深夜に自宅を飛び出した!大丈夫かな?まぁどうにかなるさ!さすがに連休の中国自動車道も深夜はガラ空きで、アッと言う間に最初の加茂岩倉遺跡に着いてしまった。午前三時…辺りには何もない!駐車場で仮眠することにしたが、満点の星空に暫し見惚れ感動。しかし、余りの静寂に不気味さを感じ、眠ることもできず2時間ほど過ごした。そこで、仮眠をあきらめて予定を変更し、一挙に日御碕まで行って日の出を見ることにした。夜明けは早く、日御碕に着いたころはすっかり朝日が水平線を上がってしまった。出雲国風土記には新羅国から余った部分を引き寄せて日御碕を造り上げたと言う、同じように島根県の東の美保関は越国の都都(ツツ)の三埼を引き寄せて造ったとある。古くから朝鮮半島の新羅と越国との交流があったことが分かる。朝凪の静かな日本海を見ていると、縄文の人たちが半島からやってくる舟影が見えるような気になる。
来た道を少し戻り浜辺に下りると日御碕神社がある。海岸から近い森に朱色に塗られた社殿が朝日にまぶしい。スサノオ尊とアマテラス大神の姉弟が祭られている。
おにぎりをほお張りながら、海岸沿いの29号を大社まで戻った。稲佐の浜を東に行くと出雲大社の参道になる。神無月には全国の八百万神が上陸する場所だ。大社は二、三年前に出張帰りに寄ったので記憶が新鮮である。
大社は「平成の大遷都」で本殿が修理中であった。この本殿が口ずさみで「雲太、和二、京三」と唄われた日本一の高層建築であったらしいが、境内から直径3mにもなる3本の柱の束が2000年に発掘されて,48m超の高層建築が現実味を帯びてきた。何のために?出雲大社の祭神は大国主神である。彼が一生懸命に造り上げたこの国を、舞い降りた天つ神が譲るように迫る。大国主神は長男の事代主神(コトシロヌシノカミ)が答えると言い、その事代主神は美保の岬に釣りに行っていたが、天つ神が来て迫ると、「天つ神の御子に奉りましょう」と海中の青柴垣に身を隠す。大国主神はもう一人の息子に聞いて欲しいと言う、現われた建御名方神(タケミナカタノカミ)は力比べを申し出るが力及ばず、ついに信濃の国の諏訪湖まで追い詰められ、そこから出ないことを誓って命乞いをした。ついに大国主神は「天つ神の御子の御殿と同じような、立派な宮殿を作って自分を祀ってくれるなら」という条件で国譲りを承諾した。そして、天にも届く高層社殿になったらしい。また、本殿の正面から祭壇は見えない。何と、祭壇は西を向いており正面からは横を向いて祭られている。正面には心御柱があり祭壇は壁で塞がれている。この心御柱が大国主神の大黒様から大黒柱と呼ばれる。これは何か祟りを封じている様な配置になっている。また社殿の大きな注連縄は他の神社と左右反対に飾られており、また、出雲大社での拝礼は「二礼、四拍手、一拝」です。大社の西は稲佐の浜で夕日が沈む方向で、逆さ注連縄や四拍手など「死」に関わるサインのように思われる。
大社に車を置いて、隣にある「島根県立古代出雲歴史博物館」へ自転車で向かった。開館前だったが中に入れていただき5分ほど待った。中央ロビーには発掘された宇豆柱が展示され、その太さに圧倒される。また、空中社殿の模型の数々や、荒神谷遺跡から出土した銅剣、加茂岩倉の銅鐸などが迫ってくる。すっかり古代出雲にタイムスリップできた。
さて、いよいよさっき見た銅剣が出土した荒神谷遺跡へ急いだ。大量の弥生青銅器が出土した遺跡だ。銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本で、これだけの量が一箇所から出ることも、一緒に銅鐸と銅矛が出ることも類がない。研究から近畿と北九州の両方に交流があったことが窺える。どうして埋めたのだろう?祭祀のために使った物だろうが弥生後期には何故か埋められてしまった。このころから出雲独自の四隅突出型墓が出現してくる。
