小正月の15日は大安、秋篠宮家の次女桂子さまが、成年を迎えた報告のために当日午前中、八王子市長房町の武蔵陵墓地へ初めておひとりで参拝されたと報道されていた。先だつ7日は昭和天皇が崩御された日であり、毎年皇族方が参拝に訪れているようだ。その際は必ず成年者おひとりずつで参拝されるようで、わたしも何年か前に参拝させていただいた際には、黒塗りの車からコートを着て降りて歩み出されたお姿に遭遇したことがある。
南浅川を渡っての参道の両側にはケヤキ並木が続き、やがてこんもりとした御陵の杜が見えてくる。境内に入れていただくと玉砂利の参道の両側は、こんどは杉並木に変わっている。厳かな雰囲気の中、道なりにまっすぐ進むと武蔵野陵(昭和天皇陵)と武蔵野東陵(香淳皇后陵)があって、饅頭型の巨大な陵の正面には白木の鳥居が建っている。その西側には、大正天皇、皇后の多摩陵と多摩東陵があり、こちらは90年の年月を重ねて、より風格が増している。なんとも不思議な空間が東京西方のはずれの多摩の裾野にひっそりと確かに広がっている。
さて、さかのぼって新年初日は、九年振りになるという新雪で迎えたのだけれど、翌二日はすがすがしい快晴となった。初春恒例の家族行事は、元旦にお屠蘇と雑煮をいただいてゆっくり自宅で過ごし、翌日二日に箱根駅伝のスタートを見届けた後に江ノ島詣でに出かけること。今年も地元に練習拠点と合宿寮がある青山学院大学が出場していて、加えてやはり!紫のタスキの明治大学と東洋大学を応援することに。東洋大学をひいきにするのは、創立者井上円了が新潟出身、また第二次大戦前の混乱期に7年間学長を務めた大倉邦彦は横浜ゆかりのひとだから。
初詣にふさわしい快晴の凛とした空気のなか、横浜水道みちを最寄駅まで歩いて、もう一家族の方と合流して新年のあいさつを交わしたあと、小田急線に乗り一路江の島へと向かう。途中の六会日大前あたりを過ぎたところで、大山丹沢連なりの左側に白き冠雪を抱いた富士山がくっきりと姿をあらわす瞬間もいつもとかわらない幸せな光景だ。ここ十数年、習慣となっている初春のお出かけ、子どもたちの成長に伴って揃う顔ぶれは変わってきたけれど、過ぎ去った年月をなつかしく感じる。
終点の片瀬江の島駅に到着、改札をでて境川にかかる弁天橋を渡り、地下道をくぐって江の島大橋を進むと正面先の江の島と右手の片瀬浜の海岸越しの間の遥か山並みの先に、さらに大きく裾野を広げた神々しい富士山が、文字通り“絵になる姿”で立ち現われてくる。海風を浴びながら、陽光のもとを神社へと向かう晴れやかでゆったりとした人たちの歩みが続く。江の島の頂上には灯台を兼ねたローソク状の展望塔が立ち上がる。この江の島と丹沢山脈背後の白雪富士と相模湾が組み合わさったまさに日本的な情景はなかなか得難いものであるし、それをお正月に住まいからわずか一時間たらずの移動で目にすることができる境遇と幸運を本当にありがたく思わずにはいられない。
江の島神社参道の入口にある、江戸時代(1747年)に建立された青銅製鳥居をくぐると、両側には参詣客を迎える土産物店や飲食店が立ち並んでいて、私たちは肩をよせ合いながら先へと登っていくことになる。このヒューマンなスケール感と勾配は江戸時代からずうと何百年と変わらないのだろう。石段の先の竜宮城のような端心門を見上げてそこをくぐるとさらに急な階段が連なり、上りきると島の高台に鎮座する江島神社辺津宮へと至る。少し並んでから本殿に詣出て、新年の計を祈った。
その先をさらに中津宮、奥津宮と進んで行き、江の島詣での締めくくりは、展望台下の「江乃島亭」に立ち寄っての新年の乾杯と少し早目の昼食会。島の西側に位置するここの店のベランダ側の席からは、相模湾に面した湘南の風景が一望できて、その先に丹沢の連なりとその先の富士山がしっかりと望める最高のロケーションで大のお気に入り。ここでいただく海鮮物が盛られた“まかない丼”はトロロ汁をかけていただくと美味しさ満点で大好きな一品、そのほかハマグリの酒蒸しやイカ丸焼きなどもイケる!さすが、明治創業の老舗で、対応もてきぱきと気持ちよく、店内の清潔感は江ノ島イチだと思う。

