秦野、二宮、大磯、中井にものもうす~問題点検証します!

わが町の問題点をあきらかにし、住みよい町つくり。

小田原に提灯復す真夏かな

2020-09-01 00:18:29 | 日記

台風破損 小田原駅の大ちょうちん
「パワーアップ」して復活 
巻き上げ機能を追加
8/31(月) カナロコ 

小田原駅の東西自由連絡通路上に再び設置
された大ちょうちん。山﨑さん(右から
4人目)が修復を手掛けた=小田原市

昨秋の台風19号で破損した小田原駅東西自由
連絡通路の大ちょうちん(高さ約4・5メートル、
直径約2・5メートル)が修復され、29日に
再び設置された。神奈川県小田原市の関係者や
同駅に乗り入れる鉄道5社の駅長・管区長らが
復活した街のシンボルを笑顔で見上げた。

【写真】台風19号の暴風で破損した
小田原駅の大ちょうちん

修復は、市内に唯一残るちょうちん店の5代目・
山﨑高史さん(50)が手掛けた。大ちょうちん
は先代の父・勇さん(故人)が作ったもので、
山﨑さんは「父が苦労した大ちょうちんを復元
でき、無事につり下げられたのを見て、ほっと
した」と話していた。

修復完了記念式典で守屋輝彦市長は「大ちょう
ちんがパワーアップして戻ってきた。小田原を
新しく照らしてもらえれば」とあいさつ。JR
東日本の小野俊幸駅長は、修復中に鉄道5社と
乗客らで折り鶴の大ちょうちんを作った取り組み
を紹介し「ここで本物の大ちょうちんにバトン
タッチしたい」と笑顔を見せた。

大ちょうちんは小田原ちょうちんをモチーフに
東西自由連絡通路が完成した2003年に市民
団体が寄贈。長く親しまれていたが、台風19号
の強風で火袋(胴部分)を覆う和紙が破損した。
修復作業では破損を教訓に、厚い和紙を二重に
張り、表面に防水加工を施すなどした。手動に
よる巻き上げ機も追加し、台風が直撃しそうな
場合は事前に畳めるようにした。

知ってますか、小田原の路面電車 
64年ぶり「帰郷」の輸送費ネットで募る
8/31(月) カナロコ

(写真:神奈川新聞社)

かつて神奈川・小田原の街を走っていた路面電車
を64年ぶりに「帰郷」させようと、地元有志が
奔走している。新天地の長崎で現役を終えた車両
の保存場所を用意し、輸送費用を工面するため
クラウドファンディング(CF)をスタート。
目標額500万円を集めるため、広く支援を呼
び掛けている。

【写真でチェック】長崎市内を走行する
かつての202号(19年3月)

「小田原ゆかりの路面電車保存会」(小室刀時朗
会長)が帰郷を計画しているのは、1952年か
ら56年まで小田原の市街地を走り、その後、
2019年まで長崎市の路面電車「長崎電気軌道」
で活躍していた「小田原市内線モハ202号」
(長崎電気軌道151号)。市内線で現存する
唯一の車両で、昭和の城下町を知る「生き証人」だ。

19年3月にこの車両が引退し廃車になることを
知った小田原の鉄道愛好家らが、保存を目指し、
同社に譲渡を申し入れた。車両にアスベストが使
われている可能性があったことから一度は断られた。
しかし、その後不使用が確認され、今年2月には
譲渡先の一般公募が始まった。

これを受けて再び地元有志が立ち上がり、行政や
経済界も巻き込んだ「オール小田原」で取り組ん
だ結果、同4月に譲渡先に選ばれた。輸送・保存
に向けた準備を進めるため、小田原市内外の鉄道
愛好家やまちづくり関係者らで同会が設立された。

設置場所は、まちづくり会社「報徳仕法」が来年
2月にオープンする観光・交流施設(同市南町)
内に確保したが、最大の課題は長崎からの輸送費。
長さ11メートル、幅約2・3メートルで重量
約15トンの車両をトレーラーと船で運ぶため、
約700万円が見積もられている。

そこで広く支援を得ようとCFに踏み切った。
21日から始まり、期限は9月25日で目標額
は500万円。小室会長は「小田原に64年ぶり
に帰る路面電車をぜひ市民に知ってもらい、次の
世代に伝えたい」と協力を呼び掛けている。協力
者には寄付額によりピンバッジや絵はがきなどの
鉄道グッズ、小田原名産品などの返礼品を贈る。

同会は車両設置後、良好な状態での保存に努め、
車内での写真展示などのイベントも企画していく。
また、次世代型路面電車システムであるライト
レールトランジット(LRT)を市内に導入する
ための起爆剤にもしたいとしている。

