GREAT LOVE KINGDOM

山を楽しむために生きる。

30 DAYS IN THE HOLE

2006年05月22日 03時35分32秒 | MUSEBERRY
4・22から一ヶ月。

本日、レコーディングをします。

『THE NAME OF THE ROSES』
『SENTIMENTAL REASON』
『LOVE APPLE』
『OUR FORTUNE』
『LIQUID MORNING』

4・22のライヴにイメージしたものを忠実に再現出来るように頑張って参ります。
明日の深夜、御報告させて頂きます。
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困った人たち

2006年05月22日 03時15分17秒 | 介護のお仕事
ボクの勤めるホームに嫌な雰囲気が流れ出した。

うちの事業所(ホーム)は駅から近いこともあり職員の数は潤っている。
職員の数が多いので他の事業所にヘルプに行かされることも多い。
職員の足りないホームは本当に深刻だったりする。
職員がまとめて4~5人辞めてしまうので一気に窮地に立たされる。
何故、まとめて4~5人辞めてしまうのか?

それは傲慢な職員がいるからである。
兎に角、人の意見を聞かないのである。
大抵、そのような職員は入居者に対しても厳しい。
全部が自分の想い通りならないと気が済まない。やりたい放題である。

ヘルプ先の事業所に行くと、まず耳にするのが『愚痴』。
“傲慢職員”はある種のオーラを放っているので、一目で分かってしまったりする。

うちのホームにもそんな職員が出てきてしまった。
フロア長不在の3F。キャリアの長い中年女性だ。
(彼女のせいで来なくなってしまった職員も出てきてしまった。)
先日、全体会議があった。その席でも、彼女(と、その取り巻き)の意見は絶対で、誰も割り入ることが出来なかった。

ホーム長曰く(来月から神奈川に異動になるが、今まで通り“ホーム長”を兼任。)
『・・・こうなってしまうと、他のフロアに異動しかないわね。1Fに降ろしても良いかしら?』

『おう。良いですよ。』と一つ返事のボク。

気に入らない入居者に薬を盛るような非道な奴を放っておいて良いのか?!
介護の仕事をしておきながら、『排泄ケアは汚いから嫌だ。』なんて言い放つ奴に良いケアが出来るのか?!
(彼女は根本的に“入居者は汚い。”と思っているし、公言している。)


折角、やる気のある職員がいても、こんな“困ったちゃん”のせいで辞められては、こっちが“困ったちゃん”になってしまう。はぁ。頑張ろう。

こういった状況を知りつつ放置する本社、人事に問題があるのは言うまでも無いが。

※写真は我が家の“困ったちゃん”。
(最近、『幼稚園には行きたくないのー!!』とダダをこねております。)
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『夢よ叶え』(CL決勝を目前にして。)

2006年05月17日 23時55分46秒 | LOVE FOOTBALL
CL決勝-バルセロナ VS アーセナル
を直前に控え、新しいカテゴリーを作ってしまいました。




2003年6月17日-ベッカム、レアル・マドリードへ移籍・・・
余りにショックな出来事でした。

ジョージ・ベスト、エリック・カントナから引き継がれる【7】は誰のもとに?
結局はポルトガルの新星、クリスティアーノ・ロナウドが引き継ぐことになるのだが、それまでには色々な憶測が飛び交った。
(一時、ダレン・フレッチャーが付けるって報道もありました。)

最有力候補だったのがパリ・サンジェルマンのロナウジーニョ。
そう、今やベッカムから“サッカー界の主役の座”を完全に奪ったR10だ。

当時はクラブ・チーム、本人もマンチェスター・ユナイテッドへの移籍を容認。
サインまで秒読みと報道されていた。
にわかファンのボクは『ベッカムの後釜にしてはちょっと物足りないけど・・・』なんて思っていた。

が、しかし。直前になってロナウジーニョはマンUとの契約を保留。
スペインに飛んでしまった。そして、バルセロナへ電撃移籍!



そもそも、バルセロナはベッカムをターゲットにしていた。
確か、バルサの会長は“ベッカムをバルセロナに連れてくる!”を公約に選挙に出ていた。
しかし、ベッカムはレアル・マドリードに移籍。
そこで、バルサのターゲットはロナウジーニョに変更される。

皮肉なものである。
ベッカムを放出したマンUは本命のロナウジーニョを獲得出来ず、
本命のベッカムを獲り逃がしたバルサがロナウジーニョを獲得する。

『もしあの時、ロナウジーニョがマンUに移籍していたら・・・』
なんて考えるのは野暮なことだけど、いまのロナウジーニョを見ていると
彼にとってバルサ以上のチームはないのでは?と思う訳です。

去年のCL決勝は強烈だった。
スミチェルのゴールと、最後のPKを外したシェフチェンコの姿が脳裏に刻まれている。

今年はどんな結末が待っているのだろう?






