一生

人生観と死生観

戸はひらく

2008-04-20 13:35:18 | 生活
4月20日 雨のち曇り 午後は日も差す
 二,三日続いた強風を伴う雨のお天気はほぼ終わり、時折思い出したように風が吹くけれども、久し振りの日差しが見られ、心が和む。
 昨日届いたらしいが、今朝ポストに待望の日本エッセイストクラブからの通信が入っていた。手紙も付いている。私の入会は満場一致で認められたとのことである。嬉しいニュースであることは間違いないが、昨夜の息子の誕生祝の席で発表できなかったことが残念だ。長寿社会に突入した日本だが、長寿が人生の最後の苦しみの長さを象徴するものであってはならず、老人もそれなりに工夫して、楽しい老後を自ら創造するものであることを実証したい。エッセイを書くことは私にとっての喜び、そして家族の喜びとなり、社会にほんの少しおすそ分けできたらなお良いと思っているのである。そう言う戸が開けたのだ。

息子のお祝いに寄せて

2008-04-19 20:53:07 | 哲学
4月19日  雨
 今日は息子の誕生日の一日繰り上げお祝い。4月生まれは万事得する。彼は身体が大きいから同級生にいじめられることもなかった。いじめる方も聞いたことがなかった。学業もほどほどにできて、何とか医者になれたので、進路の方で心配することはあまりなかったかと思う。ただ弟が重度の心身障害児だったから成長の過程で本人がいろいろな引け目を感じたり、挫折感を味わったりしたかもしれない。それは私ども親としてすまないと思っている。大江健三郎さんの家庭では長男が障害者だったので、兄弟たちが結束して兄をかばったというが、それは我が家でも同じだった。人生苦楽はあざなえる縄のごとし。不運のうちに幸運の芽もある。絶望してはならないのだ。

長寿を祝福に

2008-04-18 20:51:22 | 哲学
4月18日 風雨強し
 後期高齢者の健康保険問題で世の中は騒がしい。お役所流のやり方に反発するのは一理があるけれども、考えてみればわれわれの人生は限りがあるというのは自然の道理である。自ら工夫して長寿は神の祝福と受け取れるようやってみるのも良いのではないだろうか。私の知人で台湾関のKさんは矢内原先生の指導を受けた無教会的クリスチャンで、もう90歳に近い方である。夫人に先立たれ、不便な暮らしの中で神を讃え、過去をふり返って、恩恵溢れんばかりと感謝をされている。人生の晩年ほど人の考えは分かれるのだ。神なき世界と、神ある世界では大違いである。祝福溢れる長寿こそ人生最後の目標となるだろう。

藤森有罪に思う

2008-04-17 09:43:35 | 哲学
4月17日  うす曇もち?
 藤森元ペルー大統領の有罪が確定したそうだ。これはまだ序の口で、別件がまだ残っているらしいから、彼の前途は暗雲が漂っている。しかし此れは彼にとって覚悟の前、命を捨てる気でやっているに違いない。人は誰しも罪びとで、死後もし神の法廷に立つとすれば、罪のない人はおるまい。仮に一点の罪もない人はいたとして、それが人形のような存在だったら、何の面白みもない。裁きは減点法評価だ。これによってその人の全部をとらえることはできないのだ。やはり加点法評価が必要なのだ。その人がやったことの良いことも認めなければならない。この世の法廷は減点法のまかり通るところで、情状酌量のところで一寸加点法が入る。私たちは歴史の上で加点法が如何に必要かを知っているが、この世の法廷の裁きを批判し、それを改めさせるところまで進めるべきである。

ニッポニウムで推理の妙を尽くす

2008-04-16 19:44:47 | 歴史
4月16日 晴れうす曇
 温かい日、春らしい穏やかな陽気。沈む太陽を車の中から見つめ、いささかの感慨があった。福島では最高気温27度をこえたが、いわきは16.0度。
 ニッポニウムの見直しについては本当に僥倖=セレンディピテイに恵まれた私であった。小川正孝と二男英次郎の悲劇的な死を思うと、その仕事を科学的に検証することと共に何らかの慰霊の行事の必要性を痛感するのだ。
 ニッポニウムで謎解きに明け暮れたという日々、その証明がつぎつぎに出てくるのは、何だか申し訳ないほどである。今までだれも気がつかなかった小林松助の論文の活用が今回の仕事で明らかになった。まず成功の達成度はかなり高い。科学的推理と探偵的(?)推理が併走する珍しい現象で、私も驚いている。これでいよいよノンフィクションへの道が開けるかも。

日本語と英語

2008-04-15 22:19:53 | 生活
4月15日 晴れ
 春に三日の晴れなしというがその通りだ。お天気は変わりやすく、晴れる日はすぐに曇りや雨になる。しかし今日の天気は絶好というほどのものであった。桜はまだこの辺ではさかりをすこしすぎたとはいうものの美しい姿を維持している。
 日本語について考えると、この言葉は外来語だらけだ。そもそも日本古来の言葉というものはさっぱりなく、漢語がドカンと座っているのが日本語だったが、近頃は英語がどんどん侵食してきている。もともと本来の日本語が少ないのだから、流行する英語に置き換わっても日本人はそう驚かないのではないかと思う。一方で日本人の本来の言語感覚に疑問を呈したくもなる。日本語は母音の多い構造だが英語は子音で終わることができる。韓国の言葉も子音が豊富だ。英語が得意な日本人はあまり多いとはいえない。それは日本人の特色で短所であり、またある意味で長所なのだ。俳句で宇宙を表現する日本人はすごいが、井の中の蛙でもある。長短あわせて考察することが必要らしい。

