安倍晋三は北方四島日本返還の対ロ政策としてプーチンとの信頼関係構築から入った。プーチン側の日露信頼関係構築の条件は日本の対露経済協力の推進であり、安倍晋三はプーチンとの信頼関係構築のためにロシアに対する経済協力を強力に推し進めた。
安倍晋三はプーチンと第1次安倍政権任期1年の間に3回、第2次政権でこれまで5回、計8回も首脳会談を行っている。これは異例な回数であろう。安倍晋三は北方四島返還はプーチンとの信頼関係構築が絶対条件だと看做していることになる。
西欧各国首脳がロシアの人権状況に忌避反応を示し、抗議の意思表示として2014年2月7日のソチ・オリンピック開会式をボイコットしたのに対して安倍晋三はプーチンとの信頼関係を取り、先進国では唯一出席している。
習近平中国国家主席も出席したが、中国はロシアと権国家同士の属性としてある人権に無感覚からの出席であって、安倍晋三は権国家の首脳のような振舞いで出席したのである。
安倍晋三のこの振舞いはウクライナの主権と国土の一体性を力を用いた現状変更相当の、3月18日(2014年)のロシアによるクリミア併合でも発揮されることとなった。アメリカとEU各国がロシアへの経済制裁に走ったのに対して日本は最初にビザ発行手続き簡略化協議の凍結、開始予定の投資協定締結交渉の凍結、次にロシア政府関係者ら計23人に対するビザ発給の当面停止といった、経済制裁とは言えない痛くも痒くもない制裁であったのだから、口でどう言おうと、暗黙的にはクリミアのロシア併合を権国家のように認めていることになる。
安倍晋三はやはりプーチンとの信頼関係を取ったのである。
ロシアは日本の痛くも痒くもないはずの制裁に対して報復制裁の可能性に言及したが、北方領土を人質に取っていることを前提とした日本側の弱みにつけ込んでソチオリンピック開会式の二匹目のドジョウを狙い、あわよくば米欧日連携の一角を崩すことで一泡吹かせようという魂胆なのだろう。
例え日本の対露制裁が及び腰のものであっても、プーチンとの信頼関係優先のためにその及び腰の制裁まで引っ込めるたなら、ロシアの信頼を獲ち得ても、世界の信頼を失うことになる。
3月18日のクリミアのロシア併合から43日後の4月30日に発表した独立系世論調査機関レバダセンターが行った世論調査でプーチンの4月の支持率は82%にのぼったという。
《「プーチン支持」82% 強硬策で急上昇》(TOKYO Web/2014年5月2日 朝刊)
この82%はウクライナ南部クリミア半島の併合宣言で11ポイントも急上昇した前月3月よりさらに2ポイント上がった数字だという。
クリミア併合前は13ポイント低かったことになる。〈支持率は2012年5月の大統領復帰後、60%台で推移。大統領1、2期目や首相時代と比べれば低めだった。〉と記事は解説している。
いわばロシア国民はクリミアのロシア併合を熱狂的に受入れ、併合に力を発揮したプーチンをロシアにふさわしい指導者として熱狂的に受入れた。
この熱狂的なプーチンへの同調性はどこから来ているのだろうか。
記事は書いている。〈国際社会の非難をよそにプーチン氏が強硬路線を続ける背景には、高揚した愛国心を求心力維持に利用する思惑もあるとみられる。〉――
領土拡張を歓迎し、喜ぶ精神が多くのロシア国民を支配していて、その精神がプーチン支持率となって跳ね返った。
領土拡張とは拡張した領土に対するロシアの影響力の対外的拡大を意味する。これらの経緯を歓迎する風潮はロシア国家の現在ある状況からの大国化と把える考えによって成り立っているはずだ。
と言うことは、ロシア国民の多くは領土拡張とその領土に対する影響力拡大をロシアの大国化と把えて自分たちが持つ大国意識を満たすことになり、そのことが愛国心高揚の原因一つとなっていることになる。
このことを証明する一つの事実を記事は伝えている。
〈大統領一期目から通して最高の支持率だったのは首相時代の2008年9月の88%で、グルジア紛争の直後。〉――
グルジア紛争とは、インターネット情報を借用して説明すると、2008年8月7日、グルジアからの独立を主張する同国北部の南オセチアをグルジア軍が攻撃。 翌8日、ロシア軍が反撃してグルジアに侵攻。ロシア軍は、やはり独立を求めていた西部のアブハジアにもロシア人保護の目的で介入。ロシアは南オセチア とアブハジアの独立を承認、グルジアはロシアとの外交関係を断絶した。日本や欧米など殆どの国は両地域の独立を認めていない。〉(朝日新聞 朝刊/ 2014-02-07 )
