一生

人生観と死生観

S先生の80点主義

2008-04-10 21:02:29 | 哲学
4月10日 雨
 静かな一日。雨の中駅前に散髪に行く。4月になったから少しは髪を刈り上げたい。身なりに構わぬ私も季節に合わせることだけは心掛けるのだ。
 さて先日東京で行われたS先生の偲ぶ会でのスピーチの中にあった心に残る話。S先生は80点でよい、80点を目指せとよく言われた。東大教授の中では堅実な方で、これに不満足な生意気盛りの学生や職員もいたであろうことが偲ばれる。100点主義は格好は良いがつらい。80点主義であれば実際にことに当たる人にとってゆとりも出て気楽にやれる。S先生は接する人にゆとりを与える術を知っておられたのだ。教育上も大切なことである。私は先生が信念を持って生きておられ、キリスト教ではないが、信仰を軽んじなかった人と思っている。その遺徳を慕って数多くの人ガ参加し、かなり大きな部屋が一杯であふれんばかりであった。

人間と超越者

2008-04-08 16:58:57 | 哲学
4月8日 雨
 庭には白木蓮が咲き、春を告げている。残念ながら雨降りで、白は思ったよりさえない。
 人間とはいかなる存在なのか。これは人がものを少し考えることが出来るようになってからの哲学的課題であり、また思想的、宗教的課題でもある。卑小な人間が大宇宙の壮大な光景に接し、また時に自然の猛威に出遭って痛めつけられるとき、おのれの存在を顧みて、震えるような感銘を受ける。人間を越えた超越者は偉大なXであってその全貌を容易に窺い知ることは出来ない。日常の小さな生活で起こることにだけ拘っては見えない、あるものがある。私たちは生命の神秘としばしば唱える。生物の生態や活動のメカニズムは科学的に解明されつつある。それでもこんなによく出来ている生命体を司るもの、いわばそのデザインを設計したもの、それがなければこんなにうまく行くはずがないと思わせられるのだ。超越者とはそうした存在であるということが出来る。超越者があってしかも人間と親しい関係にあるというのが宗教の立場である。それは人の体験、啓示によって深められる。日本人はいま迷っている人ガ多い。やはり宗教について真剣に考えなければならない。

借金財政の行詰まり

2008-04-07 23:29:23 | 哲学
4月7日 晴れのち雨
 東京、仙台を回って帰る。いろいろ書くべきことはあるが遅いのでひとつだけ。仙台では宮城県知事の強引さが目に余ると評判が悪いようだ。借金財政の建て直しに努力するのは知事の務めではあるが、道路特定財源としてのガソリン暫定税の4月1日廃止をきっかけに教育・福祉にしわ寄せが避けられないとのたまう。教育を二の次三の次にするとは不見識極まる暴言だ。それも全国放送で流す。こんな知事は宮城の人ガ大人しいからといって許せるものではない。
 借金財政を立て直すのは大変であるが、積年の借金が雪ダルマの様に膨らんだのは日本全体の問題で、原点は甘えであり、見通しの悪さである。いつかはこんなことになると心配すべきなのに、誰かが何とかしてくれるだろうと無責任に先送り、
こんなことでバブル崩壊後の不景気でますますひどくなった。解決法は二宮尊徳流しかないかと思われる、つまり節約と産業の育成。まず節約というのが順序であろう。道路はどう見ても優先度が高いとは思えない。
 子どもと青少年の育成は、三度の食事のようなものでしわ寄せるといっても出来る訳がない。強行すれば宮城の将来がなくなるだけである。金持ち県を目指すスローガンはいかにも薄っぺら。同じ大阪人でも山本壮一郎知事の時代はやり方が違い品性があった。早く退場してもらった方がよいと思うが、県民の皆さんどう思いますか?

交際とは

2008-04-04 07:35:31 | 哲学
4月4日 晴れ
 交際にもいろいろある。顔が見え声が聞こえる交際。顔は見えず声が聞こえる交際。顔が見えても声は聞こえぬ交際。
 上の三つ、はて何だろう。一番目は普通の交際、次は電話。最後は駅に見送りに来た人との車内と車外での別れ。
 こうしてみると交際の基になっているものは何だろうと気になる。人と人との信頼、それが基本であることは当然である。心が通うということを前提に私たちはしゃべる。しかしそうでない場合もあるだろう。一方交通の話も、あるいは70%くらいそうだという場合。迷惑な相手の顔が見えなければ、話は延々と続くだろう。-これは、おお、電話の話だった。皆さん、特にご婦人方、気をつけましょう。それにご老人も意外にこの範疇に入るのだ。ご用心、ご用心。

過去をうつす

2008-04-03 12:48:05 | 哲学
4月3日 晴れ
〔訂正〕
 自分の過去はその時には客観的に見られない。だから愚かなこともするのだ。もし自分が客観的に観察できるような存在だったらもう少し利口に振舞うことが出来たであろうに、と後悔しても始まらない。そんな存在は人間とは言えないかもしれない。見るものになれ、と聞いたことがあるが、ただ映画を見るように見よと言うことではない。見ながら行動に役立てることである。勇気を持って前に踏み出す、それこそが危機にある人生を救うのである。つまらぬ過去は捨てればよい。

暫しの安らぎ

2008-04-02 18:17:18 | 生活
4月2日 晴れ
 仕事の合間、暫しの休息、嬉しいことにまずまずの健康も保たれ、ベッドで一休みの時間をもった。眠るほどでもない休息は人生のご褒美に与えられているかのよう。無為の快楽がここにある。働き人よ。時にはこんな時間を楽しんでみてはいかが?
 知恵あるものに憂い多く、志あるものに障碍はときに高く、人生ままならぬと嘆くことなかれ。成るようにしかならぬ事もあるが、その中に深い啓示もこもっていよう。おのれを立てるだけではことは進まない。

4月1日よなんじの名は

2008-04-01 21:45:35 | 生活
4月1日  晴れ
 この日を人呼んでエープリル・フールの日という。冗談じゃない、希望の日と呼んだらどうか。この日若者は社会に出る、不安といくらかの期待に、緊張した面持ちで。長い受験勉強の後、大学に入学し、純粋に人生を楽しみ、謳歌しようという人もいる。桜はその人たちの上で微笑んでいる。
 私にとってこの4月1日は新たな出発の日。なんに向かって? エッセイストクラブに入会することになったから、気ままに文章を作り、晩年を出来れば優雅に過ごせたらというのが私のささやかな願いである。競争はしない。自分のペースを守る。これが方針。晩年には晩年の楽しみがある、いやあるべきだ。