農道の調査で発見されたらしいが、現在の地形からはどうしてこんな所に?としか思えない場所だ。2000年ハスが植えられている池越しに何度も振り返りながら荒神谷を後にした。そして、少し離れた須佐神社へ急いだ。『出雲風土記』にスサノオが「この国は小さな国ではあるが良いところなので自分の名は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し自らの御魂を鎮めた所。神社7不思議があり、最近はパワースポットとして訪れる人が多くなったようで、境内は整備工事の最中だった。道を作り、店を賑わせ、人が作る経済パワーのほうがすごいと思った。最後の訪問先は深夜に到着した加茂岩倉遺跡になる。
荒神谷遺跡から東南3kmで、平成8年日本最多の39個の銅鐸が発掘された。この銅鐸は大きい銅鐸に小さい銅鐸が入れられた入れ子状態になっていた。銅鐸にはシカ、サギ、トンボなど近畿でも発掘される稲作における土地の精霊が描かれているが、荒神谷の銅矛にある「×」が銅鐸にも刻印されており、出雲の銅鐸オリジナルの海亀が描かれている。11月に全国の神が集まる神在祭(カミアリマツリ)が行われる出雲大社では、沖合いから海蛇が到来しなければ始まらない。(セグロウミヘビ)日御碕神社、佐太神社、美保神社では「竜蛇さま」と呼び、丁重に祀っている。海亀、海蛇など、出雲と「海」の関係は深い。海を渡ってきた遺伝子が忘れられないのであろう。
今日は松江に泊まるので、途中玉造温泉でゆっくり温泉に入ってからチェックインする事にした。玉造温泉にある玉造湯神社はTVでも放映されている「願い石」があり、神社には似つかない若い女の子達が列を作って「お願い」していた。流行のスピリチュアルスポットらしいが、非宗教的な擬似宗教のスピリチュアリティーは心霊、教祖やカルトなど結局は人間の持つ「欲」を露呈する。まあ、一心に「お願い」しているぐらいは良いけれど。さて、ゆっくり温泉に浸かって宍道湖の夕日を見れば、「欲」もない神聖な気持ちになれるかな?今夜は地酒でも飲んで、旨いもの食って……欲だらけ!
来た道を少し戻り浜辺に下りると日御碕神社がある。海岸から近い森に朱色に塗られた社殿が朝日にまぶしい。スサノオ尊とアマテラス大神の姉弟が祭られている。
おにぎりをほお張りながら、海岸沿いの29号を大社まで戻った。稲佐の浜を東に行くと出雲大社の参道になる。神無月には全国の八百万神が上陸する場所だ。大社は二、三年前に出張帰りに寄ったので記憶が新鮮である。
大社は「平成の大遷都」で本殿が修理中であった。この本殿が口ずさみで「雲太、和二、京三」と唄われた日本一の高層建築であったらしいが、境内から直径3mにもなる3本の柱の束が2000年に発掘されて,48m超の高層建築が現実味を帯びてきた。何のために?出雲大社の祭神は大国主神である。彼が一生懸命に造り上げたこの国を、舞い降りた天つ神が譲るように迫る。大国主神は長男の事代主神(コトシロヌシノカミ)が答えると言い、その事代主神は美保の岬に釣りに行っていたが、天つ神が来て迫ると、「天つ神の御子に奉りましょう」と海中の青柴垣に身を隠す。大国主神はもう一人の息子に聞いて欲しいと言う、現われた建御名方神(タケミナカタノカミ)は力比べを申し出るが力及ばず、ついに信濃の国の諏訪湖まで追い詰められ、そこから出ないことを誓って命乞いをした。ついに大国主神は「天つ神の御子の御殿と同じような、立派な宮殿を作って自分を祀ってくれるなら」という条件で国譲りを承諾した。