安倍晋三の自分の都合がいいように美化した日本の歴史観を国民にを押し付けようとしている

2014-05-14 09:32:41 | 政治

 


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 5月13日『ナイジェリアにおける女子生徒集団連れ去られ事件について』小沢一郎生活の党代表談話発表

 『ナイジェリアにおける女子生徒集団連れ去られ事件について』

 平成26年5月13日
 生活の党代表 小沢一郎

 ナイジェリア連邦共和国北東部で発生したイスラム過激派集団「ボコ・ハラム」によって200名を超える女子生徒が連れ去られた事件に対して強い憤りと抗議を表明する。

 事件の背景として貧困問題や経済格差、宗教間対立が指摘されているが、如何なる理由や目的があろうとも、このようなテロ行為を正当化することはできない。一刻も早い女子生徒の解放を要求する。

 私たちは、ナイジェリア国民及び政府、国際社会と連帯し、本件の解決に向けた取組みを全面的に支持し、支援する。

 安倍晋三が「G1サミット2011」と題した講演で、櫻井よしこなどと発言している。《安倍晋三氏×櫻井よしこ氏 「誇りある日本人として~今、如何に行動して、何を次世代に伝えてゆくか」~G1サミット2011レポート~》GLOBIS.JP/2012年1月23日)   

 「2011レポート 」となっているが、なぜか発信日付は「2012年1月23日」となっている。2011年12月の講演で、文字起こしに年を越したということなのかもしれない。

 この記事の存在は最近知ったのだが、安倍晋三のご都合主義の歴史観が如実に現れていることから、取り上げてみることにした。 

 安倍晋三「グローバル経済のなかで『日本はこれがいいんだ』と思っていても、勝ち残れなければ意味はない。ただ、日本には日本の生き方だって当然ある訳ですから、資本主義経済にしっかり と軸足を置きながら、併せて日本の長い歴史と伝統を大切にしていく。日本人は基本的に畑や田をつくり、皆で水を分け合いながら稲をつくって生きてきた民族ですね。そして1年に1回、天皇陛下を中心として皆で五穀豊穣を祈ってきました。そんな風に水を分け合ってきた民の生き方としての資本主義が当然あるのだろうと思っています。

   ――中略――

 私たちが歩んできた歴史に対して私たち自身が愛おしいという気持ちを持てるかどうかが大切だろうと思います。

   ――中略――

 かくいう私も、よく復古主義的で排他的な人間であるといった雰囲気を、いわゆる政敵の皆さまからレッテル貼りされます(会場笑)。決してそんなことはない訳ですよ。ただいま申しあげましたように、過去や先人に対して愛おしさをたたえた眼差しを持つ必要があるという話です。逆に、常に過去を否定するような人間になると、結局は自分自身が自尊心を持てないという結果に繋がっていくのだろうと私は思っています」――

 そして何人かが発言したあと、安倍晋三が再び登壇して、「歴史というものには光の部分もあれば影の部分もあります」と触れた後、次のように発言している。

 安倍晋三「国と国との歴史においては、一瞬だけを取り出して現代のスタンダードから裁くという考え方はやはり間違っているのだろうと私は思っております」――

 要するに安倍晋三が言わんとしていることは、戦前の一時期の日本の歴史を「一瞬だけを取り出して現代のスタンダードから裁くという考え方は間違っている」。日本人としての自尊心を持つためにも過去を肯定して、日本の全歴史を通して「愛おしいという気持」を持って眺め、受入れなければならないと主張している。

 そして日本のその歴史を「基本的に畑や田をつくり、皆で水を分け合いながら稲をつくって生きてきた」麗しい共助の精神で象徴させている。

 このような共助の精神で象徴させた歴史観は、既にご存知のように機会あるごとに発言している。

 2013年3月15日のTPP交渉参加決定安倍晋三記者会見。

 安倍晋三「最も大切な国益とは何か。日本には世界に誇るべき国柄があります。息を飲むほど美しい田園風景。日本には、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら五穀豊穣を祈る伝統があります。自助自立を基本としながら、不幸にして誰かが病に倒れれば村の人たちがみんなで助け合う農村文化。その中から生まれた世界に誇る国民皆保険制度を基礎とした社会保障制度。これらの国柄を私は断固として守ります」――

 2013年5月17日、安倍晋三「成長戦略第2弾スピーチ」

 安倍晋三「息を飲むほど美しい田園風景。日本には、朝早く起きて、汗を流し田畑を耕し、水を分かち合いながら、五穀豊穣を祈る伝統があります。

 農業を中心とした、こうした日本の『国柄』は、世界に誇るべきものであり、断固として守っていくべきものです」――

 他の機会にも同じようなことを言っている。

 安倍晋三が言っている「国柄」とは、日本古来からの伝統・文化が歴史を貫いて今に続いて発展の礎となっている国の形を指しているはずだ。いわば「息を飲むほど美しい田園風景」、「朝早く起きて、汗を流し田畑を耕し、水を分かち合いながら、五穀豊穣を祈る伝統」に過去から現在に続く日本の国柄を象徴させている。

