一生

人生観と死生観

二人の恩師(2)

2008-04-24 15:58:51 | 哲学
4月24日 雨
 次の恩師は有名人であるがゆえにかえって匿名にしようと思う。これを見る人は想像力を回らして頂きたいのである。なぜ匿名にするかというと、これを明らかにすると私がこの人の名によって自分を高めたいと誤解される虞があるからである。
虚栄はその人の品性を落とし、引き合いに出される人に迷惑をかける。
 仮にK先生と言っておこう。K先生は私にとって勤務先の上司であったが、それ以前からのお付き合いで、研究論文1編の共著者でもあった。私は先生の直弟子ではなく、公式的には薄いご縁しかない。しかし先生は私の二男がワクチン禍で重症心身障害児になり、一生涯ベッドに臥す身になったことを憐み、度々声を掛けられ、そして訴訟の際には、カンパも下さった。私がドイツの出版社から本を出したときは、お祝いとしてお祝儀を下さった。そして先生の最晩年の頃、何かの文献別刷りをお送りしたときと思うが、わざわざ電話でお礼を述べられ、人名について発音を確かめられた。いつも丁寧かつ慎重な先生であった。そしてそれから数ヵ月後、先生は自宅で転倒して骨折、急にお弱りになって天に召された。92歳であった。
 要するにK先生は私が人生の谷間を歩いているときに声をかけてくれた人なのである。立場が上であろうとあるいは下であろうと関係なしに、こういう助けは大変こたえる。ダンテの『神曲』もそういう意味ではダンテその人の経験に根ざし、師友の付き合いや恋人など個人的事情も反映させている。