枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧暦・大晦日

2017年01月27日 | Weblog

 明日は、荒神さまに行く予定で帰宅する。外は雨で、雪にならなかったことに安堵。北の方角なので、雪だと出掛けられない。県北の雪事情は、厳しいもので、こちらに雪がなくても、北上するに従って、雪の積もった場所が増える。路面凍結に注意も。

 図書館に返却に寄る。宮部みゆきさんの江戸時代の物は、摩訶不思議なタイトルと、内容に惹かれるが、実は、現在にこそある話である。時代は変わると云われるが、意外と裏に隠れた事実のような気がする。近代化の時代にはそぐわない想いか。

 いつの時代にも、闇と光の部分は存在する。便利で簡単で、快適な生活ばかりでなく、豊かな者との格差が大きい。然も、国民の声は聴かず、自由と平等を穿き違えて、突っ走る者には、国の代表は任せられない。原発再稼動等、何を以ってだろう。

 化学の知識がないのは、学べばいいことだ。そうして分ったことに唖然とするばかり。こんな理不尽さはない。明るくも素晴しくもない、悲嘆の未来を生きていかなければならない、子孫の未来等、何を安全安心と言うのか。加えて、ツケを国民に払わす。

 わたくし達の子どもは、その犠牲にするためでも、戦争に行かせるためでもなく、普通の暮らしができればいい。何もかもを持っているのではなくても、我慢したり、分け合ったりすればいい。援けあえることを感謝し、命のあることを祈れる、ささやかな幸。

 リンカーン大統領は、人民の・人民による・人民の為の政治。と演説した。福沢諭吉は、天は人の上に在らず、人の下にも非ず、と明治政府の旗揚げをした。自由平等の名の元に政策を行うのは、人間として当たり前のこと。自分の利益だけではない。

 時の主導者の、何と傲慢な、思い上がりだろう。世界中の誰もが、裕福でいられる訳ではないから、大きな貧困の差が広がる。そこに災害起き、人類は負債ばかりを抱える。そうして地球の破滅を速めていく。わたくし達にできる、しなければならないこと。

 タミフルの副作用が怖くて、薬は呑まずである。自然療法で遣ってきたものが、効を発して風邪かな?くらいの症状である。昨年、服用して難儀をした。風邪は、万病の元というから、体調に気を配り、冬には寒い覚悟を、夏の暑さに慣れる。宮沢賢治だ。

 友人が持って来てくれた、晩生の通草。早生は、少し小振りであり、9月頃から熟れだす。傷みも早いので、焼酎に漬ける。

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