 ということは、日本の歴史をも象徴させている、日本人の生活の営み・風景ということにもなる。

 そして今回の講演では言及していないが、自著『美しい国へ』やテレビに出演して発言している、「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」だとか、「皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大なつづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね」と言っている天皇家を日本の歴史の中心に置く、「太陽中心説」ならぬ天皇中心説。

 以上が安倍晋三という政治家の日本の歴史観である。天皇を中心に置いて共助の精神で支えてきた農村・農民文化とその伝統を、少なくとも日本の歴史の表紙としている。

 だからこそ、「私たちが歩んできた歴史に対して私たち自身が愛おしいという気持ちを持てるかどうかが大切だろうと思います」と言うことができる。

 だからこそ、「国と国との歴史においては、一瞬だけを取り出して現代のスタンダードから裁くという考え方はやはり間違っているのだろうと私は思っております」と戦前日本と戦前日本の戦争をその侵略性を剥いで肯定することができる。

 これを日本の歴史の美化だと言わずに、何と表現したらいいのだろうか。

 大体からして「皇室の存在は日本の伝統と文化、そのもの」だと規定し、タペストリーの真ん中の糸に譬えて天皇中心説の歴史論を打ち立てていること自体が歴史の美化に当たる。

 現皇室は第26代の継体天皇(450年?~531年?)を初代として樹立されたとする新王朝論が存在し、実在が確実な最初の天皇であると、「Wikipedia」が記述しているが、継体天皇の時代に軍事を担った豪族の物部一族が天皇の権力を凌ぐ世俗権力をどれ程に握っていたか理解していないが、同じく「Wikipedia」を参考にすると、物部氏は同じ豪族の蘇我氏と対立、用明天皇崩御後、物部氏が推す穴穂部皇子と蘇我氏ば推す泊瀬部皇子(はつせべのみこ)との間に皇位継承争いが起き、蘇我氏は敏達天皇の后(後の推古天皇)の詔を得て穴穂部皇子の宮を包囲して誅殺し、最終的に蘇我氏は物部氏を攻めて、戦死させている。

 そして蘇我氏が推薦した泊瀬部皇子が皇位に就き、崇峻天皇を名乗っている。

 この経緯を見ただけでも、豪族が如何に天皇の地位・命運を操っていたかが理解できる。例え豪族が皇族の詔や命を受けて動いていたとしても、それらは豪族が行動を起こすために皇族の許可を得たとする大義名分のお札に過ぎないことは親子である蘇我蝦夷と蘇我入鹿が甘檮岡(あまかしのおか)に家を並べて建て、蝦夷の家を上の宮門(みかど)、入鹿の家を谷の宮門と称して、皇居と天皇の意味を持たせていたことが証明する。

 皇族の詔や命が詔として、あるいは命としてその権威が常に機能していたなら、豪族が天皇以上の権勢を誇るということはあり得ない。

 当然、豪族が必要としたとき、自身の方から求めて皇族に詔や命を出させたということもあるはずである。

 いずれにしても蘇我氏は自らを天皇に擬す程に権勢を誇った。その権勢が天皇以上であったからこそできた宮門といった自己顕示であったはずだ。

 このような権勢を誇った蘇我蝦夷・入鹿父子を暗殺して滅ぼすことになった645年の乙巳の変(いっしのへん・おっしのへん)とその後の大化の改新は中大兄皇子(後の天智天皇)が皇族として主導権を握った行動とされているが、新興勢力の中臣鎌足(後の藤原鎌足)と二役で成し遂げた出来事であって、藤原氏全盛期の藤原道長が、「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と詠って、天皇の世ではなく、「わが世」とした権勢の誇りから見ると、新興豪族の中臣鎌足が既成豪族の蘇我氏に取って代わろうとして中大兄皇子を動かした疑いは拭うことはできない。

 もう一つの証拠として、豪族が自分の娘を天皇の后(きさき)に据えて生まれた子を後に天皇の地位に就け、自身は外祖父として世俗上の実権を握り、天皇を名ばかりとする二重権力構造は、豪族たちの権力掌握と権力操作の常套的手段となっていたことを挙げることができる。

 蘇我馬子が自分の娘を聖徳太子に嫁がせて山背大兄王(やましろのおおえのお)を生ませているが、聖徳太子没後約20年の643年に蘇我入鹿の軍が皇位継承争いから斑鳩宮(いかるがのみや)を襲い、一族の血を受け継いでいる山背大兄王を妻子と共に自害に追い込んでいる例は、外祖父して権力を掌握する失敗した例であろう。