『夢よ叶え』-最後のファンタジーが見られることを祈ります。
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(9)FORTY DEUCE/NOTHING TO LOSE ☆☆★★★

2006年05月16日 13時05分06秒 | 私的名盤

ネオ・クラシカル、フュージョン、ジャズ、ブルーズ、ファンク、ソウル、ハード・ロックとキャリアを通して様々なジャンルを網羅して来たリッチーだが、ここまで純粋にハード・ロックに陶酔したのは初めてではないか。

L.A.を拠点に活動するハード・ロックバンド『BOMB CHILD』。
~TAKA(G.&Vo.)、ARI(B.)、THR3E(Dr.)~

ジミ・ヘンドリックスに憧れ、14歳の時に渡米したという京都生まれのTAKA率いる『BOMB CHILD』。彼らのライヴに感激したリッチーが楽屋を訪れたことをきっかけにコラボレーションへと発展し『FORTY DEUCE』が結成される。

このバンドの結成がアナウンスされた時、『どうせリッチーのバック・バンドなんだろ?』と即座に思ったが、アルバムを聴いた瞬間・・・“違う”ことはすぐに分かった。

兎に角、楽曲やギター・プレイに“リッチーらしさ”は殆ど感じられない。
全編に渡ってメランコリックなムードが漂い、憂いに満ちた楽曲の数々をシンガー=リッチー・コッツェンが極上の作品に歌い上げている。

おそらく楽曲はTAKAのペンによるものではないか。日本人ならではの繊細なメロディー。そして哀愁。これが見事にリッチーの声にマッチしている!

しかし、残念なことに歌詞が余りにナンセンス。これで☆一つ減点ね。

雑誌のインタヴューに『FORTY DEUCEはもう終わった。』とあった。
やっぱりねって思ったが、アルバム1枚で終わるにしてもせめてライヴは観たかった。

本当にリッチー様は気まぐれというか、器用貧乏というか・・・

そもそも(間違いなく)親日家でもないのに“日本語ヴァージョン”(TAKAの姉の猛烈な日本語指導があったそうです。)を収録したり、ガンダムのカヴァー・アルバムを作ったり・・・

ガンダムは明らかに“金儲け”だろうけど、『FORTY DEUCE』は純粋に評価されて欲しかったと思います。

ガンダムのアルバムではかなり手抜きなヴォーカルが印象に残りましたが、このアルバムはかなり気合を入れて歌っています。
ヴォーカリストとしてのリッチーが好きな人は絶対に聴くべき1枚です。

ちなみに。
【私的名盤】は“同じアーティストのアルバムは選出しない。”ことにしています。
『FORTY DEUCE』はリッチーのプロジェクトではなく、TAKAがイニシアティヴを握る“バンド”だと判断したので選出しました。
【私的名盤】は自分の所有するアルバムの2~3%を選出したいと思います。
なので、20枚前後で打ち止めになる予定です。





(2005年・キングレコードよりリリース。)
1.INTRO 2.OH MY GOD(I FUCKED UP AGAIN) 3.I STILL 4.START IT UP 5.COMPLICATED 6.SAY 7.HEAVEN 8.STAND UP 9.NEXT TO ME 10.STANDING IN THE RAIN 11.WANTED 12.NOTHING TO LOSE 13.STANDING IN THE RAIN(JAPANESE VERSION)

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神風

2006年05月15日 23時57分01秒 | 色々な話
本日、防火管理者の講習の申し込みに行って参りました。
現在はホーム長が防火管理者なのですが、いずれいなくなるので。
もう本社には防火管理者変更の書類も送付済み。
あとは取るだけってところです。

本日、朝8時30分~申し込み開始。
9時前には到着。

・・・

『はい。最後の番号です。』

あ、あぶなかった!

申し込みは今週いっぱいなのに、開始30分でSOLD OUTとは!
恐るべし“防火管理者講習”!!

一緒に消防署のゲートをくぐったおじさんがトイレに寄らなかったら・・・

あぶなく大目玉を喰らうところだった・・・

っていうかそんな状況でもブログのネタにしようと
頭が働くボクって何なんでしょうか。
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HENSIN

2006年05月14日 20時47分57秒 | 我が家の話
最近、幼虫たちの動きがおかしい・・・



今までは“もそもそ”動き回っていたのに・・・



こりゃ、そろそろ“サナギ”になるのかな?



はぁ。仕事で疲れて元気がでないなぁ。



ボクも“サナギ”になろうかしら。
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嬉しいー!

2006年05月12日 16時44分55秒 | 我が家の話
一昨日・・・

5歳の息子の歯が抜けた!
何だこの感動は!

初めて歯が生えてきた時より感動・涙!

