本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

噂の寅次郎。

2008-09-06 18:41:20 | 
今も小学校で教えているのかどうか、「嘘吐きは泥棒の始まり」という素晴らしい格言がこの国にはある。一方「嘘も方便」という処世に長けた人間の開き直りとも思しき格言(?)もあって、「狐狸の巣窟=自民党」では専らこちら専門である。奴らは我が国民を騙し欺くことで生業を立てているのである。最近「辞め方」の類似から度々話題になっている安倍ポンは病気で辞めたのではない。当時自民党は何と言っていたか。そんなことは言っていなかったじゃないか。「公約破りなど大した問題じゃない」と他ならぬ国会審議中に(!)公言した稀代のペテン師=小泉ポチの嘘八百然り、安倍ポン然り、福田も石破も一部メディアもみんな嘘吐きなのだ。小泉はこの国の貧富の差を致命的にまで拡大し、全国特定郵便局の経営を破壊し、国民唯一の財産たる郵貯をハイエナの餌食にしてしまった。言うこととやることが全く違うのである。安倍ポンは今でこそ「病気で辞めた」のが「定説」になっているが当時の自民党はこれを押し隠し本人も「小沢が話を聞いてくれないから辞めるのだ」と言いわけしていた。ときの総理大臣が病気で執務出来ないとなると、代理とか代行とか、とにかく早急に臨時の総理を立てることが法的にも迫られるが、これがどうにも嫌で「いや緊急入院などではない。国会まで数分で行けるところで療養し診察を受けているだけだ。ノー・プロブレムだ」と党を挙げて言い張り、医者にも口止めして、実質上の職務放棄の責任を小沢さんに向けたのだから悪質この上ないが、メディアは今では総じて「はあ?そんなことあった?」とそらっとぼけているのである。沖縄返還では密約を交わして身代金を払い、あまつさえ米原潜の放射能漏れまで我々にひた隠しにするとは、いったいこの国はどういう国だ!?「嘘吐きは泥棒の始まり」と言うなら自民党など霞ヶ関・財界と結託して国家の富を簒奪する「夜盗の群れ」ではないか。こんな「夜盗」には即刻「野党」になって貰うしかないのだ。(うまいっ!)福田の嘘は枚挙に暇がないし、石破に至っては総選挙目当てがあからさまで、津島派同僚からさえ「総裁選より鳥取選挙区だろ?」と揶揄されている。私がいつも言っているように政権交代のない民主国家などないのだ。世界中どこだって独裁政権は腐敗するのだ。公明もいい加減目を覚ませ。自民党の応援などしている暇があったら都議選の心配でもしろ!ってか、はあ? . . . 本文を読む

野党各党は奮励努力して『露出』せよ。

2008-09-05 15:49:06 | 政治
『拉致問題は私の内閣で解決する』と何の裏づけも根拠もなく大見得を切っていた福田の突然の敵前逃亡を見て、北は早速「新政権の意向を見届ける」として調査委員会の設置は見合わせるとにんまり笑って通告して来た。あらかじめ予想されたこととは言え、外交の手腕・手法では流石に向こうの方が一枚も二枚も上手である。大統領選挙を間近に控えると米国の対外政策は一気に緊張を煽る方向へ向かうから、それを見越して北は身の程知らずにも俄然強気に出て世界の覇者と対等に渉り合うのだが、他方我が政府はと言えば戦後一貫して「忠米・滅私奉公」の路線から抜け出せないでいるのだ。腑抜け腰抜け太鼓持ちと嘲笑われてもいいと言うのだからしょうがない。これでは交渉する前から勝負はついている。かかる自公の外交政策では我が国はますます対外的な神通力(?)を失い、それどころか諸外国から一方的に舐められるだけの「老人国家」に転落して行くしかないのだが、それを知ってか知らずか、拉致被害者家族会は馬鹿の一つ覚えで「政府に頼るしかない」と言い続け、他方財界などは「対米輸出さえ好調ならばノー・プロブレム」というまさにノー・天気な情勢分析を基本として恥じない。しかしこと外交に限らず諸悪の根源は何を隠そう、「独立国」が聞いて呆れるその「忠米政府」なのだ。ポチ以来この国に何かいいことが一つでもあったかどうか考えてみるがいい。折りしも平成13年12月19日に小泉ポチによって任命された横尾和子なる最高裁判事は、来るべき総選挙の際社会保険庁長官時代の旧悪が暴かれ露呈するのを恐れ、任期を2年以上残して早々と退官してしまった。悪い奴は逃げ足も速いのだ。こうして、我々無力で無能な一般国民は、悪徳裁判官にX印を付けるというささやかな楽しみまで奪われてしまったのだ。 . . . 本文を読む