 成功した一例として、蘇我稲目が2人の娘を欽明天皇の后とし、用明・推古・崇峻の3天皇を生んでいる例を挙げることができる。

 藤原道長にしても同じ常套手段を利用した。

 「Wikipedia」を参考にすると、藤原道長は、〈一条天皇に長女の彰子を入内させ皇后(号は中宮)となす。次の三条天皇には次女の妍子を入れて中宮となす。だが三条天皇とは深刻な対立を生じ天皇の眼病を理由に退位に追い込み、彰子の生んだ後一条天皇の即位を実現して摂政となる。1年ほどで摂政を嫡子の頼通に譲り後継体制を固める。後一条天皇には四女の威子を入れて中宮となし、「一家立三后」(いっかりつさんこう)=一家三后)と驚嘆された。〉――

 この一文を読んだだけで、豪族が自身の権勢維持のために如何に天皇の地位を操作しているかが分かる。

 この天皇と世俗権力者による権力の二重構造――と言っても、天皇は世俗権力の傀儡としての地位しか築くことができなかったが、武家の時代となっても続く。

 豊臣秀吉は征夷大将軍に就かなかったものの、内大臣や関白といった宮中の官職を利用したが、源実朝以下、徳川家まで、天皇家から征夷大将軍の官職を賜ることで日本の支配・統治の正統性を得る二重権力構造を築き、それを伝統とした。

 この構造は明治に入っても続いている。戦前の天皇は国家の統治権と陸海軍の統帥権を握っていたが、実質的な権力は明治時代は薩長閥、戦前昭和期には軍部が握って日本という国を動かしていた。

 戦後に於いても、同じである。天皇は日本国憲法の規定で国政に関する権能を有しないにも関わらず、アジアの国々を訪問の際まどに発する、いわゆる「天皇のお言葉」は時の首相や内閣によってそれらの助言という名目で作成され、天皇は自身の言葉でない「天皇のお言葉」をアナウンスするのみというロボット役に甘んじている状況は裏で内閣が操っている二重権力構造の証明に他ならない。

 全斗煥大韓民国大統領が1984年9月6日より8日まで3日間日本国国賓として訪日、天皇との晩餐会に臨んだ際の天皇のお言葉は当時の首相中曽根康弘が主導して作成したもので、天皇はそれを自身の「お言葉」として全斗煥に発信した。

 中曽根康弘は1990年5月の盧泰愚(ノ・テウ)韓国大統領来日を控えて、朝日新聞のインタビューに答えて、次のような打ち明け話を行っている。

 中曽根康弘(1984年に韓国の全斗煥(チョン・ドウファン)大統領が来日した 際の昭和天皇のお言葉は)「全大統領は政治生命をかけて日本にやって来る。大統領が金甫空港に帰ったとき、韓国国民が喜ぶような環境づくりをすることが日韓親善促進のうえでキーポイントだ。ついては私に任せてほしい』と一任をとりつけ、『お言葉』の表現を決めた」(朝日新聞/1990年5月.1日)

 中曽根康弘作成の「お言葉」を昭和天皇は自らの「お言葉」として全斗煥にアナウンスする役目を果たす二重性を強いられたのである。

 安倍晋三はこのように日本の歴史を通じて権力の二重構造に於ける傀儡部分を担わされてきた、あるいは傀儡部分に追いやられていた皇室が「日本の伝統と文化、そのもの」だと言う。

 世俗権力者が権力の正統性を得るために天皇を利用して繰返してきた陰惨な権力争い(戦前の軍部内でも激しいは派閥争いや権力闘争が存在したと言う)が日本の歴史の何十枚という大枚のページを成すにも関わらず、「私たちが歩んできた歴史に対して私たち自身が愛おしいという気持ちを持てるかどうかが大切だろうと思います」と言う。

 「国と国との歴史においては、一瞬だけを取り出して現代のスタンダードから裁くという考え方はやはり間違っているのだろうと私は思っております」と言う。

 あるいは、「息を飲むほど美しい田園風景。日本には、朝早く起きて、汗を流し田畑を耕し、水を分かち合いながら、五穀豊穣を祈る伝統があります」と言って、このような風景を日本の歴史の表紙に仕立てようとしている。

 日本の歴史のすべてを「愛おしい」とすることはできない。「愛おしい」とすることは考える思考作用を自ら捨てることを意味する。自らの合理的判断能力を麻痺させることに他ならない。

 歴史を通して世俗権力者の権勢誇示の裏には搾取される対象としての庶民が存在し、権勢を支える一方で貧しい生活を強いられていたのである。子どもが生まれても食べさせることができないからと殺してしまう間引きは貧民層に存在した日本の文化・伝統でもある。

 歴史をどう判断するかはそれぞれに任されている。だが、安倍晋三は日本の歴史を美化し、それを国民に押し付けようとしている。この思考作用の放棄・合理的判断能力の麻痺を伴わせる歴史解釈は危険極まりない歴史捏造としか言いようがなく、安倍晋三の歴史に関わる正体は歴史捏造者そのものである。

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