安倍晋三の靖国にのみ戦死者の魂の存在を認め、千鳥ケ淵にはその存在を認めない歴史認識の成り立ち

2014-05-28 08:53:03 | Weblog

  

 5月26日付「47NEWS」が、東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で同じ5月26日に拝礼式が行われ、国の遺骨収集団などがモンゴルやインドネシアなどから持ち帰り、遺族に引き渡すことができない遺骨1843柱を新たに納骨したと伝えていた。《千鳥ケ淵墓苑で戦没者拝礼式 新たに1843柱納骨》

 これまでに納められた遺骨と合わせると36万96柱に上るそうだ。

 秋篠宮家の長女眞子が初めて出席。安倍晋三も出席。田村憲久厚労相の式辞を佐藤茂樹副大臣が代読。

 佐藤副大臣代読「今後も遺骨の帰還に力を尽くす。先の大戦の教訓を継承し、世界の恒久平和に貢献していくことを誓います」

 記事は安倍晋三の挨拶について何も触れていない。首相官邸HPを調べたら、次のような記載があり、別ページに「日々の総理/記録映像庫」として動画が添えられていた。

 〈千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式

 平成26年5月26日、安倍総理は、眞子内親王殿下御臨席の下、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行われた拝礼式に出席しました。

 今回の式典では、政府が派遣した戦没者遺骨収集帰還団等がモンゴル、インドネシア等で収容した戦没者の御遺骨のうち、遺族に引き渡すことができない1,843柱が同墓苑に納骨され、既に納骨された御遺骨と合わせると36万96柱になりました。

 式典では、安倍総理をはじめ、関係閣僚、関係国駐日大使、関係団体の代表、遺族の方々等が参列し、戦没者に対して哀悼の誠を捧げました。〉――

 どういった言葉で「哀悼の誠」を捧げたのか知りたいと思って動画を覗いてみたが、動画は安倍晋三が出席者全員と君が代を歌うシーンと菊を1本献花するシーン、そして式場を去るシーンで終わっていて、挨拶する場面はなかった。

 「Wikipedia」に千鳥ケ淵戦没者墓苑は、〈日本の戦没者慰霊施設〉であり、〈第二次世界大戦の折に国外で死亡した日本の軍人、軍属、民間人の遺骨のうち、身元不明や引き取り手のない遺骨を安置する施設である。〉との解説があって、〈国が維持管理する戦没者の納骨施設であり、公園としての性格を有する墓地公園〉を兼ねていて、〈環境省が所管する国民公園等のひとつ〉であるとしている。正式名は「国立千鳥ケ淵戦没者墓苑」

 要するに公園としての性格を除いた戦没者の納骨・慰霊施設としての正味は「身元不明や引き取り手のない遺骨」が集められているということになる。

 第2次世界大戦という日本国家の戦争に関わって死亡した日本の軍人、軍属、民間人だからこそ、国立千鳥ケ淵戦没者墓苑を造って、そこに納められることになっているが、一般的な身元不明者や引き取り手のない遺骨は無縁仏と呼ばれて、その行き着く先は無縁墓地、あるいは無縁塚とほぼ相場が決まっている。

 国立千鳥ケ淵戦没者墓苑と言えば聞こえはいいが、簡単に言うと、祀られている彼らは無縁仏であって、墓地としての性格は無縁墓地、あるいは無縁塚が実際の姿ということになる。

 ここで問題になるのは民間人は除外するとしても、軍人と軍属の場合、それぞれに生前の立場は同じでありながら、死後、身許が判明して引き取り手がある場合と、「身元不明や引き取り手のない遺骨」の場合とでは死後の立場に違いが生じて、前者は靖国神社に祀り、後者は千鳥ケ淵戦没者墓苑に祀る扱いの差別である。

 見る人間が見たなら、勝ち目はないと分かっていた戦争を「天皇陛下のため、お国のため命を捧げよう」と鼓舞・宣伝して戦場に送り出し、「戦死したなら、靖国で会おう」をあの世での唯一の希望の灯火(ともしび)とさせた生きて在った当時の心の支えはみな同じで、そこにふるい分けの差別はなかったはずである。

 同じ思いを心の支えとして命を花と散らせていった。尤も軍人・軍属戦死者230万人の内、6割強の140万人は餓死者だというから、花と散っていったという形容は多くの場合、幻想でしかない。

 だとしても、「身元不明や引き取り手のない遺骨」となった途端、あの世での唯一の希望の灯火、心の支えであった「戦死したなら、靖国で会おう」は裏切られて、無縁墓地でしかない千鳥ケ淵戦没者墓苑に葬られることとなった。

 このことをこそ、知らぬが仏と言うのだとしたら、皮肉も皮肉、歴史上の大いなる皮肉の一つとなる。

 この扱いの差別に安倍晋三も深く関わっている。

 1月6日(2014年)夜、安倍晋三は俳優の津川雅彦らと東京都内で会食して、靖国神社に代わる新たな追悼施設に否定的な見解を示したという。《首相、新追悼施設に否定的 「遺族お参りしない」》47NEWS/2014/01/06 23:00 【共同通信】)

