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『憲法記念日にあたって』談話
平成26年5月3日 生活の党代表 小沢一郎
本日、日本国憲法は施行から67年を迎えました。 生活の党は、憲法とは、国家以前の普遍的理念である「基本的人権の尊重」を貫徹するために統治権を制約する、いわゆる国家権力を縛るものであるという立憲主義の考え方を基本にしています。
また、憲法は、国家のあり方や国法秩序の基本を定める最高法規として安定性が求められる性質のものであります。したがって、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、国際協調という憲法の四大原則は引き続き堅持すべきであります。
しかし安倍政権は、戦後一貫した集団的自衛権に関する憲法解釈を、いとも簡単に一内閣の権限のみで変更しようとしています。憲法9条の解釈は、戦後から現在までの長年にわたる国会審議において、国会と政府の共同作業によって練り上げられてきたものであり、国会審議を経ることもなく、一内閣が行う閣議決定によって軽々に変更が許されるものではありません。
生活の党は、憲法9条が容認している自衛権の行使は、我が国が直接攻撃を受けた場合及び周辺事態法にいう日本の安全が脅かされる場合において、同盟国である米国と共同で攻撃に対処するような場合に限られるものと考えます。これ以外の、日本に直接関係のない紛争のために、自衛隊が同盟国の軍事行動に参加することは、歯止めなき自衛権の拡大につながりかねないものであって、現行憲法9条は全くこれを許していないと考えます。
一方で、憲法は、国民の生命や財産、人権を守るために定められ、平和な暮らしを実現するための共同体のルールとして国民が定めたものなので、四大原則を守りつつも、時代や環境の変化に応じて必要があれば改正すべき点は改正すべきです。
生活の党は、国民がより幸せに、より安全に生活でき、日本が世界平和に貢献するためのルール作りをめざし、国民とともに積極的に議論して参ります。
安倍晋三は4月29日(2014年)にヨーロッパ6カ国訪問の旅に飛び立ったが、2カ国目の英国で5月1日午前(日本時間同日午後)、ウェストミンスター寺院にある「無名戦士の墓」を訪れて、花輪を手向けたという。
《安倍首相:「無名戦士の墓」に花輪 英寺院を訪問》(毎日jp/2014年05月01日 21時23分)
記事は、無名戦士の墓は第1次世界大戦の戦死者の墓で、海外首脳の多くも訪英に合わせて訪れると解説した上で、日本政府筋の発言を伝えている。
日本政府筋「ナショナリストだというイメージ が欧州にも広がっているが、その払拭(ふっしょく)につながる」――
コワモテのその筋の者ヤクザがそのイメージ払拭につながるからと、教会に出かけてキリスト像の前で胸に十字を切るようなものではないか。イメージをどう演出しようと、精神の本質が変わらなければ、ナショナリスト(国家主義者)はナショナリスト(国家主義者)である。
記事は5日に訪れるフランスでも無名戦士の墓を訪れると、その予定を伝えている。
確かにナショナリスト(国家主義者)のイメージ払拭の企みもあるだろうが、自身の靖国神社参拝正当化を目的とした無名戦士の墓参拝であり、正当化を通したナショナリスト(国家主義者)とされていることのイメージ払拭であるはずだ。
これまでの安倍晋三の発言からすると、「国のために戦い、命を落とした人たちのために祈り、そして尊崇の念を表す靖国参拝はアーリントン墓地に大統領が行って献花し、哀悼するのと同じで、世界のリーダーは誰でも行っている共通の姿だ」とする趣旨の論法と、「国のために命を投げ打って戦い、その命を国のために捧げた戦死者を悼むと同時に二度と戦争の惨禍で人々が苦しむことのない時代をつくるとの平和の誓いのための靖国神社参拝でもある」とする趣旨の論法で自身の靖国神社参拝を正当化している。
要するに靖国神社参拝は何も戦前の大日本帝国国家を正当化したり美化したりするナショナリズムからの参拝ではない、純粋に戦死者を悼む参拝であり、平和への祈りでもあるというわけである。
安倍晋三の「国のために」と言う言葉には、戦前のように「お」をつけて、「お国のために」とした方が安倍晋三にはふさわしい。この「お」は辞書によると、「おほみ」→「おほん」→「おん」→「お」と変化した「お」であって、「おほみ」(大御)とは、「主として神・天皇に関する語に付いて、最大級の尊敬を表す」( Weblio古語辞典)としている。
例えば現代読みで「おおみこころ」と読ませている「大御心」とは天皇の心を言い、「大御歌」(おおみうた)は天皇の和歌、「大御門」(おおみかど)は皇居の門、「大御神」(おおみかみ)は神の敬称、つまり戦前の天皇を指す。