「テレビを見るな」とマキコさんは言った。

2008-09-04 18:16:41 | 政治
さっき読み返してみてわかったことだが、昨日は飛田で見た熊本を舞台にした映画の影響か「大分の教員汚職」と書くべきところを「熊本」と書いてしまってずっと気づかずにいた。あちゃ。映画は哀川翔主演の「平成版トラック野郎もの」で水前寺清子とかも出ていたりして、菅原文太の方は私はあまり好きじゃないけどこっちは一風変わった作りでけっこう面白かった。さて「高鳥尽きて良弓蔵(しま)わる」ということか、日本中を席捲した女子ソフトボールだったがロンドンオリンピックからこの種目は排除されるため、規定上助成金が億単位から一気に300万円程度にまで減額されるそうだ。この金額を全国に振り分けたらどれ程の効果が出るのか知らないが「あっそ、競技自体がなくなるんだからメダルはもう取れないわけか、だったらあんた方はもう用済みだ、強化したってしょうがない、はいご苦労さん」といわんばかりのこの冷淡さには呆れるしかない。仮に8年後12年後にソフトボールの復活がなったらそのときは再び1億円の強化費用をつけてやればまた強くなるサ、という程の認識だろうか。これって農水省の農業対策そっくりだね。相撲界では貴乃花親方が「二人を信じているが、もしクロだったら秋場所中止も止むを得ない」とぶち上げたそうだが、これは事実上北の湖理事長への退陣要求及びその後釜へ真っ先に名乗りを上げた発言のように私には受け止められた。聞く側が無理矢理言わせた感もあるが、自分に答える気がなければ「仮定の質問には応じられない」と逃げるのが普通で、何も進んで事後策をアピールする必要はない。秋場所の中止ということになれば50億円超の減収になるということであり、いくら北の湖理事長でも頬っかむりは無理だ。・・この二つの話題だが、スポーツとは元々そういうものか、どちらも金絡みである。そういうわけで今日は昨日の続きを敢てひとくさりってか、ぁそ。 . . . 本文を読む

駕籠に乗る人担ぐ人。

2008-09-03 20:33:42 | 政治
「駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」というのだそうである。もっと端的に「蛙の子は蛙」という言い方もあって、要は子が親の職業を世襲で引き継ぐ「身分制社会」の謂いだ。いつも例に引くようにインド・カースト制の下では例えば親子何代にも亘ってお屋敷の門番の子は永代門番なのであるから、そしてそれで食って行けるというのだから有難いことだというか何と言うか、この点だけを見れば蟻や蜂の社会と似ていると言える。現在の我が国にあっては無論「士農工商」の厳然たる身分区別などないから、就業が事実上固定されているとしても、それは利権なり旨味なりが先験的排他的にほぼ確定している職業に限定されての話となる。世襲は「儲かる」「食える」職業でしか発生しない。いわゆる「車夫・馬丁の子」が好んで世襲することは稀で、ジュリアン・ソレルではないが彼らは往々にして「下層社会」から這い上がろうと必死の努力をするのである。ざっと見てどうだろう、医者、酒屋、代議士、大企業の経営者とあと、教師等公務員も割合世襲が多い。これに拘った大分の教員採用汚職がいい例だ。教職が儲かるとは言わないまでも、犯罪に手を染めたりしなければ収入と身分は生涯安定しているから魅力ある職業の一つだろう。これまでの日本は「貧富の差」といっても欧米や他のアジア諸国と比べて遥かに小さい平板な社会構成だったが、小泉・竹中の自称「構造改革」は極めて短期間にこれを破壊し尽くし、あろうことか貧乏人はますます貧乏に、一部金持ちをますます富み栄えさせてしまったのである。日本国中の商店街にシャッターが降りてしまうことなどかつて誰かが想像し得たろうか。「糊口を凌ぐ細々とした商売」までもが成立し難くなってしまったのである。我が国政に目を向けると、そこでは与野党を問わず世襲議員が半数以上いて、これは国際的に見ても異様な光景らしい。世襲が多いということは親が他の職種に従事していればその子弟が異業種に参入する門は狭く閉ざされているということであり、政界だけを見ればこの国は半ば身分制社会だと言っていいのである。身分制社会は通常民主主義社会と呼ばれる資格は持たない。年金、介護、医療、国民目線、ガソリン税、給油、拉致と今日も様々な言葉が飛び交い「かつ消えかつ結びて」いるが、これも身分制社会の一種たわごとかと思うと、改革へ向けた吾等の熱意が何やら急速に萎えて来はしないか。笑。 . . . 本文を読む

