死んだら談志2024

水仙花死んだら談志完成す
回文俳句&吾郎関連の諸事雑事
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回文解体新書 その四十五

2005年12月08日 00時01分36秒 | Weblog

感動す長閑に角の素うどんか
野幇間の傷果て葉月の恋だの


なにごとも同じで、回文制作にもバイオリズムがあって、いい時ノッテル時とダメダメ君自暴自棄の時期というのがあり、これがやっかいなことに繰り返してやって来る。いい時がちょいと長いと、続くダメ期はこれでもかっていうくらいもっと長い。バランスが悪いったらありゃしない。
で、そのダウナー期がある時急に霧が晴れたように、ふっと視界良好になって、「あれ、今までどうしてたんだっけ‥‥」と憑き物が落ちることがある。それまでどうやっても泥沼に入り込んだとしか思えないような「リズムなし、意味なし、笑いなし」のなしなしずくしの回文が、生命の水を得る瞬間。掲句はそんな想い出の社会復帰記念句。
「素うどん」句ができた時は、正直うれしかった。何か暖かいものが天から降ってきたかのような救われた気分。宗教に関しては八百万の神様に感謝してる口なので、心の中で思わず手を合わせた。まずは「ノドカ→カドノ」が始まり。この年代では永六輔の浅田飴のコマーシャルを覚えている人も多いだろう。「かろのうろん(角のうどん)」という方言ならではの言い回しが耳に残るCMだった。条件反射でね、角といったらもううどん屋しかない。「ウドン◯→◯ンドウ」。この◯にはこれまた無条件で「カ」が納まった。「カンドウ□ノドカにカドノ□ウドンカ」。関西出身者のナンパの台詞「ねぇちゃん、素うどん喰いにいかへん?」を座右の銘にしてる人にとって、□には迷うことなく「ス」が鎮座する。で、晴れて完成をみるのだが、ここに書いた通り、これはすべて無条件にまっすぐ着地点にたどり着いた結果。それまでのロング・アンド・ワインディング・ロードを抜け出して、ゴール前の一直線を駆け抜ける。これがあるから回文は止められない‥‥と思ったものです。
「野幇間」句は大好きな落語の一席から。実際に恋とは関係ないが、幇間のやるせなさ、いじらしさが好きで「モノにした」句。句集『死んだら談志』に滑り込み収録させていただいた、これまた想い出の一句。ま、それはまた別の機会に。

PS J.L / PEACE /1208
コメント
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