本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

パクス・アメリカーナ。

2008-09-01 18:35:45 | 世界
*アメリカはもう「世界の家父長」「世界の憲兵」として君臨することにほとほと疲れ果ててしまったんだ、それどころか世界の棟梁の座からはこの際きれいさっぱり降りてしまって、政治的にも経済的にも世界支配が「多極化」されることを目指しているんだ・・というのが毎度お世話になっている田中 宇さんの主要な論点のようだが、私見によれば「降りたくもあり降りたくもなし」という相反する願望が拮抗して我が親分の国内では渦巻いているのではないかという感じがする。
 今回彼の「覇権の起源」の第二弾が手元に配布されて来たが、私は力作だった第一弾もまだろくすっぽ読んでないから正直おろおろと焦ってしまうのである。あっちゃ。

 「世界は一家人類は兄弟」という標語から私は住之江競艇場しか連想しないお粗末な想像力の初老老人だが、さて、あれはそもそもだれの発案なのだろうか?
 仮に人類60億の人間を2億人ほどの人間がほぼ牛耳り差配していたとして別段驚くには値しない。サル山には必ずボスザルがいるように、宇宙船地球号にもボスがいて不思議はない。我々の社会は犬や猿の群れ社会と大差ないと私は思っているし、どっちが高等高尚かは一概には言えない筈だとも思っている。

 次期米大統領民主党候補のオバマさんに過度の期待は禁物だが、逆に共和党のマケイン候補は保守本流からは不評を買うほどリベラルな人らしいから、どちらが当選しても今より悪くなることはないと私は楽観している。

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 で、以下は第一弾「覇権の起源」からの、私のランダムな引用である。(遺憾ながら正確な「要約」などでは毛頭ない。): ↓

1.覇権とは「武力を使わずに他国に影響力を持つこと」である。

2.傀儡政権は、国民にとって必ずしも悪いものではない。東条英機よりマッカーサーの方が良い行政をすると当時の日本人の多くが感じ、日本は自主的に米の傀儡になった。米軍侵攻直後、イラク人はフセイン時代より生活が好転すると期待したが、実際にはむしろ生活はひどく悪化したので、イラク人は反米になった。

3.今の世界で、反米を掲げている国以外のあらゆる国の政府は、米政府筋から何か非公式に忠告や批判をされたら、それがいかにやんわりと曖昧としたものであっても、かなり強く重視するはずである。これが覇権の関係である。

4.民主主義、主権在民が国家の理想の姿であるというのが近代の国際社会における建前であり、ある国が他国を武力で脅して強制的に動かす支配の手法は、被支配国の民意を無視する悪いことだ。

5.最近の覇権国である中国やロシアは、英米ほど諜報が強くない。代わりに中露は、経済的な支配力を使って覇権を行使している。

6.人類史上、初めて世界的な覇権を構築したのはイギリスである。1815年にナポレオンを破ってから、1914年に第一次大戦が始まるまでが、イギリスの覇権期(パックス・ブリタニカ)だった。

7.15-16世紀、スペインとポルトガルが大航海によって世界帝国を作ったかに見えるが、彼らは世界のいくつかの港湾拠点を帆船でつなぎ、年に何回かの航海をしていただけで、多くの国々は、スペインやポルトガルと関係なく存在していた。中国には欧州より豊かな明・清の帝国があったし、中東経由の陸路でアジアに行く貿易路はオスマントルコ帝国が支配していた。

8.英は、世界で最初に民主主義の理念を開発した国である。1215年の「マグナカルタ」で貴族と王家との権利義務関係が文書化され、国民(臣民)と王家との権利義務関係も1628年の「権利請願」にさかのぼる。英は、自国が民主主義を政治の建前とする以上、他の欧州諸国の民主主義も尊重し、英が他国を露骨に支配する方式を避けた。財政的にも、戦争ではなく諜報や外交の政治謀略で覇権を取った方が有利だった。

9.英蘭が相次いで東インド会社を設立し、対アジア貿易を強化し始めた1600年には、まだ欧州とアジアとの貿易の4分の3は、中東経由の陸路だった。しかし100年後の1700年には、アジア交易のほとんどは、英蘭の船舶によるものになった。100年で世界貿易の主役が交代し、中東の没落が始まった。

10.欧州における英の覇権体制の基本方針は・・(1)英の海上貿易の利権を守ること(2)欧州内では覇権的な隠然支配体制を組む一方、欧州外の世界に対しては植民地支配によって、宗主国としての経済利権を享受する、という2つの方針のほかにもう一つ(3)欧州内でどこかの国が圧倒的に強くなって英を打ち負かさぬよう、複数の国が同盟して英を潰しにかからぬよう、欧州大陸諸国を常に拮抗した力関係の中に置いておくという「均衡戦略」(バランス・オブ・パワー)の方針があった。

11.英が均衡戦略を必要とした直接的な理由は「フランス革命」だった。
  フランス革命を発端に、世界各地で起きた国民国家革命は、人々を、喜んで国家のために金を出し、国土防衛戦争のために命を投げ出させる「国民」という名のカルト信者に仕立てた。権力者としては、国民に愛国心を植え付け、必要に応じて周辺国の脅威を扇動するだけで、財政と兵力が手に入る。国民国家にとって教育とマスコミが重要なのは、このカルト制度を維持発展させる「洗脳機能」を担っているからだ。

12.・・愛国心に満ちた仏国民は、進んで国のために兵士になって死に、兵士にならない者は喜んで税金を払って戦費を負担した。ナポレオンが指揮する仏軍は圧倒的に強く、10年ほどの間に、今のスペイン、オランダ、イタリア、ドイツ、スイス、ポーランドなどにあたる地域を征服した。

13.産業革命によって、人々の大半が従事のすべき仕事は、農業から工業に代わった。ここにフランス革命を筆頭とする国民国家革命、もしくは上からの政治改革・農奴解放が重なることで、農村の土地に縛られていた農民は、都会に流入して労働者となり、工業生産活動と納税を行う市民となり、産業革命が順調に進んで経済発展した国では、消費者にもなった。資本家としては、貧農が国民の大半を占める国ではなく、中産階級になるかもしれない労働者市民が大半の国に投資した方が儲かる。

14.英覇権体制は、欧州大陸諸国の一つであるドイツが、後発の産業革命によって1890年代に英自身を上回る産業力・軍事力を持つにいたり、独を封じ込めようとした英の策略が失敗して第一次世界大戦が起きたことで終焉した。

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 ・・とまあ、ざっとこんな感じで、個々細目には異論があるが、大筋納得で筆者には敬意を表したい。メディアに巣食うアホたちはいい加減な能書きを言う前にまず田中氏の爪の垢でも煎じて飲むべきだ。後半は西欧近代史のおさらいみたいだったが、良きにつけ悪しきにつけ我が『近代』なるものは西欧主導で展開されてしまったのである。

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給油継続を希望=米下院議長が河野衆院議長に
jiji.com

 河野洋平衆院議長は1日午前、来日中の米国のペロシ下院議長(民主党)と国会内で会談した。ペロシ氏は、海上自衛隊のインド洋での給油活動について「非常に高く評価しており、民主党だけでなく共和党も含めた米国全体として感謝する。今後も継続することを希望する」と述べ、臨時国会での新テロ対策特別措置法の延長に強い期待を示した。(2008/09/01-12:27)

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cf.いいだもも
cf.覇権の起源

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