本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

義捐金。

2011-05-22 14:13:08 | 社会
今日の私のトップニュースは「浜の爺さん」のブログを覗くまで知らなかった。義捐金を出さなかった生徒の氏名を黒板に張り出すなどという行為は、あってはならない愚行、蛮行であると私は思う。義捐金はあくまでカンパであり、任意で拠出するものである。嫌な人は1円も出さなくていいし、出す義務も生じない。第一そんなことを義務付けたら強制徴収になってしまう。被災者だって強制徴収されて来た義捐金などむしろ迷惑に思うだろう。幸か不幸か、わが国は社会主義国ではないのだから、租税並の網をかける「強制カンパ」などはあってはならないのである。私自身は分相応のカンパをまだ続けているが、他人様に拠出を進言したことなどは一度も無い。それどころか、街頭での募金活動を見掛けた際には「淡い絶望感(というかもっと言えば不快感!)」さえ感じてしまう捻くれた年寄りなのである。だいたいが、なんだかんだの事務手続きばかりが優先され、それが「お役所仕事」というものか、せっかくの義捐金はなかなか被災者の手元に届かないというニュースを、我々はしばしば目にする。テレビで誰かが「少しくらい重複してもいいからどんどん支給しろ!」と怒って言っていたが、私もその意見に賛成である。お金は「今」必要なのであって将来のことはまた別の問題である。他でも「赤十字の役人の高収入」という話も以前耳にしたことがある。一方世間では「義捐金詐欺」も続出しているし、世の中「善意の人間」だけで構成されているわけでは毛頭ないのである。「カンパした人が人間的に優れていて、しなかった人は劣っている」などということは絶対あり得ない。生徒さん方にはそういう混み入った話までも少しだけ教えて上げるのが「教育」の果たすべき役割かも知れないと私は思う。 . . . 本文を読む

倒閣運動。

2011-05-21 14:42:33 | 政治
管以外の誰を首相の座に据えても今以上に政治が悪化することはないから、この際(大連立でも何でもいいから!)一刻も早く管を叩き出せと、私は随分前に主張したと思う。政治家としての才能はなくても面の皮の厚さだけは一流の管は、自分からは絶対辞めない。深夜記者団を前にマジで「私はあなたとは違うんです!」とぶち切れた福ちゃんとはえらい違いだ。流石「一度はてっぺんに登りたかった(!)」と公言するだけのことはある。だが「倒閣運動」というものが俎上に乗って来る気配は一向に感じられない。管を降ろしたい人間は永田町にも少なくない筈だが、各派各人の思惑がまちまちで大きな共闘関係が生じる形勢ではなさそうである。そんな彼らが仮に今「救国統一戦線樹立!」を口にしても管にせせら笑われるだけかも知れない。自公首脳も、自分たちが政権を奪取しても現政権以上の政策が実行に移せるという自信も抱負も持ち得ていないのだろうか。役人らにあれこれ指示してその御輿に乗っていることぐらいしか出来ないと踏んでいるのだろうか。確かに誰がリーダーになっても順風満帆とは行かない目下の情勢であるが、ただ外から文句を言うだけで満足なら「永遠野党」の社共と同じである。政治は結果責任。外野は単に外野でしかない。 . . . 本文を読む

予測図。

2011-05-20 14:44:55 | 社会
官邸に送られて来た緊急時の原発予測図ファックスを、管は自分でチラリと見ただけで、以後ずっと私用に供して来たことが暴露された。そこまでしてこのタコ親父は自分の「原発通」ぶりを自慢したいのだろうか? 東電はというと、二ヶ月以上も経って今回初めて津波の直撃を受けた時点での貴重な写真17点を公開した。彼らは一様に情報公開を嫌がっている。なぜだろうか。自分たちのやっていることに自信が持てないからだろうか。自分たちに出来る最大限のことをやって来たという自負があるなら、誰に恥じることなく「事実の公表」は可能な筈ではないか。そこにはスタンドプレーも点数稼ぎも要らない。そんなものは不要不急のお騒がせにすぎない。しかしながら我が政府・東電はその逆を行っている。それが今になっての殊更な「情報開示」であるが、これまでを見ていると「僕らはこんなにいい子ですよ。毎日良いことばかりをしていますよ♪」という類の自己PRばかりである。これでは正味が「事故PR」だけの胡散臭い連中ではないかと私には思われて来るのである。 . . . 本文を読む

新聞は世界平和の原子力。

2011-05-19 16:32:11 | web・メディア
「新聞は世界平和の原子力」というのは1955年の日本新聞協会の標語である。先日テレ朝のコメンテータが何気に紹介していた。55年というと私が6歳の年である。幼稚園だ。無論覚えてなどいない。先程ふと思い出して「標語 新聞は世界平和の原子力」で検索したらすぐ出て来た。中曽根だとか正力だとかが幅を利かせていた時代である。この標語は一見して「原発礼賛」の提灯言語であるが、今の新聞協会は(何も言っていないのだから)この件について反省も謝罪も一切していないのだと思われる。私は格別にこの件を非難・罵倒する立場にはない。ただ『原発推進派』を自称する東京都石原知事だって「見直しは必要」と認めている現在、この56年前の自らの足跡をまるで「何事もなかったかのように(!)」、無視・黙殺して通り過ぎることが自称「社会の公器」たる新聞の役割であるなどとは毛頭思われない。思えばこの件に限らず、メディアの基本は(戦前の大政翼賛報道然りで)「垂れ流し」なのではないか。我々が個々に記憶していないと彼らはじきに自らの言動を忘れ去ってしまうし、口が暇になると途端に何を言い出すかわからないという、そういう無責任な連中の集まりなのである。 . . . 本文を読む