ロシアは南オセチア とアブハジアを併合したわけでなないが、確実に対外的な影響力を拡大した。領土拡張と影響力拡大を以って大国意識を満たす愛国心からしたら、南オセチアとアブハジアをロシアの領土みたいなものだと見ているかもしれない。
だとしても、領土拡張と影響力拡大に基づいたロシア国民の大国意識に根ざす愛国心とプーチンの支持率との関係は危険な側面を持つ。逆の力学が働いたとき、いわば領土縮小と、それと共に縮小した領土に対する影響力が減損したとき、ロシア国民の多くの愛国心が傷つけられ、プーチンの支持率低下を招く関係を取ることになるからである。
プーチンはロシア国民の人気と支持を維持して偉大な指導者として君臨し続けるために、あるいは引退しても、偉大な指導者であったことを記憶させておくために自国民の大国意識に根ざした愛国心を損なわないよう、政治的な制約を自らに課すことになるが、元々プーチン自体の米国とそれぞれの影響力で世界を二分していた当時の旧ソ連時代の大国主義への回帰願望が言われている。
安倍晋三にしても、大日本帝国という戦前の大国主義への回帰願望を露わにしているが、二人が信頼関係を築いてお互いに信頼し合うことができているということは歴史認識に関わる類似性が二人を近づける磁石のような働きをしているのかもしれない。
プーチンの旧ソ連時代の大国主義への回帰願望に関しては昨年の次の記事が伝えている。《「労働英雄」復活 プーチン氏 国民統合へ「ソ連回帰」》(TOKYO Web/2013年5月3日 朝刊)
2013年5月1日メーデーの日、プーチンは旧ソ連時代の勲章を復活した、経済や芸術での功績を讃える「労働英雄」勲章を、その初めてとなる授与式で5人に授与したという。
プーチン「ロシアの歴史と伝統、道徳観を高め、国民をまとめる」――
この「労働英雄」勲章は2013年3月下旬、プーチン支持拡大を図る運動体「全ロシア国民戦線」の会議で提案され、その日のうちにプーチンが大統領令に署名して復活させた勲章だという。
「歴史と伝統、道徳観」というキーワードは安倍晋三自身も頻繁に使っているし、2006年に「教育勅語が謳い上げている『目指すべき教育のあり方』が、決して間違ったものではなかった」と寄稿した文章で戦前の日本の歴史の肯定を通して戦前回帰の願望を示している。
『教育勅語』は教育を通して守るべき道徳を国民に課し、そのような道徳を植えつけて従順なさしめた国民に最終的に天皇と国家への奉仕を義務づける国民統治の役目を担った、時代錯誤の装置以外の何ものでもない。
さらに記事はプーチンの旧ソ連時代への回帰願望について書いている。
〈プーチン氏は最近、ソ連時代の軍事教練を含む体育の授業復活を提案。「若者に間違った考えを抱かせないよう、矛盾のない歴史教科書」の作成や、ソ連時代の小中学生の制服を復活させる意向も示している。〉――
このような動きと発言にしても、安倍晋三が示しても不思議はない符合を感じ取ることができる。
プーチンがこのように旧ソ連の全体像を模範とした大国主義に取り憑かれている以上、その全体像の中に旧ソ連時代の領土面積も入っているだろうから、偉大な指導者としての地位を守るためにもロシア国民の領土拡張と影響力拡大に基づいた大国意識に根ざす愛国心と響き合わせることになる。
2013年9月のロシア全土で1600人のロシア国民を対象に行った世論調査。7カ月前の世論調査である。《「クリール諸島はロシア」74% ロシアの民間世論調査》(MSN産経/2013.9.11 13:52)
ロシア国民の74%が北方四島はロシアに帰属していると見ている。
第2次大戦後ドイツから旧ソ連に編入された西部の飛び地、カリーニングラード州については、85%がロシアに属すると答えた。
但し、〈連崩壊後に独立派との武装闘争が続いた南部のチェチェン共和国をロシアと考える市民は39%にとどまり、係争地により市民の意識が大きく異なっていることが浮き彫りになった。〉と解説している。
だとしても、今回のクリミアのロシア併合で熱狂的に高まったロシア国民の大国主義的愛国心は北方四島に対する帰属意識をなおのこと高めずにはおかないはずだ。
いわば北方四島の帰属を占うのはプーチンと安倍晋三との信頼関係ではなく、プーチン自身の、国民のそれからも強い影響を受ける旧ソ連の全体像を理想像とした大国主義ということになって、少なくとも安倍晋三から見て固い絆にまで発展していると見ているプーチンとの信頼関係は無力化を孕んでいることになり、信頼とは反対の逆説的な意味を帯びることになる。