 記事は同席した元フジテレビアナウンサーの露木茂が記者団に明かした証言を伝える形式となっている。

 露木茂証言「首相は『別の施設を造っても多分、戦争で亡くなった方たちの家族はお参りしないだろう』と話した。

 (その理由を安倍晋三は昨年末の自身の靖国参拝に触れて)『靖国で会おうという一言で死んでいった戦没者の魂は靖国神社にあるんじゃないか』と話していた」

 だが、「靖国で会おうという一言で死んでいった戦没者の魂」は必ずしも靖国神社にあるわけではなく、「身元不明や引き取り手のない遺骨」となった場合は、「靖国で会おう」というオマジナイの効能は一切抹消されて、戦死者からしたら、千鳥ケ淵戦没者墓苑に追放の憂き目に遭遇したと恨みたくもなる、約束と違う扱いを受けていることになっている。

 にも関わらず、安倍晋三は全員を前提として「戦没者の魂は靖国神社にあるんじゃないか」と、遺骨の状況で扱いを違える差別を無視した、事実に反する情報を垂れ流している。

 千鳥ケ淵戦没者墓苑には毎年終戦の日に内閣総理大臣が参拝するのが恒例となっているということだから、安倍晋三は今回の出席が初めてではなく、過去に参拝の経験があるはずだが、「戦没者の魂は靖国神社にあるんじゃないか」とする認識は、千鳥ケ淵戦没者墓苑には「戦没者の魂」は存在しないとしていることの指摘ともなる。

 魂が存在していない千鳥ケ淵の戦没者に「先の大戦の教訓を継承し、世界の恒久平和に貢献していくことを誓います」と誓ったとしても意味は無いはずだが、意味は無いままに誓っている。単なる口パクに過ぎないからだろう。

 但し、安倍晋三の戦没者の追悼施設は靖国神社でなければならないとする認識は遺骨の状況の違いによって魂の存在の有無につなげているからではなく、靖国神社が1869年(明治2年)に明治天皇の発議によって創建された招魂社を前身とし、国家神道の性格を持たせ、国家のために特に功労のあった人臣を祭る別格官幣社として指定された歴史に対する思いが魂の存在の有無につなげて戦没者の追悼施設は靖国神社でなければならないとする認識を成り立たせているはずだ。

 いわば千鳥ケ淵戦没者墓苑がいくら国立だからと言っても、皇室に関係もないし、国家神道的性格も有していない、国家のために特に功労のあった人臣を祭る別格官幣社として指定された歴史もないということを根拠として、そこに魂の存在を認めることができないからこそ、「戦没者の魂は靖国神社にあるんじゃないか」という歴史認識となって現れているはずだ。

 要するに器を問題として魂の有る無しを認識するに至っている。

 安倍晋三の国立千鳥ケ淵戦没者墓苑参拝は慣例上の形式に過ぎないことになる。

 日本の降伏を知らずに日本軍兵士として立て篭もり続けたフィリピン・ルバング島から戦争終結29年目の1974年に帰還を果たした小野田寛郎さんも安倍晋三と同列の靖国の意味について話している。

 2014年2月17日のテレビ朝日《ビートたけしのTVタックル》のYouTub動画。

 ビートたけし「小野田さんやる予定のフィリッピン出発前に交通事故でドラマ吹っ飛んでし まったんだけど、小野田さんと2、3回会ったかな。

 そしたらね、今、靖国の問題だけど、小野田さん、靖国を。俺が靖国を、じゃあ、A級戦犯を合祀じゃなくて、違うとこに移動して、ヘンシュウ(? 聞き取れない)のアレをやったら、どうですかって言ったら、たけしさん、何言ってんの。我々はね、靖国で会おうって死んでいくんだよって。靖国なんだよ。それを変えてもらっちゃあ困るって」――

 だが、現実には遺骨の状況で靖国で会えなくさせられる扱いの差別が存在していた。

 靖国神社という器を問題にする余り、靖国神社のみに戦死者の魂の存在を認め、千鳥ケ淵戦没者墓苑等のその他の施設には戦死者の魂の存在を認めない。

 だからこそ、靖国神社でなければならないとして、新国立追悼施設の建設に徹底的に反対する。

 神国日本を根拠とした神州不滅・不敗神話に反する国家による敗戦の裏切りは問題ではない。遺骨の状況で差別する「靖国で会おう」の裏切りも問題ではない。唯一重要視しているのは靖国神社という歴史的な器であり、そこに全ての正統性を置いているからこそ、「国のために戦い、命を落とした人たちのために祈り、そして尊崇の念を表すことは世界のリーダーは誰でも行っている共通の姿だ」と、戦前日本と戦死者と自身を正当化する参拝を靖国神社のみに行い得るのであって、千鳥ケ淵では同じ参拝を行わないで済ますことができる。

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