安倍晋三も阿部知子も陳情も補助犬利用者に対する社会的偏見解消目標を東京五輪開催年とするお粗末な感覚

2014-05-26 03:42:33 | Weblog

 

 安倍晋三が5月22日、陳情に訪れた盲導犬や介助犬などの補助犬利用者(団体のお偉いさんなのか、単なる代表者たちなのか)と面会した。《首相 補助犬理解促す取り組みを》NHK NEWS WEB/2014年5 月22日 15 時17分)

 陳情内容は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて補助犬に対する理解拡大や補助犬育成費用への助成の拡充などだそうだ。勿論、文書にして要望書として安倍晋三に手渡した。

 安倍晋三「補助犬を連れて多くの人が利用する施設などに行くときに、 偏見があったり、拒否される事例があることも伺っている。東京オリンピック・パラリンピックの際には、そうしたことが1件もないよう、体制を作っていく必要がある」――

 その陳情に補助犬を推進する議員の会事務局長の阿部知子衆議院議員も 同席したという。社民党を離党して、2012年11月27日結成した日本未来の党代表となった阿部知子である。

 阿部知子「パラリンピックでは、バリアフリーでないと犬を連れた移動が難しいうえ、空港での検疫の問題などもある。しっかり取り組みたい」――

 陳情も安倍晋三の発言も阿部知子の発言も、オリンピック開催年を目標とした補助犬利用者に対する社会的偏見の解消となっている。この構造は、社会的偏見は期限を設けてなくす努力をする事柄ではないはずだから、補助犬利用者のためを直接的に対象としているのではなく、オリンピックのための解消という形を取ることになるはずだ。

 補助犬利用者に対する社会的偏見だけではなく、どのような社会的偏見であっても、その解消は、偏見を受ける側のために今日は存在したとしても、明日は1件もあってはな らないとする強い決意を持った日々の対策で臨まなければならない差別の解消であるはずである。

 だが、今日がいつまでも明日に続いて解消を目指すことができずに各種社会的偏見は頑固に蔓延り続けることになっている。だからこそ、身体障害者補助犬法は2002年5月成立から12年経過の今日に於いても、途中、2011年6月に改正したものの、偏見はなくならずに存在し、陳情ということになった。

 だからと言って、補助犬利用者に対する社会的偏見解消の目標を、それがたった6年先で、6年の間に是非解消をと目標を立てたとしても、東京オリンピック開催の2020年に置いた解消の体制づくりであっていいという理由とはならない。

 もし目標を2020年に置いたとしたら、6年間の猶予期間を計算することになって、今日は存在したとしても、明日は1件もあってはならないとする強い決意を持たせた日々の対策は6年間の先延ばしの対策に取って代わられて、決意自体が自ずと薄められることになる。

 極端なことを言うと、2020年の東京オリンピック開催までの解消の対策づくりと言うことなら、開催までは偏見は止むを得ないという無意識が生じかねない。

 そもそもからして、補助犬利用者に対する社会的偏見は東京オリンピック開催に関係なく1日も早く全面的に解消されなければならい。解消の目標は常に“1日も早く”に置かなければならないということである。
 
 勿論、その他のどのような偏見も、解消の目標は常に“1日も早く”に置いて、社会的偏見と闘わなければならない。

 だが、安倍晋三も阿部知子も、陳情も東京オリンピック開催の2020年に置いた。

 安倍晋三に限って言うと、当然と言えば当然なお粗末な感覚だが、補助犬利用者や阿部知子までも同じ感覚に陥っているとは驚きである。

 福島の第1原発事故によって生じた福島産農林水産物に対する今も続く風評被害の払拭を何年後までにはと期限を区切ったとしたら、どうなるだろうか。例え“1日も早く”が明日に続くことになっていたとしても、“1日も早く”の姿勢で日々払拭に臨まなければならないだろう。

 日本国憲法「第3章 国民の権利及び義務 第25条 生存権、国の社会的使命」

 (1)すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 (2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公共衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 補助犬は利用者にとって文化的な生活を人並みに近づけるための大事なパートナーである。中には今流行りの「相棒」という言葉で呼ぶ場合もあるかも知れない。

 社会的偏見から補助犬の利用を妨げるということは補助犬と共に築いている利用者の人並みに近づけようとする文化的生活をも妨げることを意味する。

 誰もその利用を妨げる権利はないし、利用を妨げることによって利用者の精一杯営もうとしている文化的生活を妨げる権利もない。

 妨げることは健常者の脚を一本もぎ取るに等しい行為であるはずだ。もぎ取られた者は自なりに築いてきた文化的生活を失うことになるが、義足をつけることによって、どうにか取り戻すことができる。その義足が、補助犬利用者にとっての文化的生活を営むための補助犬に類似する。

 ただ単に偏見をなくす取り組みをするということだけではなく、社会的偏見を持ち続ける者たちに、 補助犬の利用を妨げるということはこういうことだと認識させなければならないはずだ。

 つまり、日本国憲法第3章・第25条違反に当たると。

 だが、安倍晋三や阿部知子の発言からは、哀しいかな、そういった認識を窺うことはできない。

コメント (1)
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