本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

図書館。

2008-01-11 11:09:44 | 社会
街を行くと『公共心』『公衆道徳』などというものがいったいまだこの国に些かなりとも残っているのかどうか、極めて疑わしい光景に出くわすことも少なくないのであるが、さて『特ダネ!』のオープニングを少し見たら、小倉さんが住んでいる練馬区の図書館の話をしていた。貸し出した蔵書に切り取りや書き込みの被害が絶えないので、防衛上貸し出しの追跡調査が可能なように手段を講じたというのである。図書館法では個人情報保護の観点から個々人の借り出し履歴は消去されるよう定められているが、これを改めようというのである。返却された際のチェックを厳しくすれば本が不当に傷めつけられる事態は防げるというのだが、実務としてはここも人手が足りないのである。例えば大阪中央図書館などでは返却図書を所定の書架に戻す時間すら取れずそのまま専用ワゴンに積んで貸し出しに回している。小倉さんは図書館を利用することはあってもここ20年来本を借りたことはないと言っていたが、私はというと、ときどき思い出したように図書館へ行き、行けばかなりの頻度で目に付いた図書数冊を借りて来る人間なのである。で、あれはどういう種類の書籍だったか、中程の或るページが鋭利な刃物ですっぱり切り取られているのを発見して、少なからぬ衝撃を受けたことがあった。ページの一部を切り取られた書物は無残である。私は返却の際その事実を受付の人に報告したら、彼女はその本を別の範疇に撥ねていた。もうあの本は誰にも貸し出されることがなくなったのだろうか。私は自慢ではないが本は大事に扱うタイプで、切り取り・書き込みなど論外と思っているが、そのココロはというと「売るときのことを考える」という若い頃の習性が(今は「本を売る」ことなど皆無であるにも関わらず)染み付いてしまっているのが第一の原因であると思われる。「マイカーの車内では決して喫煙しないし、同乗者に喫煙させない」という人もいるようだが、これも「買い替えで売る場合の査定を考えて」のことである。このようにみんな自分の所有物や自分にとって直接大切な事物・人物はそれなりに大事に扱っているようだが、これが公共の事物・他人の所有物になると事態は一変して、まるで乱雑に取り扱わないと損だと言わんばかりの傍若無人の対応が日常的になされている。これは政治家・官僚・大企業らがこぞって私利私欲に走っている風潮と無縁である筈がないと私は思うのだが。 . . . 本文を読む