戦前の日本国民は天皇を統治者とする日本国全体を最大級に尊敬・畏怖して「お国」と言い、そのように言うことで国家を最大限に上に置き、国民を遥か下に置く国家と国民の関係を築いていた。
そのような関係に置かれた国民が、天皇への絶対随順をを説いた『国体の本義』や国家奉仕を義務づけ、それを以て国民道徳のバイブルとなっていた『教育勅語』等によって洗脳されていた手前もあって、兵士となったとき、当然、「お国」は兵士自身が自らの尊い命を捧げる自己犠牲の対象と看做し、自己奉仕の対象として、戦前日本国家を一身に体現して「お国のために」戦い、戦死し、靖国神社に祀られた。
いわば「お国のために」と何かを行うことは国家を体現して国のために尽くすことに他ならない。
その尽力が命の犠牲を求めたなら、命を捧げる。
当然、戦前の日本国家、即ち大日本帝国国家を体現した戦没者に尊崇の念を表す参拝は参拝者自身が精神的に戦没者を通して大日本帝国国家を体現する行為となる。
「お国のために戦って、尊い命を捧げたのだ」と思う瞬間、参拝者は否応もなしに大日本帝国国家を体現しているのである。
そのように体現することが即ち、戦前日本国家の肯定となり、その国家が仕掛けた侵略戦争の肯定、美化となる。
戦没者の死の肯定・美化は戦前日本国家とその戦争の肯定・美化を等式としてのみ成り立つ。
だが、安倍晋三は自身の心にあるこの等式を公には決して認めようとはしない。認めたら、自身の地位が危うくなることを知っている。
安倍晋三がいくら外国を訪問して、その国の無名戦士の墓や身元が分かっている戦没兵士の墓を参ろうと、外国の首脳たちが靖国神社をお返しの参拝の対象とはしないのは、この等式に気づいているからだろう。
もしこの等式に気づかず、考えもしないまま、靖国神社を参拝した場合の中国や韓国の批判が煩わしいという理由だけで靖国神社をお返しの参拝の対象としないのなら、国の戦争を戦って死んだことの重要性を自国では認めて、日本では認めない二重基準を演じることになる。
侵略戦争を戦った戦死者であることを知っているからこそ、そこに二重基準を置くことになっているはずだ。
安倍晋三がアメリカを訪問するとき、米国の歴代戦争の死者を祀ってあるアーリントン墓地を訪れて献花し、哀悼を捧げているのに対して、2013年10月3日、日本を訪れていた米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官は身元不明の戦没者や民間人犠牲者の遺骨が納めてある国立施設の千鳥ケ淵墓苑を訪れ、献花した。
安倍晋三のアーリントン墓地参拝のお返しの参拝対象として、安倍晋三が日本に於ける戦死者の墓地として正統性を置いている靖国神社ではなく、千鳥ケ淵墓苑を選んだということをである。
いわば両閣僚の千鳥ケ淵墓苑参拝は靖国神社を日本に於ける戦死者の墓地として正統性を置いていないということを意味する。
4月23日(2014年)夕刻訪日のオバマ大統領は24日、靖国神社ではなく、戦没者が存在しない明治神宮を参拝して、安倍晋三のアーリントン墓地参拝のお返しとした。
日本側が安倍晋三の同行を打診したところ、断ったという。マスコミは歴史認識問題に敏感な、次の訪問国韓国を刺激しないよう配慮したと見られると報じているが、同行してオバマ大統領と安倍晋三が並んで頭を下げ、手を叩いていたなら、例え戦没者が存在しなくても、戦前の日本を肯定する歴史認識を担っている安倍晋三と日本の神社で同じ空間に並び立つことになり、安倍晋三の歴史認識への親近感を疑われかねないことを恐れたからではないだろうか。
なぜなら、日本の神社はかつては神道を通して日本の国民の精神と、その精神の中にある日本の歴史(特に神話と一体化した建国の歴史)と深く関わっているからだ。
オバマ大統領は日本の次に訪問した韓国での4月25日のパク・クネ韓国大統領との共同記者会見で、慰安婦の問題について、「甚だしい人権侵害で衝撃的なものだ。安倍総理大臣も日本国民も、過去は誠実、公正に認識されなければならないことは分かっていると思う」(NHK NEWS WEB)と、安倍晋三及び日本国民の歴史認識に警告を発している。
安倍晋三の歴史認識と一線を画している姿がこの発言に現れている。
ではなぜオバマ大統領は靖国神社に変わる参拝場所を明治神宮にしたかと言うと、ケリー国務長官やヘーゲル国防長官と同じ千鳥ケ淵墓苑としたなら、靖国神社に対する拒絶感が突出することになって、米側にとって訪日の第一目的であった大事なTPP交渉を控えていた手前、遠慮が働いたということではないだろうか。
いずれにしても安倍晋三は自身の外国での戦没者墓地参拝に対して外国首脳が靖国神社をお返しの参拝の対象としない意味を早急に悟るべきだろう。