資金協力は専用サイト(http://readyfor.jp/projects/
odawara_chinchindensha)へ。

◆小田原市内線 1888年に国府津─小田原
間の馬車鉄道として開業。1900年に路面電
車の運行を開始し、19年までに箱根湯本まで
延伸し、箱根登山電車に接続した。その後、運行
区間を縮小・変更し、35年からは小田原─箱根
板橋間となった。自動車の交通量増加のため56年
に全線廃止された。

山下公園の「インド水塔」 
建造当初の姿に修復へ
8/31(月) カナロコ

修復されることが決まったインド水塔
=横浜市中区の山下公園

関東大震災で被災したインド商人が横浜市に
寄贈し、約80年前に山下公園(同市中区)に
設置された水飲み場「インド水塔」が修復され
ることが30日、関係者への取材で分かった。
水が出ないなど老朽化が進んでいたが、在日
インド人にとっては心のよりどころになって
いた交流の象徴。市は3年後の震災100年
に建造当初の姿によみがえらせる方向で計画
を進めている。

横浜はインドとの縁が深く、開港期から生糸や
絹製品を扱うインド商人が市内に集住、中区
山下町には商館が軒を連ねていた。1923年
9月1日の関東大震災では山下町が壊滅的な
被害を受け、多くのインド人が被災し、28人
の犠牲者が出たという。

異国の地で被災したインド人に、大勢の市民が
救済の手を差し伸べた。市は業界団体の日本
絹業協会に低金利で融資し、山下町の焼け跡
にインド商人向け店舗兼住宅を整備。これを
受け、横浜に復帰したインド商社は震災復興に
貢献した。

インド水塔は当時の援助に感謝の意を伝えよ
うと、横浜インド商組合が39年に市に寄贈
した。あずまやはイスラム教寺院のような特徴
的な外観で、天井の装飾部は色とりどりのタイル
を使用したモザイク模様が施されている。市内
近代建築で唯一のインド関係遺構で、市の歴史
的建造物に認定されている。

ただ、中心に据え置かれたインド式水飲み場は、
長年水が出ずに枯れた状態が続いていた。昨年
9月の台風15号では、あずまやの青銅ドーム
の一部が損壊。市は本年度から、経年劣化し損傷
した箇所の調査と耐震化に向けた検討を始め、
3年越しで修復することにしている。

横浜インド商組合の流れをくむ公益財団法人在日
インド商工協会(同市中区)の代表、ジャグモ
ハン・スワミダス・チャンドラニさん(67)は
「インド水塔は横浜とインドの交流の歴史の象
徴であり、私たちの心のよりどころ。修復して
もらえるのはうれしく、感謝の気持ちでいっぱい」
と話し、喜びを隠さない。

インド水塔前では毎年9月1日、日印両国の
関係者が集い、発生時間の正午前に黙とうを
ささげている。日印交流団体「ディカバーイン
ディアクラブ」(同区)代表で両国の交流に
長年携わる金子延康さん(66)は、「式典は
震災で犠牲になったインド人への追悼と鎮魂の
思いを込めている」と説明。関東大震災のがれ
きで埋め立てられた山下公園の歴史を踏まえ、
被災者に思いを寄せているという。

今年はコロナ禍で式典の規模を縮小するが、
金子さんの思いは尽きない。「近年はインド
出身のIT技術者らが横浜で活躍している。
インド水塔を後世に残し、インドと横浜の交流
をさらに発展させたい」

水上バイクけん引の遊具から海に転落、
33歳男性が重傷
8/31(月) カナロコ 

30日午後2時ごろ、横須賀市久里浜7丁目のペリー
公園前の海上で、鎌倉市の男性(33)が水上バイク
が引っ張る遊具から海に転落した、と119番通報が
あった。

横須賀海上保安部などによると、男性は脊椎損傷の
重傷を負い病院に搬送されたが命に別条はないという。

医療従事者応援、疫病退散願い花火 横須賀
8/30(日) カナロコ 

市民病院の屋上で地域住民からの感謝の
花火を見上げる医療スタッフ
=29日夜、横須賀市長坂

新型コロナウイルス患者の治療を担う横須賀市立
市民病院(同市長坂)がある同市西地区で29日
夜、医療従事者への感謝と疫病退散を願う花火が
打ち上げられた。武山、長井、大楠の連合町内会
などが協力し合い、経費は全て地元住民らで賄っ
たという。

打ち上げられた花火

午後8時から約5分間、約150発の大小さま
ざまな花火が夜空を彩り、病院の屋上などから
医師や看護師らが打ち上げの様子を見上げた。
感染病棟担当の女性スタッフ(27)は「緊張の
日々が続く中で、今夜は大きな元気と勇気をもら
った」と話していた。

毎夏恒例の同地区納涼花火大会は中止としたが、
「日頃お世話になっている市民病院を応援したい」
と実行委員会を解散せず準備を進めてきた。
「密を避けるために広報は見送り、周辺住民
への必要最低限の連絡にとどめた」という。

