活ではない、日本では有り余るような食品を自国ばかりでなく、外国からも買い入れて食べている、これでいいのかと時には考えさせられることもあるか、そんなことはすぐ忘れてしまっている。

大戦が終わったころは、小学校の5年生だった国からの配給もなく、それでいて日本の国民は自給自足でその日その日の食料を確保し家族の食生活を続けて行かねばならない時代だった、わが家では町はずれの山の一部を買って畑を始めていた、家族全員で鍬やスコップで耕して、主にごしょいもを植えていたことを覚えている、その他の食物にトーモロコシを植えていて、まるっきり出来は良くなかったが、本当に美味しく食べた記憶がある。
傾斜のある畑で、何と言ってもごしょいもの収穫が結構ありお米の代わりの主食になっていたと記憶している、家はその頃釣り具の卸商を再開しお金だけは有ったのか、闇でお米を買っていたのも覚えている、どこかのおばさんが近郊の農家から、お金か品物の物々交換で仕入れ、買ってくれる家々に売っていた時代で、需要と供給で経済が成り立っていた、お金より物が上位に位置していた時代だった。
その頃、小麦粉が手に入るとうどんを作って食べさせてくれていた、無論自分たちで作るのだが良く足で踏む所を手伝わされていた、そば粉は滅多に手に入らず、蕎麦にまでならず蕎麦練を食べた記憶がある。

今は、飽食時代それに年齢が高くなり胃袋も小さくなってきている、少量で満腹になってしまう、お昼までご飯にしてしまうと過食になると、うどんと、そばが必然的に多くなる、普段は冷凍うどんが一番多い、家ではそばは殆ど作らない、それゆえ外食の昼は蕎麦が多くなる、自称そば通はもりかかけが主流で、そばの味を楽しんでいる。

最近、安くて美味しい蕎麦屋を発見、白石南郷の信州庵のもり399円が、安くて旨い札幌一かと思っている。

今日から9月オープンのカーリングを目指しトレーニング開始、ストーン20キロ振り回せるか?
ひと足早い春