ひとり言

日記のように、出かけた事や思った事をひとり言で書いてみます。

石清水八幡宮でひとり言

2011年10月10日 | Weblog
京都の裏鬼門(南西)に鎮座し、難波への要所にある。石清水八幡宮は京都の男山に鎮座し、誉田別命(ほんだわけのみこと・第15代応神天皇)、比大神(ひめおおかみ・宗像三女神)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)の八幡三神を祀っている。「八幡太郎義家」はどかで聞いたことがある!源頼朝や足利尊氏の祖先である源義家が、石清水八幡で元服して八幡太郎と呼ばれた。
 車で来ると、麓の高良神社前の境内に駐車できる。そこから京阪の八幡市駅に歩き、すぐ奥にある男山ケーブルに乗車して、3分で山頂駅に到着。駅からはうっそうとした参道を少し歩いて南総門に着く。山頂にも係わらず広い境内に、丹漆塗りと極彩色の彫刻を施した壮麗な社殿が正面に映える。
 八幡神社の総本社は大分県宇佐市の宇佐八幡宮である。769年、天皇の位を狙っていた道鏡は、称徳天皇によって道鏡を次の皇位継承者に指名させようとして、「道鏡を皇位に付ければ天下は太平になる」旨の託宣が宇佐神宮からあったと宣言した。しかし、朝廷は和気清麻呂を宇佐神宮に遣わし、神意を確認したところ、「無道の者掃除すべし」との託宣が下り、道鏡の目的は達成されなかった(宇佐八幡宮神託事件)。独身の称徳天皇と道教のスキャンダラスな話になってくるが、色々な説があり真意は分からない。この時代は橘奈良麻呂の変、藤原仲麻呂の乱など皇位継承で大きく混乱した。
 山頂から降りて、気になっていた門前名物「やわた走井餅」を並んで買った。すっかり昼時を過ぎ小腹が減ったので、駐車してある車の中で頬張った。「おいしい!甘いものはほとんど食べないが、これはおいしい!」柔らかくてあっさりしていて、いっぺんに3個も食べてしまった。ふと車の前方に目をやると、高良神社の鳥居が見える。
 徒然草第52段「仁和寺にある法師」
仁和寺に居た老僧は「一生に一度は石清水八幡宮へ行きたい」と思っていた。念願叶って石清水八幡宮へ行ったのだが、麓にある高良社や極楽寺などだけを参拝して満足し、他の人が石清水に行こうとして山を登っていたのに、今いる寺社が石清水だと思い込んで山に登らなかったという話。「どんな小さなことにも案内する人が必要である」という話で、失敗に気づかず得意げに話す僧侶の滑稽さもうまく書かれている。
 でも、こんな思い違いってあるよね?昔、あるゴルフコンペに毎回出席していて、ある時だけいつもと違うゴルフ場で開催された。当日いつもの所と思い込み、ゴルフ場へ行ったが誰も居らず、大慌てで連絡し、別のゴルフ場へすっ飛んだ事。友人が少し前に入ったトイレへ遅れて入り、友人の姿が見えないので、閉まっている個室に友人が入っていると思い、そっちに向かって冗談を言っていたら、知らない人が出てきた!…なんて事あるよね!?
 帰路の途中で、枚方にある樟葉宮跡を訪れた。交野天神社の境内から奥へ、うっそうとした林の中の小高い丘に貴船神社があり、この辺りが樟葉宮だと言われている。子供のない25代武烈天皇の死後、大伴金村らによって越前の三国から、応神天皇5世の孫、男大迩王(おおど)を迎え、26代継体天皇がここ河内楠葉宮で507年に即位した。その5年後に山背国筒城宮(やましろのくにつつき:現京田辺市付近)、12年後に弟国宮(おとくに:現長岡京市付近)に移っており、大和の国に入ったのは20年後のこととされる。天皇家の継承が疑われる26代天皇だが、最近の訪問は継体天皇ゆかりの地が多い。
 あのAppleの歴史を変えたスティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。KDDIのauはアップル社の「iPhone4S」を発売すると発表した。3年にわたるソフトバンクの独占に楔を打ち、日本のケータイ三国志が始まった。