もう、昨日になるのか。
新所沢PEGGY DAYに“THREE BULLETS AND A GUN”のライヴを観に行きました。
この日はPEGGY ROCKというイヴェントで、5組のバンドが出演しておりました。
ボクもPEGGY DAYには確か2度、出演したと思います。
1度目はソロ。ギターなんかろくに弾けないのにギター1本持ってステージにあがりました。
今、思えばその頃からMUSEBERRYに想いはなく、独りよがりの時期でした。
確か上半身裸に毛皮のロングコートを羽織って最後のジャム・セッションに参加したような・・・。
2度目はソロ&MUSEBERRY。今度はベース1本持ってステージに上がりソロを。
そして後半にノグチとトヨがステージに上がりMUSEBERRY。
この時『あぁ。これでMUSEBERRYも終わるんだな。』と思ったものです。
実際、このステージを最後に“セクラ、ノグチ、トヨ”のMUSEBERRYは終わりました。
どうもPEGGY DAYに来ると“最後の儚さ”を思い出してしまうのね。
ここで何度“THREE BULLETS AND A GUN”のライヴを観ただろう?
その度に複雑な想いに苛まれていた。別に何がどうって訳ではなく、ただ漠然と。
今年の3.25に御披露目された“新生THREE BULLETS AND A GUN”
-そこにトヨの姿はなかった。人間、生きていれば本当に色々なことがある。
出会い。別れ。最高の幸せ。不幸のどん底・・・。
まあ、そんな極端なことではない何気ないこと。
時の流れと共に人は成長し、また衰えて行く。
だけど、それは悲観するべきことではないんだね。喜ぶべきことだ。
“THREE BULLETS AND A GUN”には昔も今も特別な思い入れがある。
昨夜も本当に特別なものを感じた。
鳥は空を飛べるがボクには飛べない。だって翼がないんだから。
そう。人間誰しも出来ることは限られている。
可能性は無限だと思いたいが、どこかに限界はある。
鬱病のどん底にいた3年前、2歳の息子に言われたことがある。
『パパはパパなんだから、今のままでいいんだよ。』
そう。ボクはボクでしか或りえないのだ。
だから人生は素晴らしいんだね。
夜勤明けで朦朧としていたが、本当に尊い夜だった。
今夜はこの曲と一緒に眠ることにしよう。
さあ、曼陀羅をクリックしておくれ。