本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

駕籠に乗る人担ぐ人。

2008-09-03 20:33:42 | 政治
「駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」というのだそうである。もっと端的に「蛙の子は蛙」という言い方もあって、要は子が親の職業を世襲で引き継ぐ「身分制社会」の謂いだ。いつも例に引くようにインド・カースト制の下では例えば親子何代にも亘ってお屋敷の門番の子は永代門番なのであるから、そしてそれで食って行けるというのだから有難いことだというか何と言うか、この点だけを見れば蟻や蜂の社会と似ていると言える。現在の我が国にあっては無論「士農工商」の厳然たる身分区別などないから、就業が事実上固定されているとしても、それは利権なり旨味なりが先験的排他的にほぼ確定している職業に限定されての話となる。世襲は「儲かる」「食える」職業でしか発生しない。いわゆる「車夫・馬丁の子」が好んで世襲することは稀で、ジュリアン・ソレルではないが彼らは往々にして「下層社会」から這い上がろうと必死の努力をするのである。ざっと見てどうだろう、医者、酒屋、代議士、大企業の経営者とあと、教師等公務員も割合世襲が多い。これに拘った大分の教員採用汚職がいい例だ。教職が儲かるとは言わないまでも、犯罪に手を染めたりしなければ収入と身分は生涯安定しているから魅力ある職業の一つだろう。これまでの日本は「貧富の差」といっても欧米や他のアジア諸国と比べて遥かに小さい平板な社会構成だったが、小泉・竹中の自称「構造改革」は極めて短期間にこれを破壊し尽くし、あろうことか貧乏人はますます貧乏に、一部金持ちをますます富み栄えさせてしまったのである。日本国中の商店街にシャッターが降りてしまうことなどかつて誰かが想像し得たろうか。「糊口を凌ぐ細々とした商売」までもが成立し難くなってしまったのである。我が国政に目を向けると、そこでは与野党を問わず世襲議員が半数以上いて、これは国際的に見ても異様な光景らしい。世襲が多いということは親が他の職種に従事していればその子弟が異業種に参入する門は狭く閉ざされているということであり、政界だけを見ればこの国は半ば身分制社会だと言っていいのである。身分制社会は通常民主主義社会と呼ばれる資格は持たない。年金、介護、医療、国民目線、ガソリン税、給油、拉致と今日も様々な言葉が飛び交い「かつ消えかつ結びて」いるが、これも身分制社会の一種たわごとかと思うと、改革へ向けた吾等の熱意が何やら急速に萎えて来はしないか。笑。 . . . 本文を読む