そして、天にも届く高層社殿になったらしい。また、本殿の正面から祭壇は見えない。何と、祭壇は西を向いており正面からは横を向いて祭られている。正面には心御柱があり祭壇は壁で塞がれている。この心御柱が大国主神の大黒様から大黒柱と呼ばれる。これは何か祟りを封じている様な配置になっている。また社殿の大きな注連縄は他の神社と左右反対に飾られており、また、出雲大社での拝礼は「二礼、四拍手、一拝」です。大社の西は稲佐の浜で夕日が沈む方向で、逆さ注連縄や四拍手など「死」に関わるサインのように思われる。
大社に車を置いて、隣にある「島根県立古代出雲歴史博物館」へ自転車で向かった。開館前だったが中に入れていただき5分ほど待った。中央ロビーには発掘された宇豆柱が展示され、その太さに圧倒される。また、空中社殿の模型の数々や、荒神谷遺跡から出土した銅剣、加茂岩倉の銅鐸などが迫ってくる。すっかり古代出雲にタイムスリップできた。
さて、いよいよさっき見た銅剣が出土した荒神谷遺跡へ急いだ。大量の弥生青銅器が出土した遺跡だ。銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本で、これだけの量が一箇所から出ることも、一緒に銅鐸と銅矛が出ることも類がない。研究から近畿と北九州の両方に交流があったことが窺える。どうして埋めたのだろう?祭祀のために使った物だろうが弥生後期には何故か埋められてしまった。このころから出雲独自の四隅突出型墓が出現してくる。
農道の調査で発見されたらしいが、現在の地形からはどうしてこんな所に?としか思えない場所だ。2000年ハスが植えられている池越しに何度も振り返りながら荒神谷を後にした。そして、少し離れた須佐神社へ急いだ。『出雲風土記』にスサノオが「この国は小さな国ではあるが良いところなので自分の名は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し自らの御魂を鎮めた所。神社7不思議があり、最近はパワースポットとして訪れる人が多くなったようで、境内は整備工事の最中だった。道を作り、店を賑わせ、人が作る経済パワーのほうがすごいと思った。最後の訪問先は深夜に到着した加茂岩倉遺跡になる。
荒神谷遺跡から東南3kmで、平成8年日本最多の39個の銅鐸が発掘された。この銅鐸は大きい銅鐸に小さい銅鐸が入れられた入れ子状態になっていた。銅鐸にはシカ、サギ、トンボなど近畿でも発掘される稲作における土地の精霊が描かれているが、荒神谷の銅矛にある「×」が銅鐸にも刻印されており、出雲の銅鐸オリジナルの海亀が描かれている。11月に全国の神が集まる神在祭(カミアリマツリ)が行われる出雲大社では、沖合いから海蛇が到来しなければ始まらない。(セグロウミヘビ)日御碕神社、佐太神社、美保神社では「竜蛇さま」と呼び、丁重に祀っている。海亀、海蛇など、出雲と「海」の関係は深い。海を渡ってきた遺伝子が忘れられないのであろう。
今日は松江に泊まるので、途中玉造温泉でゆっくり温泉に入ってからチェックインする事にした。玉造温泉にある玉造湯神社はTVでも放映されている「願い石」があり、神社には似つかない若い女の子達が列を作って「お願い」していた。流行のスピリチュアルスポットらしいが、非宗教的な擬似宗教のスピリチュアリティーは心霊、教祖やカルトなど結局は人間の持つ「欲」を露呈する。まあ、一心に「お願い」しているぐらいは良いけれど。さて、ゆっくり温泉に浸かって宍道湖の夕日を見れば、「欲」もない神聖な気持ちになれるかな?今夜は地酒でも飲んで、旨いもの食って……欲だらけ!