1942年末、ソ連領・スターリングラードにおいて、
ドイツ軍は、戦死・捕虜25万名という大敗をしました。
戦線崩壊の危機です。
南東に位置していた、マンシュタイン将軍のドイツ南方集団は、
包囲の危機に晒されます。
マンシュタイン将軍は部隊を後退させ、包囲の危機は脱しましたが、
ソ連軍が後を追ってきました。
どこで、防衛線を張るべきか?
普通なら、部隊最強の「SS装甲軍」が、要衝ハリコフ近くにいますので、
ハリコフ防衛を命じます。ヒトラー総統もそのように命じてきました。
「SS装甲軍」は、ドイツ最強(というより世界最強)の軍団で、
ハリコフを相当、長期間、保持できたでしょう。
ただし、最終的には、この方面のソ連軍がドイツ軍より多いため、
ここで「押し合い」をしては、最終的にソ連の数に軍配があがったでしょう。
マンシュタイン将軍は、さらに大きく撤退を決意します。
大きく撤退をして、部隊をまとめたところに、フランス方面から、
増援にきた歩兵部隊が到着しました。
マンシュタインは歩兵部隊に、ソ連軍先頭の足止めを命令。
「SS装甲軍」やその他の機甲軍を大きく迂回運動を行い、
ついにソ連軍の側背の位置につきました。
ソ連軍を痛撃して、要衝ハリコフを奪回しました。
上空高くから見ると、数十万のドイツ軍が後ろから追ってくる数十万のソ連軍に
たいし、退却しながら「旋回運動」を行ってバックをとり、後ろから噛み付く、
という奇跡的な用兵でした。
格闘技で、一回転しながら、裏拳で相手顔面を強打する
「バックハンドブロウ」みたいだ、ということで、
「マンシュタインのバックハンドブロウ」と呼ばれています。
ある地点で相手の足止めをし、後方から機動力のある部隊が
敵の側面や背後に回り打撃する。
これは、「機動防御」=アクティブ・ディフェンス・ドクトリンとして、
現代のアメリカ軍に採用されています。