歴史修正主義者・国家主義者安倍晋三がNHKに送り込んだ東京裁判と南京虐殺否定歴史認識者百田尚樹が5月3日、都内開催の公開憲法フォーラムに出席した。安倍晋三のお友達である。その発言は基本のところで安倍晋三と共通思想で成り立っていると見るべきで、安倍晋三の声と聞いても、それ程外れてはいないのではないだろうか。
《憲法フォーラム出席の百田尚樹氏 「護憲植え付けたのは朝日」「NHKにややこしいのがいる」》(MSN産経/2014.5.3 20:52)
百田尚樹「『憲法は神聖にして侵してはいけない』という考えを植えつけたのは朝日新聞だ。憲法とは世界の状況や生活様式の変化によって変えていくものだ」
記事は、〈改憲に慎重な 朝日新聞を重ねて批判した。〉と解説しているから、これが初めての朝日批判ではないことが分かる。
百田尚樹の歴史認識発言を理由にケネディ駐日米大使がNHKの取材を拒否したと共同通信が報じたことに関しての発言。
百田尚樹「大嘘だ。NHKの中にややこしいのがいる。そういうのが共同の記者に語ったらしい」――
後段の発言を可能とした情報はNHKの内部の人物からか、NHKの内部の人物に通じている人物から受け取ったことになるが、どちらにしても最初の情報源はNHK内部の人物ということになる。
但し「語ったらしい」と推測となっているから、噂程度の間接情報といったところではないだろうか。
百田尚樹は「『憲法は神聖にして侵してはいけない』という考えを植え付けたのは朝日新聞だ」と批判しているが、日本国憲法に対してどのような立場を取ろうと、どのような思想を持とうと、
思想・信条・信教・言論の自由である。ましてや朝日新聞に於いても。
つまり、「世界の状況や生活様式の変化」に関わらず、変える必要がないと考える言論も存在してもいいし、その言論を批判したり否定したりすることは、これまた思想・信条・信教・言論の自由ではあるが、そのような言論を持つこと自体を禁じようとするのは、思想・信条・信教・言論の自由という観点から、決して許されることではない。
百田尚樹は「考えを植えつけた」と言うことで、思想・信条・信教・言論の自由の権利に反して朝日新聞の報道機関としての存在性を否定的に把えている。
これは露骨な言論の自由の抑圧とまではいかなくても、少なくとも言論の自由を抑えつけようとする欲求を働かせた精神の発動と見て取ることができる。
別の言葉でこのことを証明しよう。
基本的人権の一つとして保障されている言論の自由とは自身が表明したいと思う自身の思想・良心・信条等を誰の妨げも許さずに表明する自由を指す以上、自身の言論を共鳴者を求めて他者に植えつけようとする行為に他ならない。
このことをしなければ、自身の思想・良心・信条等を表明することにはならないし、表明自体が意味を失う。特に報道機関に於いてはこのことが最重要の役割となる。
勿論、強制的な植えつけは他者が持つ言論の自由を損ない、抑圧することになるゆえに許されない。
いわば基本的人権の一つとして保障された言論の自由に則って自身の言論を共鳴者を求めて他者に植えつけようとした場合、それが心理的にも物理的にも強制力を伴わない限り、どれ程に植えつけ、共鳴者をどれ程に獲得できるかは、その言論をどのように受け入れるか、相手次第の判断にかかっているということであり、その判断とは、言論の自由が保障している自身の思想・良心・信条等の表明との兼ね合いで決める、極めて自律的な心的作用であり、そうでなければならないということである。
言葉を言い替えるなら、言論の自由が保障した範囲内の言論の植えつけは偏に相手の判断・責任にかかっているということになる。
戦前の日本を考えてみよう。軍部・政府は国民に軍国主義を植えつけ、天皇の絶対性を植えつけ、天皇と国家への無条件の奉仕を植えつけた。そして国民はそれらの植えつけに無条件に進んで従った。
無残にも戦争に負け、悲惨なまでの多くの犠牲者と国土の荒廃を改めて目の当たりにしたとき、国民の多くは国に騙された、軍部に騙されたと声を上げた。騙された国民自身の判断・責任は自らに問うことをしなかった。問うことをしなかったからこそ、非難の矛先を軍部と国にのみ向けることができた。
『昭和史』(有斐閣)P249~P250に次のような記述がある。
伊丹万作「“騙す人”だけでは戦争にならない。“騙される人”があってこそ戦争になったのである。この意味で、騙されること自体一つの悪である。騙されるということは知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるものである」――
要するに国民の判断の欠如とそれ故の付和雷同の罪を問い質している。
伊丹万作が映画の脚本家であったことは知っていたが、その他は映画監督、俳優、エッセイスト、挿絵画家であると、「Wikipedia」に書いてある。
言論の自由が保障した範囲内の言論の植えつけを許容するか、許容しないかは偏にその言論を受けた相手側の判断・責任にかかっているにも関わらず、百田尚樹は「『憲法は神聖にして侵してはいけない』という考えを植えつけたのは朝日新聞だ」と犯人視しているが、植えつけられた側の判断・責任は問わずに無罪放免して、植えつけた側の朝日新聞のみを、トンチキな筋違いも甚だしく誤認逮捕して冤罪の俎上に乗せようとしている。
朝日新聞に対するこのトンチキは筋違いからも、報道機関が持つ言論の自由を抑えつけようとする欲求意志を見て取ることができる。
このような欲求意志を持った人間がNHKの経営委員を務めている。このような人物を安倍晋三はNHKに送り込んだ。
もし百田尚樹が合理的判断をしたいなら、朝日新聞が植えつけたと犯人視するよりも、植えつけられた国民をこそ、非難すべきだろう。