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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

藤沢市労働会館~70年代モダニズム建築の光芒

2014年03月08日 | 建築
 藤沢宿ちょいぶらの続きで、いよいよ今回のまちあるきのハイライト、藤沢市労働会館(1976年竣工、設計:群建築研究所・緒形昭義)に辿り着いた。

 この建物の存在を知ったのは、数年前「湘南庭園文化祭」という、毎年秋行われる神奈川湘南地区の旧別荘地域に遺された歴史文化資産を活用した市民主体事業のキックオフイベントの会場として訪れた時が最初だ。藤沢駅から徒歩10分ほど南仲通り沿いにの高台にそのやや古びた建物はあるのだが、その前に立ってみて、ここが小田急江ノ島線で藤沢駅に到着する少し手前の鉄橋をすぎたあたりの左手側の方向に見える、周囲から少しとびぬけた高さの錆色列柱に持ち上げられた塔屋の建物であることに気がつく。建物正面部分の外側に非常階段がらせん状についていて、ファサードデザインとして大胆かつ強烈な自己主張をしている。コンクリート、鉄とアルミ、ガラスを材料とするモダニズム建築の特徴が見事に表出した建物で、今回はその空間と外観を解説付きでじっくりと見れる機会となった。

 坂道をすこし上った傾斜地にある会館は、コンクリート打ち放しの一階、地階一階部分が城壁のようで、その上に合計12本の円柱で持ち上げられた三層分の本館が乗っかるなんとも大胆な構造と空間構成だ。中二階部分は周辺に向けて開かれたピロテイーもしくは空中庭園のようになっていて、裏手の丘陵高さに合わせて自由に出入りできるようになっている。城壁部分の縦長や円形の窓枠とあわせて、コルビジェの唱えた近代建築の条件を意識して適えたかの印象すらある。ただし、赤レンガ床なのがなんともおもしろい。中島先生に、「“スカイハウス”(1958年竣工、文京区大塚、設計:菊竹清訓)を彷彿とさせますね」と話すと(お互いに実物は見たことがないものの)一応?同意していただいたので、まんざら見当はずれでもないのだろう。
 中世の城郭のような低い入り口を通り抜けてエントランスホールに入ると大きく天井までの空間が広がり、思わずため息がでる。内面の一部はコンクリート打つ放しの壁面が外からそのまま内部にも露出してきたかのようだ。天井もコンクリート梁が格子状に露出している。う~ん、40年近くを経たとはいえ、この生々しさすら漂ってくる雰囲気は、設計者のこの建物に込めた迫力というか執念のようなものから来ているのだろうか、しばし沈黙。

   
     ≪正面入り口から本館を見上げる。これだけでこの建物の全貌を想像するのは難しい。≫

 正面からは本館の存在は強調されるが、裏側に回って空中広場に出ると、ホール棟と食堂等の楼閣屋根が立ち上がり、まるでチベットラサのポタラ宮殿のような印象すらある。地階一階および一階建物底地の約三分の一程度に地上四階建ての本館が立ち上がっているという特異な(建築効率から言えばなんと贅沢な!)設計であり、いまこのような建築を成立させることは不可能である、と断言できるほどの建築物がこの地で現実のものとして存在している。その意味で、70年代モダニズム建築の奇跡を体現する「巡礼の旅」の終点に相応しいのかもしれない。

  一階には、300席ほどのホールと和室があるがここも見どころ満載だ。まず、ホール。中に入ってみると荒々しい赤レンガ壁面、天井照明の黒いグリッド、むきだしでうねるような真っ赤な空調ダクトの異様な迫力に一瞬、息を飲む。座席は四角いスペースを三方から平土間舞台を囲むような配列。対面する舞台後方の壁面には木製の音響反射板が取りつけられていて、扉に張られた木板とあわせたホール室内意匠の一部ともなっている。
 それでは和室はどうか。この建物内に和室があるということがちょっとした意外性だと思うのだけれど、これがまたモダン和様ともいうべき二十四畳の広さ。なんといっても入り口の襖戸と中の障子戸のサイズが通常の1.5倍ほどの幅がとってあって、とくに障子戸は四隅の一角二辺を合わせる形でレイアウトされ、その2枚をそれぞれいっぱいに開くと、ガラス越しに鮮やかに大きく外庭が望める仕掛けとなっている。隅を支える室内柱をなくした代わりに、建物外に張り出した二本の列柱を設けている。ここにも構造体を建物の外側こ押し出して、モダニズム建築意匠の一部として強調し、内外との開かれた関係性を保ちながら室内空間を魅力的に構成するという手法がみてとれるようで、これらには意外性の二乗!くらいに驚かされた。コンクリート建築の中の和室としては、様相は異なるが、現在の目黒区役所本庁舎としてコンバートされた旧千代田生命本社ビル(1966年竣工、設計:村野藤吾)を見たときの感動を思い起こした。

 中二階は会議室、三階も会議室四室があり、窓が横長水平方向に連続して大きく取られていて、高台周囲の眺めをみわたすことができるようになっている。そして最上階である四階は、驚いたことに体育室のスペースがとられている。三方向はガラス張り!となっていてこんなに眺めの良いフロアで汗を流すことができたらさぞかし壮快に違いないだろう。遠方には江の島や富士山も望めるはずだから、なんとまあ贅沢なスペース!しかも驚いたことに、竣工当時からしばらくは、サウナも併設されていたというから、さらにびっくりである。
建物設計者、緒形昭義(1927-2006)は、基本構想として五箇条からなる「藤沢労働会館基本法」を遺していて、この原則に則って建物空間を構成したことを今回の中島先生の説明で初めて知り、当時40、30代だった建築家集団のモダニズム建築への意気込みと“労働運動”“革新自治体”(当時の藤沢市長は葉山峻氏)がまだ輝きの残り香を放っていた時代精神=ヒストリカル・スピリットを感じないではいられなかった。
 この建物が数年後に改築される可能性があるという話もでていたけれど、1970年代モダニズム建築の光芒を体現しているこの知られざる傑作(もしかしたら記念的問題作か?)をぜひとも遺したうえで、活用してもらいたいと切に願う。

 全体を見終わった最後に全員が三階の会議室に戻り、群建築研究所所員でこの建築設計に関わられたK氏が市民運動にも熱心だった緒形昭義の設計思想と生き様について語って下さった話がとても興味深かった。
 終了後、K氏と建築家A夫妻と、労働会館から歩いてすぐの漆喰壁蔵造りの蕎麦処“喜庵”に立ち寄る。そこで緒形氏をめぐる70年から80年代に建築に情熱を傾けた青年像のエピソードの数々を伺うことになり、時代と建築を切り結ぼうと意気込む姿になんともいえないうらやましさと敬意を感じつつ、話ははずんだ。K氏より「緒形昭義のこと」というタイトルの2008年発行追悼文集の思わぬプレゼントがあり、ありがたく頂戴した。2006年に故人となられた緒形氏の肖像を初めて拝見したが、はにかみを含んだ笑顔が魅力的な印象でその生き様を彷彿とさせる。

 群研究所+緒形昭義の建築は、同じ藤沢市内ライフタウンの湘南大庭市民センターを見学にいったことがあるが、新横浜のオルタナティブ生活館も同時代(1985年)の設計であることを知り、ほかの竹山団地センターや寿町総合労働福祉会館も見に行ってみようと思う。緒形氏の遺稿である「書評:前川國男ー賊軍の将」が興味深く、もしかしたら緒形氏は自分の建築家としての生き様を、前川國男に重ねていたのかもしれない。

 この日は終日雨だったが、早春の人と建築と歴史性との僥倖に感謝!