恐怖とこれに勝つ道

2008-04-14 17:46:26 | 哲学
4月14日 曇りのち晴れ
 人間の祖先はネズミに似た小動物で洞穴に隠れるなどして敵の襲撃から身を守り、そして子孫を確実に伝え、進化の末に、やがて知恵を働かして環境に適応し、仲間と力を合わせて目的を果すことを覚え、遂には自分より大きな敵をも倒す知恵と力を発揮し、地球の王者になった。マンモスを狩る人間は最初はどんなに恐ろしかったことであろう。だがそれを勇気で乗り切ったのだ。仲間と励ましあってのことであろう。こんなことを考えると、人は恐怖に打ち勝つ勇気が如何に必要かがわかるが、それは一人で出来ることではなく、大勢の成功体験から獲得できたといえる。もちろん小規模には一人で出来ることもあったであろうし、一人ひとりが勇気を奮ってことに当たることの効果も大きい。
 内向きの子どもたちよ、勇気を出せ。引きこもりになるな。神は、そしてイエス様は子どもを愛したまう。

朝日新聞の広告は愛

2008-04-13 13:24:50 | 哲学
4月13日  曇り
 今日は何の日か、シェクスピアの誕生日と言われ、若くして亡くなった私の姉が誇りにしていたその日。そして朝日新聞を買いにゆく途中、いろいろ考えながら歩いていると、バウムゲルトナー夫人がミュンヘンの駅の近くまで送ってくれた一昨日の夢を思い出し、記録しておこうと決める。忘れるには惜しい夢と言うものがある。
 朝日新聞を読み、最後に一番後ろのテレビ欄を眺めたところ、今日は日曜日なのでそれはなし。その代わり、大きな、大きな、広告が載っていた。今年80歳か81歳の上品な老婦人ー渡辺和子と言うシスターの講話集の前面広告だった。。彼女は戦前若手軍部のクーデター2・26事件の犠牲者渡辺錠太郎の娘だった。29歳でカトリックの修道女となり今日に至った。『愛をこめて生きる』と言う言葉には神の前に立つものの敬虔と、長い人生の中のもろもろの哀歓に耐えた経験が如実に表われている。姉の不幸せな短い生涯-24歳だったーを思い、渡辺和子の幸せな長い生涯と比べると悲しかった。しかしすべてのことに神命あり、後ろ向きにならず、姉の分も私の残る生涯を役立つように用いたいものだ。ブログ向きでないかもしれないが今日の日曜日の感想。

スーパーの昼

2008-04-12 21:05:25 | 生活
4月12日 晴れのち曇り
 私は近頃お昼は外食を励行している。家内が健康が弱り、三食亭主の食事の世話は見られないということがきっかけだったが、慣れてみるとこの方が生活リズムとしては良いことが分かった。私も完全な健康体でないことは家内も良く知っているが、外の空気を吸い、歩き回り、人と話をする効果はプラスになると思っているようだ。家内は腰痛症と頭痛に悩む持病持ちなのだが、最近は四国高知の俳句の師匠について、俳句の勉強に凝っている。月に一度か2ヶ月に一度は飛行機で高知まで出向く熱心さだ。健康も最近はずっと良く、私より長生きする勢いになって来た。
 昼スーパーにゆくと、パンを買い、プレイルームに行って昼食だ。いつもここで食べる常連は私のほかにもう一人の老人がいる。奥さんをなくした一人暮らしか元気がない。私は本か雑誌を持って読みふける。時には賑やかやな運動帰りの学生たちと一緒になる。また時には子ども連れの奥さんたちも来る。お互いに話し合うほどの仲になることはないが、その時その時の日本社会の風俗は知られる。子どもの躾は昔に比べるべくもない。私はここではあくまでも傍観者に徹することを信条にただいるだけである。こうして過ぎ行くときの小さな喜びみたいなものを享受するのだ。別に文学賞をもらう積りもない私だが、見ているだけでよいと思っている。

小沢昭一のお話

2008-04-11 20:49:02 | 哲学
4月11日 雨のち曇り一時晴れ
 小沢昭一と哲学。奇妙なことに私と同世代の人たちには一種のひねった哲学がある。戦争が終わって、軍隊から戻ってきた人、その軍隊というのが、海軍予科兵学校だったり、予科錬だったり、あるいは陸軍の学校だったりで、戦場に行く一歩手前というような立場であった。帰って来ると、かって学校ではあれほど軍国主義を鼓吹した教師が、民主主義の教科書に十年なじんできたような顔をして教壇に立っている。主義主張など本当かと、まず疑ってかかるところから始まる。哲学といってもこういうことを吟味してから後の哲学なのである。一見哲学など何もないような風貌をしてひねくれた議論をするが、根は優しく、本当は人が良い。今朝のテレビでは小沢は奥さんに素直に感謝していた。私も本当はそうなのだ。