『もっと頑張って働かなきゃ!』

と思いました♪
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夜勤明け

2006年05月12日 16時40分38秒 | 介護のお仕事
『おっ。今日は定時で上がれるかな?』

甘かった。

他フロアの入居者様が昨日からどうもおかしい。
身体が左に傾いてしまう。
普段はほぼ一日中、徘徊をしているのにベッドから起き上がれない。
食事をしていても右手が“ビクッ!ビクッ!”と吊り上る。

こうなると誰もが疑いますよね?脳梗塞を。

ドクターに相談すると救急搬送の指示。
救急搬送は何度見ても嫌だなぁ。
(去年の夏、大動脈破裂で救急搬送されたお婆さんは衝撃的だったし・・・)

今まで歩けた人が歩けなくなる。
今まで笑っていた人が無表情になる。

加齢に伴うことも含め、色々な切ないことを見る機会が多いこの仕事。

しかし、心あるケアが功を奏し、

今まで無気力だった人が元気になる。
今まで笑わなかった人が笑うようになる。

そんなこともある。
自分なりにいかに喜びを見つけられるかって大切なことだと思います。

そんな訳で帰宅したら夕方でした。
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ドグラ・マグラ

2006年05月10日 23時47分19秒 | 介護のお仕事

PAUL GAUGUIN(1897年)
『我々は何処から来たのか。我々は何者なのか。我々は何処へ行くのか。』


この究極の3つの質問の答えがゴーギャンの絵画の中にあると言われている。


介護の仕事を始めた当初、ボクが配属されたフロアには実に興味深い婆さんがいた。

昔の遊郭の様なところで女性の斡旋を仕事としていたらしい。
結婚はせず、商売絡みの付き合いが彼女の人間関係の大凡を占めていた。
(和菓子屋、洗濯屋、酒屋など。)
昔から不摂生をして来たのだろう。重い糖尿病を患っていた。
その為、ほぼ失明状態だった。

日中はガラス瓶の底のような眼鏡をかけ、一日中テレビを聴いている。
そして、人を物で釣る。悲しいがそうやって人生を送って来られたのでしょう。

そして夜。兎に角、幻覚が凄まじい。

夜中に何とも例えようの無い悲鳴が聞こえる。
『○○さん!大丈夫ですか!?』と訪室すると・・・

『助けて!顔が真っ黒に焼け焦げた男が3人来ているの!』
『隣の納家に連れて行かれる!殺される!』

毎晩、これの繰り返しである。

最初は怖くて仕方なかった。理解しようにも理解出来なかった。
そんな時に読んだのがこの本。



夢野久作著『ドグラ・マグラ』(昭和10年)


今まで曇っていた視界が清々しく澄んで行く感じ。

『我々は何処から来たのか。我々は何者なのか。我々は何処へ行くのか。』

この答えが分かってしまった。

人間てとても尊く、深く、強く、切ない・・・
そんな生き物なんだなぁと痛感。痛いほど感動しました。


『お前ら!呪い殺してやる!』

そんな言葉を残して婆さんは転居して行きました。
せめて終わりは穏やかであって欲しいと願わずにいられません。
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勃牙利

2006年05月09日 23時22分43秒 | MUSIC LIFE
サッカー日本代表。
負けましたね。ブルガリア代表に。
ボイノフはやっぱり来なかったんですね。残念。

1994年-W杯アメリカ大会。
ボクが初めて観たW杯です。
この大会はバッジオによるバッジオのための大会だった様に思います。

この大会、ストイチコフ率いるブルガリアはベスト4の快進撃!
この年、ストイチコフは欧州最優秀選手にも選出されたのでした。

が、しかし。個人的に、この大会で最も輝いていたのは
ゲオルゲ・ハジ率いるルーマニア!
予選リーグのルーマニアvsアルゼンチン戦を観てサッカーの虜になった。
と言っても過言ではありません。
ハジ、ドゥミトゥレスク、ラドチョー・・・本当に熱かった!


ボクがルーマニア/ブルガリアを旅したのは1995年10月。
もう11年が経とうとしております。
(その頃の写真をアップしたいのですが、スキャナーがないので出来ません。)

ブルガリアと言えばヨーグルト。そして琴欧州。
でもね。
ブルガリアは薔薇と音楽の国なんですよ。知っていましたか?

ブルガリアの薔薇の香油は世界シェアの80%を占めていると聞きました。
そして、ヨーロッパ、アジアの文化の影響を独自に発展させた音楽。

ブルガリアン・ヴォイス、ブルガリアン・ポリフォニー。
現地で聴いて虜に・・・
日本に戻って来てから始まったCD収集。
しかし『生で観たい!』と言う願望はなかなか叶わず。

そして1999年11月。
ブルガリアン・ヴォイス来日。
偶然、“チケぴ”で見つけてチケットをゲット。
天の思召しなんでしょうか?最前列のど真ん中でした。

人の身体の中にはあるんですね。“魂”ってものが。
初めて体験しました。“魂”が揺さぶられるのを。
胸の辺りが熱くなって全身の力が吸い取られるような感じ・・・
こんな経験は後にも先にもこの一回だけです。

そして2005年9月。(昨年ですね。)
これまた偶然に見つけた広報の記事。(ローカルだなぁ。)
ブルガリアン・ヴォイス(スラヴェイ)来日。
それも志○市民会館!チャリで行けるとこじゃん!

当然、チケットを購入。
チャリで会場入り。
やっぱり感動しました。涙ものでした。
伝説の歌手“ナダカ・カラジョヴァ”をこの目で観られるなんて・涙。
それも公演後にサインと握手までして貰えるなんて・涙。

生きているうちにもう一度、いや二度、三度・・・
行きたいものです。ルーマニア。そしてブルガリアに。








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