「江乃島亭」のベランダからの相模湾の遠景、山頂が白き富士には雲がかかっている。湘南茅ヶ崎、平塚の街並みが見える。

奥津宮からも戻る途中の参道で日向ぼっこしていた姿勢正しき“島猫”の姿に惚れてパチリ!
昼食の後は、裏参道を通って端心門下の石段へと戻り、江の島大橋の手前で同行いただいたご家族とお別れして、急ぎ足で片瀬江の島駅まで戻って再び江ノ島線に乗り込み、中央林間で田園都市線に乗り換えて一路、今年の初笑いの会場となる都内九段下の日本武道館へと向かう。うーん、何かというと、“九段下一本勝負! 千鳥ヶ淵、越えてもらいます!!”が謳い文句、「清水ミチコ 一人武道館 ~ 趣味の演芸」公演を家族三人そろって見に行くためなのでした。
新春二日の午前中は江の島初詣から、午後は大好きな「清水ミチコ 日本武道館ワールド」への飛躍がなかなかのもので、ライブもとっても!楽しかった!!清水ミチコさんは、1960年生まれの水瓶座でB型と血液型、星座がいっしょ、ますます親しみを覚える存在。その様子はまた次回に記すことにしよう。
(2015年1月15日書始め、1月16日校正、追記)
南浅川を渡っての参道の両側にはケヤキ並木が続き、やがてこんもりとした御陵の杜が見えてくる。境内に入れていただくと玉砂利の参道の両側は、こんどは杉並木に変わっている。厳かな雰囲気の中、道なりにまっすぐ進むと武蔵野陵(昭和天皇陵)と武蔵野東陵(香淳皇后陵)があって、饅頭型の巨大な陵の正面には白木の鳥居が建っている。その西側には、大正天皇、皇后の多摩陵と多摩東陵があり、こちらは90年の年月を重ねて、より風格が増している。なんとも不思議な空間が東京西方のはずれの多摩の裾野にひっそりと確かに広がっている。
さて、さかのぼって新年初日は、九年振りになるという新雪で迎えたのだけれど、翌二日はすがすがしい快晴となった。初春恒例の家族行事は、元旦にお屠蘇と雑煮をいただいてゆっくり自宅で過ごし、翌日二日に箱根駅伝のスタートを見届けた後に江ノ島詣でに出かけること。今年も地元に練習拠点と合宿寮がある青山学院大学が出場していて、加えてやはり!紫のタスキの明治大学と東洋大学を応援することに。東洋大学をひいきにするのは、創立者井上円了が新潟出身、また第二次大戦前の混乱期に7年間学長を務めた大倉邦彦は横浜ゆかりのひとだから。
初詣にふさわしい快晴の凛とした空気のなか、横浜水道みちを最寄駅まで歩いて、もう一家族の方と合流して新年のあいさつを交わしたあと、小田急線に乗り一路江の島へと向かう。途中の六会日大前あたりを過ぎたところで、大山丹沢連なりの左側に白き冠雪を抱いた富士山がくっきりと姿をあらわす瞬間もいつもとかわらない幸せな光景だ。ここ十数年、習慣となっている初春のお出かけ、子どもたちの成長に伴って揃う顔ぶれは変わってきたけれど、過ぎ去った年月をなつかしく感じる。
終点の片瀬江の島駅に到着、改札をでて境川にかかる弁天橋を渡り、地下道をくぐって江の島大橋を進むと正面先の江の島と右手の片瀬浜の海岸越しの間の遥か山並みの先に、さらに大きく裾野を広げた神々しい富士山が、文字通り“絵になる姿”で立ち現われてくる。海風を浴びながら、陽光のもとを神社へと向かう晴れやかでゆったりとした人たちの歩みが続く。江の島の頂上には灯台を兼ねたローソク状の展望塔が立ち上がる。この江の島と丹沢山脈背後の白雪富士と相模湾が組み合わさったまさに日本的な情景はなかなか得難いものであるし、それをお正月に住まいからわずか一時間たらずの移動で目にすることができる境遇と幸運を本当にありがたく思わずにはいられない。
江の島神社参道の入口にある、江戸時代(1747年)に建立された青銅製鳥居をくぐると、両側には参詣客を迎える土産物店や飲食店が立ち並んでいて、私たちは肩をよせ合いながら先へと登っていくことになる。このヒューマンなスケール感と勾配は江戸時代からずうと何百年と変わらないのだろう。石段の先の竜宮城のような端心門を見上げてそこをくぐるとさらに急な階段が連なり、上りきると島の高台に鎮座する江島神社辺津宮へと至る。少し並んでから本殿に詣出て、新年の計を祈った。
その先をさらに中津宮、奥津宮と進んで行き、江の島詣での締めくくりは、展望台下の「江乃島亭」に立ち寄っての新年の乾杯と少し早目の昼食会。島の西側に位置するここの店のベランダ側の席からは、相模湾に面した湘南の風景が一望できて、その先に丹沢の連なりとその先の富士山がしっかりと望める最高のロケーションで大のお気に入り。ここでいただく海鮮物が盛られた“まかない丼”はトロロ汁をかけていただくと美味しさ満点で大好きな一品、そのほかハマグリの酒蒸しやイカ丸焼きなどもイケる!さすが、明治創業の老舗で、対応もてきぱきと気持ちよく、店内の清潔感は江ノ島イチだと思う。

「江乃島亭」のベランダからの相模湾の遠景、山頂が白き富士には雲がかかっている。湘南茅ヶ崎、平塚の街並みが見える。

奥津宮からも戻る途中の参道で日向ぼっこしていた姿勢正しき“島猫”の姿に惚れてパチリ!
昼食の後は、裏参道を通って端心門下の石段へと戻り、江の島大橋の手前で同行いただいたご家族とお別れして、急ぎ足で片瀬江の島駅まで戻って再び江ノ島線に乗り込み、中央林間で田園都市線に乗り換えて一路、今年の初笑いの会場となる都内九段下の日本武道館へと向かう。うーん、何かというと、“九段下一本勝負! 千鳥ヶ淵、越えてもらいます!!”が謳い文句、「清水ミチコ 一人武道館 ~ 趣味の演芸」公演を家族三人そろって見に行くためなのでした。
新春二日の午前中は江の島初詣から、午後は大好きな「清水ミチコ 日本武道館ワールド」への飛躍がなかなかのもので、ライブもとっても!楽しかった!!清水ミチコさんは、1960年生まれの水瓶座でB型と血液型、星座がいっしょ、ますます親しみを覚える存在。その様子はまた次回に記すことにしよう。
(2015年1月15日書始め、1月16日校正、追記)