横浜駅構内エスカレーターで発煙 
東横線、みなとみらい線が一時運転
見合わせ、1万人に影響
8/30(日) カナロコ 

みなとみらい線(資料写真)

30日午後8時5分ごろ、横浜市西区の東急東横線
横浜駅構内で「エスカレーター内部から煙が出て
いる」と、男性駅員(56)から119番通報が
あった。

同市消防局によると、消防車など36台が出動。
煙は約40分後におさまった。けが人の情報は
ないという。

東急電鉄によると、同線と横浜高速鉄道みなと
みらい線は、菊名─元町・中華街間の上下線で
同25分ごろから約1時間45分にわたり運転を
見合わせた。計62本が運休、乗客約1万人に
影響した。

中東派遣3陣 横須賀から護衛艦
「むらさめ」が出航
8/30(日) カナロコ 

情報収集活動のため中東海域へ向けて出航する
護衛艦「むらさめ」
=30日午前10時半ごろ、海自横須賀基地

中東海域を航行する日本関係船舶の安全を確保す
るため、同海域で情報収集活動を行う海上自衛隊
の護衛艦「むらさめ」が30日、海自横須賀基地
(神奈川県横須賀市)を出航した。防衛省設置法
で規定されている「調査・研究」に基づく水上
部隊の第3次隊として、9月下旬から不審船警戒
などの任務に当たる。

出航前の式典に臨む「むらさめ」の乗員たち

むらさめが向かう中東のオマーン湾とアラビア
海北部では現在、第1次隊の「たかなみ」に続
いて、第2次隊の「きりさめ」が活動している。
昨年6月にはホルムズ海峡付近で日本の海運会社
が運航するタンカーが砲撃を受ける事態が発生し
たが、防衛省によると、情報収集活動を開始して
以降、活動海域では7月までに特段の異常は確認
されていない。

出航前の式典で、自衛艦隊司令官の湯浅秀樹海将
は「1次隊、2次隊が積み上げてきた実績を引き
継ぎつつも、柔軟かつ大胆な発想で試練や困難に
果敢に挑戦し、最善の道を選択できるよう努めて
もらいたい」と訓示。現地で指揮を執る第1護衛
隊司令の平井克英1等海佐ら乗員約200人を激励
した。

新型コロナウイルスの感染を防止するため、今後
は日本近海で14日間待機し、乗員のPCR検査
を実施してから活動海域へ向かう。現地での上陸
は行わない見通し。

ありがとう、としまえん 
1世紀の歴史に幕「最後まで楽しま
せてもらった」
8/31(月) 毎日新聞

閉園の日を迎えた遊園地「としまえん」の回転木
馬「カルーセルエルドラド」の周囲に集まる大勢
の来園者
=東京都練馬区で2020年8月31日午後7時半、

1世紀近い歴史を誇る遊園地「としまえん」(東京
都練馬区)は31日夜、最後の営業を終えて閉園した。
長年にわたり、世代を超えて愛された遊園地。厳し
い暑さにもかかわらず、名残を惜しむ大勢の客が、
最後の思い出を胸に刻んだ。

【世界最古級の回転木馬ともお別れ】

コロナ禍にもかかわらず、来園者で連日にぎわうと
しまえん。この日も午前9時の開園を前に大勢がチケッ
ト売り場に列をなした。「今までありがとう」「お疲
れさま」。園内のメッセージボードは、感謝やねぎ
らいの言葉でいっぱいだ。

とりわけ人気を集めたのは、ドイツで1907年に製造
され、世界最古級とされる回転木馬「カルーセル
エルドラド」。開園から長蛇の列ができ、夕方は
待ち時間が2時間を超えた。エルドラドを背景に
スマートフォンで記念撮影をする家族連れやカッ
プルらも相次いだ。

約40年前から繰り返し訪れたという埼玉県新座市の
会社員、山下智幸さん(64)は孫、子との家族3世代
7人で駆けつけた。お目当てのエルドラドを堪能し
「最後まで楽しませてもらい、感謝しかありません」
と話した。小学生時代、毎日のようにプールに泳ぎ
に来ていた練馬区内の女性会社員(40)は「閉園す
るんだったら、もっと来ていればよかった」と話した。

連日午後8時から打ち上げられている花火もこの日
で見納めに。来園者は色とりどりの大輪を見上げ、
としまえんとの別れに思いをはせた。

としまえんは26(大正15)年9月開園。ジェット
コースターや大型プールが人気を博し、最盛期の
92年度には年間の来園者数が390万人を超えた。
2019年度は107万人だった。跡地には人気映画
「ハリー・ポッター」のテーマパークが23年前半
にオープンするほか、一部は防災機能を持つ都立
練馬城址(じょうし)公園として整備される。

 

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