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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

洋楽ヒット全集1964-1976年は昭和の香り

2014年03月09日 | 音楽
 今年2014年1月22日にソニー・ミュージックから「青春のゴールデンポップス イン SHOWA40S」という、いまどき和様折衷のなんともアカ抜けないタイトルの2枚組のCDが突如(という感じで)発売となった。その広告を朝日新聞で見つけて、曲目リストを見た途端にこれはすぐに購入したいと思い、まほろ市内の新星堂で手に入れたものをたったいま聴きながら、このブログを書いている。流れているのは、
 サイモン&ガーファンクル「コンドルは飛んでゆく」(1970)
 ブラザース・フォア「七つの水仙」(1964)
 プロコル・ハルム「青い影」(1967)
など、1964年以降の洋楽ポップス・ロックのヒット曲の数々である。まさしく新潟の田舎の少年が小学生から中校生にかけて、ようやく洋楽に触れだしたころのオリジン的楽曲の数々だ。洋楽なのに昭和40年代(1965-1974)の洋楽ヒットとして括ってあるのがなんとも日本的感性にかなっていておもしろい。おそらく、この企画盤のプロデュサーは1960年前後生まれの世代だろうと想像する。

 いろいろ能書きを書き連ねるより、このCDの楽曲とアーティストを列記したほうが、はっきりと時代状況が明晰に浮かんでくるだろう。そして何故このようなことを書いてみたくなったのかを雄弁に語ってくれるはずだ。

 「シバの女王」(1969)/レーモン・ルフェーブル・オーケストラ
 「雨のささやき」(1969)/ホセ・フェリシアーノ(盲目の天才歌手といったら、日本では長谷川きよしか)
 「ブラック・マジック・ウーマン」(1970)/サンタナ(「同じサンタナの「哀愁のヨーロッパ」はストリップ劇場の定番BGM)
 「ひまわり」(1970)/ヘンリー・マンシーニ楽団(S.ローレン主演の大人の映画だった)
 「ある愛の詩」(1969)/アンディ・ウイリアムス
(いわずと知れたシネマ「ラブ・ストーリー」テーマ曲、日本では「愛と死を見つめて」を彷彿)
 「マンダム 男の世界」(1970)/エンゲルベルト・フンバーディング
   (「ウ~ン、マンダム」、C.ブロンソンを一躍ポピュラーにした男性化粧品のCMで大ヒット!) 
 「カントリー・ロード」(1971)/ジョン・デンバー(O.N.ジョンでも大ヒットした。あちらアメリカの南こうせつ!?)
 「アローン・アゲイン」(1972)/ギルバート・オサリバン(奥歯をかみしめたような歌い方が・・・)
 「ゴッドファーザー 愛のテーマ」(1972)/アンディ・ウイリアムス
 「この胸のときめきを」(1970)/エルビス・プレスリー
 「愛の休日」(1972)/ミシェル・ポルナレフ(中学時代強烈にはまった。ユーミンもリスペクトしていると知って、やっぱり!)
 「天国への扉」(1973)/ボブ.ディラン
(黒人シンガー、ランディ・クロフォードの歌唱で初めて聞いたけれど、B.ディランと知って驚いた) 
 「ローズ・ガーデン」(1970)/リン・アンダーソン(南沙織「17才」の原曲?と噂されたポップス、さすが筒美京平!)
 「愛するハーモニー」(1972)/ニュー・シンガース(これも初期の南沙織LPで聴いたアメリカンポップスの甘酸っぱい想いで)
 「カルフォニルアの青い空」(1972)/アルバート・ハモンド(実によく流れていた。シンシアののびのびした歌唱が爽やか印象的)
 「天使のささやき」(1974)/スリー・ディグリーズ(ソウルを越えた?ブラックポピュラーミュージック)
 「エマニエル夫人」(1974)/ピエール・バシュレ
             (青い未熟な高校生は性の誘惑に二見書房ブックスを隠れ読み、えーと主演女優は?S.クリステル)
 「あまい囁き」(1973)/ダリダ&アラン・ドロン
(二人の歌と語りのかけあいが見事、いま聴いても新鮮だ!パローレ♪パローレ♪のリフレイン)
 「愛の贈り物」(1975)/バリー・マニロー(ピノキオのようなお鼻が印象的なあまいあまい声)
 「17才の頃」(1975)「ラヴ・イズ・ブラインド」(1976)/ジャニス・イアン
(高校生の頃の記念碑的楽曲、本格的に洋楽女性ボーカルに入れ込んだ)

 こうして、振り返ると個人的に洋楽が日常的にリアルタイムで入ってきたのは、1970年以降になることがわかる。それらのきっかけは、ラジオの深夜放送と当時のアイドル歌手で英語でポップスも歌えた、シンシアこと南沙織だったということになるだろう。その意味では、シンシア(現在の篠山紀信夫人)は、「ローズ・ガーデン」(1970)/「愛するハーモニー」(1972)/「カルフォニルアの青い空」(1972)などのヒット曲を同時代に取り上げていたし、J・イアン提供の楽曲も歌っていたのだからなかなか貴重な存在だった。
 1975年ロスアンゼルス録音の全曲オリジナル作品「Cynthia Street」は、A面が安井かずみ作詩、筒美京平作曲、B面が現地ミュージシャン(G.クリントン、A.オディーなど)が参加した当時としては非常に意欲的なアルバムでじつに!画期的だったとひそかに思っている。もっともっと歌手としての可能性が拡がってもよかったのになあ、と少し残念に思うのだ。