平田オリザ。

2011-05-18 13:02:11 | 政治
平田オリザ(内閣参与)の韓国での発言が問題になっている。私はこの人間は管が「理工系出身の劇作家」ということで引っ張って来たのだったかな?と思ったがそれは別人で、鳩山内閣以来の民主党「(センキョ)演出担当」だったというのである。演出担当だからメディアがどう取り上げようと、本人は(管のために)良かれと芝居気たっぷりにしゃべった発言である。だから各メディアが「片言」を捉えて問題視したからと言って、枝野がそれを「知らなかった。本人に発言の趣旨と、それがどういう文脈で語られたのか確かめる」などと言うのは単なる逃げ口上に過ぎない。で、報道されたその内容だが「放射能汚染水の放出は線量も微少だったし、アメリカの強い要請を受けて流れたものだ」と笑いながら日本語で言っているもので、本人は恐らく管内閣を庇って「悪いのはアメリカだ。日本政府に罪は無い」と言いたかったのであって、普通そういう発言は「贔屓の引き倒し」と呼ばれるものである。それが見事に裏目に出たわけであるが、メディアの捉え方は私とは違って「日本政府の主体性」が無かった点を問題視している。これは問題の履き違えである。管が「俺が原発は一番詳しい」と個人プレーに走った結果が今回の大失態に繋がったとメディアは批判していた筈だ。それが今度は他国の助言を受容れる?となると「アメリカの言いなりだ。主体性がない」と逆のイチャモンをつけるのである。何でもかんでも文句さえつけていれば「世論の味方」の振りをしていられるのか!全く安直な奴らである。仮に当時のアメリカの助言が最善のものではなく不適切だったとしても、「じゃあ最初期の段階では何故他国の助言を無視したのか!?」という問題の説明には全然ならないわけで、逆に「その場凌ぎで行き当たりばったり」の政府~東電の対応を論証したに過ぎないことになる。彼はつまりは「自分は民主党のファンクラブだ!」と他国ではしゃぎまくっただけのお粗末な自称劇作家に過ぎないと私は思う。 . . . 本文を読む

『民主党』という名のブランド力。

2011-05-17 11:33:35 | 政治
毎年行っていた5月15日(日)の京都葵祭を、今年は単なるうっかりミスでパスしてしまった。気づいたのが当日の昼過ぎだったので、行って行けないこともなかったが行かなかったのである。報道に拠れば15日の京都沿道の人出は7~8万人だったということで、私の想定よりは一桁少なかった。次は7月の祇園祭である。これは暑い最中の祭なので道中歩いて廻るだけでも息切れして大変だが、私には一番見る甲斐があるのはこの祭りのような感じがする。秋の時代祭はイヴェントというかアトラクション(つまりは見世物ということである)的色彩が一番濃厚である。京都の桜を追い、紅葉を追い、雪景色を追い、更にはこれら京都三大祭りを追っているだけで一年は過ぎてしまうのである。ぁそ。尤も私は寒がりなので冬は行かないけどね。w*国会中継を見ていても何故か精彩というものが感じられない。野党側の突っ込みは不十分だし、管ら政府首脳の答弁も矢鱈饒舌な割りに無内容でおざなりである。従って議論は一向に白熱して来ないのである。彼らの主張は蒙昧で勘どころ(ツボ)を押さえておらず、これならテレビの民放各局の震災報道の方が遥かに充実感も臨場感もあるように思う。 . . . 本文を読む

人災・債権放棄。

2011-05-15 13:07:54 | 社会
5月14日(土)朝の読売テレビは「大島聖一教授の試算」を軸に原発の発電コストを検証していた。教授によれば原発廃棄物の墓場=六ヶ所村の維持経費まで加えれば、原発は安上がりどころか他の発電所に比べても一番高くつく発電法になってしまうというのである。「部外者には(わざわざ)コストを計算し難いシステム」を考案した経産省の試算では、原発の発電コストは1kw時?5円台と最小であるが、実際はその倍額の10円台と最大の費用がかかるということで、これがもし事実なら、鷺を鴉と言いくるめる類のけしからん話で「役人主導によるデマ・謀略・欺瞞」がまたひとつ大手を振って横行したことになる。教授のこの試算を別にしても、日本の原発は「老朽化」の問題も抱えている。日本は既に「古い原発の巣」になってしまっているのである。原発というものは「古くなったから廃止しましょう♪」といってもそうそう簡単にオシャカに出来るシロモノではない。「代替可能エネルギーへの切り替え」と同時並行的に古い原発の廃棄が急がれているのだとしたら、これもわが国のエネルギー政策にとっては由々しき事態なのである。原発を推進して来た自民党に所属する河野太郎議員も「原発見直し」を打ち出している一方で、民主党議員の中にもいまだ「原発断固推進」に拘っているアホも多いということである。この国の議員らはこれからは「原発推進か反原発か」の二者択一で色分けして貰った方が我々有権者にはわかり易くていいのかも知れない。いずれにしても「泣きっ面に蜂」というか、我々には難問山積の季節が当分(←でも当分ていつまで!?)続く模様である。 . . . 本文を読む