一生

人生観と死生観

睡眠について

2010-11-19 08:40:13 | 哲学
11月19日 晴れ
 睡眠については睡眠障害になったときはじめて分かることがある。快眠をむさぼっている人には分からないことだ。
 先ず本来眠りは神の賜物で、どんな人にも平等に与えられる甘美な果実だということ。それが損なわれるとそこには地獄が展開される。
 眠りに入るその入り口は一種の鬼の門番がいるのだということ、この鬼に拒否されるとどんなに頑張っても門をくぐる事は出来ない。頑張れば頑張るほど辛さは増すばかりだ。ちっとやさっとの浅知恵で通り抜けられるようなものでない。
 それでは開き直ってねむらないことにするか?とんでもない。自然の摂理に背けば恐ろしい罰が待っている。一日中うつらうつらで気分の悪いこと。
 この門を別に表現する?一種の窪みだ。窪みの中に穴がある。その穴にうまく嵌れば快眠だが、簡単に成功しないのだ。ゴルフの名手でもスランプということはある。石川遼の天才をもってしてさえそうだ。窪みに入ったボールは行きつ戻りつ、窪みのあちこちを行き来して空しく停止する。ああまた駄目かと思えば思うほどやってもやっても失敗するのだ。
 眠りの浅い深いは夢を見るか見ないかによって表わす、いわゆるレム睡眠、ノンレム睡眠に示されるのが普通だ。しかし私は言う。眠りはもっと複雑だ。快眠度、不快眠度などの指標がいるのだ。
 人類は社会生活の複雑化により天与の賜物を活用できなくなった。快眠に感謝をしない。情けないことだ。
 
 ここで昨日のブログに訂正。男性ホルモンはテストステロン、女性ホルモンはエストロゲンである。こんなことにもいい加減な言葉遣いをするべきではない。