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生まれながら足の不自由な男が「美しい門」と言う神殿の門のそばに毎日運ばれ置かれていた。彼は40年以上も立つ事も歩くこともできずに、その場所へ物乞いのために置かれていたのである。施しは全て家族が取り、彼は何も持っていなかった。彼は誰にも人格的に受け入れてもらえずに40年以上生きてきたのだ。
もし、自分自身が人格的に見てもらえずに、『物』として見られているとしたらどう思うだろうか。お金がない、食べ物が少ない、教養がないという事よりも、人間が人間として見てもらえない事ほど悲しいことはないのだ。しかしこの男性に神の御業があらわれる。これは彼に起こった事実であり、私達にも起きる事実である。
1) 『何もない』から始まる
ペテロとヨハネに足の不自由なその男が施しを乞うと、ペテロとヨハネは
彼をじっと見つめて言った。「私には金銀はない!」
金銀がない、歩けない、動けない、実は、『ない』と言うことが重要。
人間の力が万策尽きたところに、神の御業があらわれるのだから。
信仰があると思っている人は要注意!私には信仰がない、信仰の足りないものだ、、、と自分を受け止めたときに神の御業が始まるからである。
2) 私にあるものをあげよう。イエスキリストの名によって歩きなさい。
信仰はギフト。神から与えられたギフトである。もし、自分の力で得た信仰であるならば、大きな試練が起きたら信仰を捨ててしまうかもしれない。自分で得たものは自分で離すものである。しかし、神から頂いたものは、離せない!与えてくださった神がこの信仰を握ってくださっているから、離れることができないのだ。信仰は、自分で掴み取るものではなく受け取るものである。
3)『ない』から『ある』へ切り替わる。
ペテロは男の手を取って彼を立ち上がらせると、たちまちその男の足やくるぶしがしっかりとして、男は躍り上がって立ち、歩き出した!聖書のたった1節の中に『躍り上がって立ち歩き神を賛美した』ということが繰り返し書いてある。
これはその男性の喜びを表しており、歩けない人が歩けるようになる!これは当然嬉しいこと。40年間も歩けないと思っている人が、突然歩けるとはどんなことだろうか。人間、思い込んだらずっとその思いの中から出ることができない。40年間歩けなかった男性に「歩ける」と言うスイッチを入れてくださった父なる神。『ない』から『ある』へスイッチを切り替えることができるのは、全能なる神だけの御業。神によって造りかえられ新しくされる私達、神を信じて従うならば、必ず主の栄光が、主の奇跡が起こる!そして、それを私達は喜び神を賛美するのだ。
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とあるように、主を賛美することがクリスチャンの姿だからである。
たとえ苦しくても、辛くとも、主は私達を主にある喜びに変えてくださる。これこそが私たちの信仰。
40年以上も歩けずに物乞いをしていた男は、人としては死んでいたのに、生き返り、復活し、歩き回り、踊りまわって神を賛美した。
誰でも、父なる神の元へ立ち返るならば、神は、素晴らしい人生を与えてくださる。だから、キリストの名によって、立ち上がり、歩いていこう!そこには何よりもまさる喜びと平安があるからである。
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http://goodnewsstation.com/celebration.html
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