福田辞任。

2008-09-02 17:25:32 | 政治
「まるで他人事のようにおっしゃっていると言われていますが・・」と『中国新聞』某記者に冷ややかに切り出された福田は余程ムカッと来たのか「私は自分を客観的に見ることが出来るんです。あなたとは違うんです」と即座にやり返して一座をあんぐりとさせた。あれでは質問した勇気ある記者はアホ扱いだったが、福田だって記者だって誰だって「自分を極力客観視しようと務める」ことくらいはそりゃたまにはあるだろうが(笑)それが実際に出来るかどうかはまた別問題だろう。第一あーた、自分で勝手に切れて勝手に自己分析しているが、深夜10時前の突然の辞任会見の席上で仮にも一国の総理が逆切れしていていいのか。そんな一人芝居に現を抜かしている場合じゃないだろう。一ヶ月前は「安心実現内閣」との触れ込みだった。野党の抵抗を受けて(と本人は言っている)安心は実現されなかった。安倍ポンの残した閣僚を丸ごと引き継ぎサミットの議長も務めて先月ようやく「自分色に」(←つまりは改めて各派閥の領袖に総動員をかけ『挙党一致』の体制を作って)「内閣改造」したばかりだったのにそれでも辞任なのである。自民党は今度こそ終わったってか。ぁそ。結果またしてもセンキョの洗礼を受けない盥回しの総理が三度生まれる雲行きだが、これこそが全体として『政治空白』そのものなのである。 . . . 本文を読む

パクス・アメリカーナ。

2008-09-01 18:35:45 | 世界
今日の大阪は暑いとは言え一時のちりちり焼け付くような暑さとは違いあくまで「残暑としての猛暑」に見舞われているのであるが、さて、私は今日は「パクス・アメリカーナ」(←これは元々は「パクス・ロマーナ」から来ている)というテーマで格調高く(?)一席ぶつ予定なのである。あっそ。私がこの言葉と最初に出会ったのは高校生の頃で今から四十年以上前という計算になるから、私も随分長いこと生きて来たものである。「あの頃は良かった♪」なんちゃって、泣けて来るってか、とほほ。で、これは(スペルなんて知らないけど!あっちゃ)ラテン語であって文字通りには『アメリカの平和』という意味である。つまり事の善悪はさておいて『アメリカの覇権(ヘゲモニー)』があればこそ、曲りなりにも現在の世界は均衡を保ち得ているという意味だ。「なんや今も昔も一緒やんか!?」と言われればまさにその通りで、第二次世界大戦以降の世界は基本的にはアメリカ一国が牛耳っていると言っていい。『アメ様』こそが我々みんなの親分・親方様なのである。で、この言葉を「いいだもも=本名飯田桃」というさる偉いお方が私の田舎へ広めに来たと思って下され。この人は新日本文学会系を出自とする作家だが、私は自慢じゃないけど彼の小説は読んだことがない。あちゃ。共産党を除名になって以降はいわゆる『構改(構造改革)』系の論客として『思想の科学』とかで活動し『べ平連』(←『ベトナムに平和を!市民連合』の略)のバックボーンの一人になっていた人だ。ここに「構改派」とは革命で一気に世直しするのではなく、少しずつ少しずつ世の中の仕組みをいじってより良い社会へ変革して行こうという温厚な?思潮が当時からあったわけである。(やあしかし、昔を知らない人にいちいち言葉の定義から説明するのは大変だね。汗。)この人が夏休みの或る日、シンパに招かれて公民館かどこかにベトナム戦争の話をしに来た。集会のメインだった筈の講演の中身とかはすっかり忘れてしまったが「パンチカードで送り出されたアメリカの青年たちが・・」という片言隻句だけを私は今なお記憶しているのである。「パンチカード」というのは当時のコンピューターの唯一の記憶媒体で、ロール状の紙テープにポチポチ穴を開けてデータを記録し、無論後で読み出すことも可能というものだった。カセットテープを使った「データレコーダー」の出現する以前の話である。 . . . 本文を読む