一生

人生観と死生観

祝賀!200回目のブログ

2008-04-25 16:03:10 | 哲学
4月25日 朝は曇りのち晴れる
 200回目のブログとなる。100回目までをチェックしていろいろのことが書いてあるがまずまず自分らしいことと納得する。反響は少ないがはじめから覚悟の上でやっている。ただし一回だけ1000件以上の閲覧数があったことがある。
 人生の晩年、使いようによっては非常に有意義になることを固く信じる。無駄に生きてきた人生ではないことの証が出来るのだ。身近なところでは、子どもたち孫たちの幸せや教訓のためになることを残し、社会の人々のこれからの生き方に多少は役に立つかもしれないことを残したいのは、私にとっての少しばかりの贅沢と許してもらいたい。
 私はそんなに優れたものではないが、ただいろいろの困難とそれに打ち勝つ知恵と力を授かったと信じる。類まれな幸運が確かにあった。神は私を選ばれたと思う。苦難が私を鍛えたのは本当に良いことであったと思っている。希望なきところになお希望の光を見出す、それは勇気を奮い起こす人々に最後の勝利をもたらす神の恵みだ。
 セレンディピティー、ひと言で言えばそんなことが人生にはあるのだ。