一生

人生観と死生観

損と得

2010-11-25 19:57:40 | 人生人間
11月25日 晴れ後曇り
 仙台からS氏来る。義理堅いことに日本古代東北の稲作の伝播ルートの論文を連名で出せたことのお礼に会いたいとのことであった。駅前ラトブの中の市立図書館の一室を借りて話し合う。熱心な古代史研究家であるが、アマチュアとしての経歴を積んできたが、正式の学会に投稿したことはなかったそうで、今回はじめてレフェリーのある『生物科学』に投稿したら、幸いパスしたものである。
 さて世の中は商業主義が盛りである。今の世の中政府に頼らず民間でやるという場合、コマーシャルな宣伝は欠かせないというのが常識になっている。そのために宣伝費は必要経費として予算に計上する。顧みれば明治維新で武士の世の中がひっくり返り、少数の役人のほかはみんなが商売をすることで自活せよ、さもなくば百姓をして自分の食べるものは自分で稼げ、ということだったから武士たちは不平がつのった。商人として成功する者はほとんどいなかった。いわゆる武士の商法で没落した士族は数え切れないほどいたらしい。「損して得とれ」という言葉があるが、これをうまく活用できるまでになるには時間と経験とが必要だった。商業は心にもないお世辞を言い、おべっかを使ってとにかく金になることを目論む。これは武士の建前にはなかったことであった。武士は主君のために命を捨てる覚悟で対価としての碌をもらうのだったから、卑しい商人の魂を軽蔑してきたのだ。こうして不平分子は反乱を起こし、その最大のものが明治10年の西南戦争だった。これが失敗して、ようやく日本の近代化は進んだ。
 しかし損得を優先する世の中はやはりどこかおかしい。志をもった事業のために損得を離れて働きたい人もいると思うが、それを奨励する世の中にするためにはどうしたらよいか。