東日本大震災で石巻市大川小の児童と教職員計84人が死亡・行方不明、その責任を問い、児童23人の19遺族が石巻市と宮城県に23億円の損害賠償を求める裁判を起こし、その第1回口頭弁論が5月19日、仙台地裁で行われた。
最終判決は県と市の責任をどの程度認めるのか、認めないのかは分からないが、裁判に於ける市側の請求棄却理由やその他地震発生以降のマスコミが伝える学校側の対応からは、イジメ自殺が起きたときの学校と教育委員会が決まってのように責任逃れに走る構造が透けて見えてくる。
裁判に於ける遺族側と市側の対応は次の記事を参考にする。
《大川小訴訟 「津波予見できず」 市、県棄却求める》(河北新報/2014年05月20日 火曜日)
先ず訴えについて記事は、〈教職員は 2011年3月11日の地震発生後の約45分間、児童に校庭で待機するよう指示。午後3時37分頃に津波に巻き込まれ、児童74人が死亡・行方不明になった。〉と書いているが、要するに約45分間も校庭に待機させて的確な避難指示を出さなかった、この責任を先ずは問題としていることになる。
市と県は「津波の予見可能性はなかった」として裁判の請求棄却を求めたという。
市側主張。
(1)大川小は市のハザードマップで浸水域外だった
(2)過去に大川小に津波が到達した事実はなく、周辺住民も8割が死亡した
ゆえに「教職員が津波を予見できなかったのはやむを得ない」
地震直後の教職員の対応について。
「混乱した状況で臨機応変に避難させるのは酷。裏山に安全に避難させる経路もなかった」
県側主張「県は教職員の給与を負担しているだけで、監督権限は市にある」
遺族側主張「裏山に逃げようと言った児童がいたのに教職員が止めた。教職員がいなければ児童が亡くなることはなかった」
「教職員が防災無線で津波の危険性を認識できた」(解説文を会話体に直す)
「周辺住民も8割が死亡したと言っているが、児童の命を守る義務がある教職員と周辺住民の立場は違う」(解説文を会話体に直す)
遺族7人の意見陳述のうち、今野大輔君=当時(12)=の父親。
今野浩行氏「避難のために十分な情報も時間もあった。大人の間違った指示がなければ救えた命だった」
第1回口頭弁論に当って村井嘉浩宮城県知事と亀山紘石巻市長それぞれが出した談話。
村井知事「県の想定を遥かに超える規模の津波による、未曽有の災害の下で起きた事故だ。教職員の監督権限を持つ石巻市の対応を見守りつつ、県として適切に対応する」
亀山市長「市の考えは法廷で答弁した。今後とも真摯(しんし)に対応していく」――
市側が請求棄却の理由としている、(1)「大川小は市のハザードマップで浸水域外だった」と(2)「過去に大川小に津波が到達した事実はなく、周辺住民も8割が死亡した」のうちの「過去に大川小に津波が到達した事実はない」の二つの理由は一見、合理的に聞こえて、市側にも学校側にも瑕疵がないように見える。
では、地震発生時、児童を校庭に退避させた時点前後で、教師たちは上記二つの理由を認識した上で対応していたことになる。「大丈夫、揺れさえ収まれば、津波は来ないよ」と。そういった前提で行動していた。
つまり、教師の対応に間違いないことを証明するために市の説明によって後付けて取り付けた理由ではないということである。
ということは、地震発生時、瞬間マグニチュード9.0 最大震度宮城県栗原市観測震度7、石巻市は震度6強の激しい揺れ(栗原市から石巻市まで直線距離で40キロ程度だと言う)を受けたとき、頭に津波の発生を一応は認識していたことになる。認識しないまま、「過去に大川小に津波が到達した事実はない」としていたなら、矛盾する。
海岸近くは津波に襲われるかもしれないが、過去に大川小にまで津波が到達した事実はないのだから、ここまでは被害は及ぶことはあるまいと予想し、その認識で物事を判断していた。
予想は当然と言えば、当然と言うことができる。太平洋側の東北各県は三陸沖海底を震源とする巨大地震と大津波の歴史を抱えているからである。
だとすると、ここで疑問が生じる。
遺族側が主張している「裏山に逃げようと言った児童がいたのに教職員が止めた」とする事実である。
これを事実と書いたのは、2011年9月14日木曜日午後7時半から放送のNHKクローズアップ現代「巨大津波が小学校を襲った~石巻・大川小学校の6か月間~」が遺族側主張に添う事実を生き残った子どもや親からの証言を用いて既に発信していたからである。
このことに触れる前に、市側主張に合致する記述を取り上げることにする。〈大川小学校一帯は過去に一度も津波に襲われた経験がなく、石巻市のハザードマップの浸水域の対象外であった。そのため大川小学校は津波襲来を想定せず、津波に備えた避難のマニュアルを備えていなかったばかりか、大川小学校自体が緊急時の避難場所に指定されていて、地域の住民も津波が来るという意識はなかった、〉――
2011年3月11日午後2時46分、地震発生
子どもたちは直ちに校庭に避難。避難場所となっていたために保護者やお年寄りまで次々と駆けつける。
教師は児童に校庭で待機するよう指示。それが45分にも及んだ。
但し余震に備えて、校舎に戻らずに校庭に単に待機させていたわけではない。
記事は、子どもたちをどこへ避難させればいいのか、教師や住民たちが急遽2個所を検討。一個所は校庭から歩いて1分程の裏山。
この裏山は子どもたちがシイタケ栽培の実習なので登っていたという。
もう一個所は学校から3分ほどの橋や堤防と同じ高さの交差点で三角地帯と呼ばれている場所と伝えている。
校庭から歩いて1分程の裏山を避難場所として検討している以上、津波を避けることを目的とした検討ということになる。
小学校5年の男子が証言している。
5年生男子「どこに逃げるとか、山さ逃げよう、いや、お年寄りがいるから、三角地帯だとか、山に逃げた方がいいとか言ったり。お年より逃げにくいから、やっぱ三角地帯だとか言って、物凄く不安で、やっぱ、おいは(俺は)山に逃げればいいのになあーって」――
この証言のあと、続いて次の事実を伝えている。
その場にいた教師と大人たちの何人かは市の広報車が「津波が海岸の松林を越えてきたので、高台に避難してください」とアナウンスする避難指示の声を聞いたと証言している。
多分、市の広報車の津波避難指示の声を聞いたのが先で、聞いたから校庭で二次避難場所の検討をしたのが後だと思うが、そうでなければ、「過去に大川小に津波が到達した事実はない」に反する行動に出るはずはないから、少なくとも校庭から次の避難場所として2個所を検討し始めた時点で、津波襲来を認識し、津波への警戒心を働かせていたことになる。
特に校庭から歩いて1分程の裏山を二次避難場所として検討対象に挙げていたことは明らかに津波を避ける意図から出た高台選択であったはずだ。
となると、市側が挙げていた、(1)「大川小は市のハザードマップで浸水域外だった」と、(2)「過去に大川小に津波が到達した事実はない」の請求棄却理由は、市の広報車が間近にまで来て津波の恐れと高台避難の警告を発していたことと併せて、二次避難場所を検討した段階で教師たちは無効としていたことになる。
請求棄却理由に挙げていた事実にあくまでも拘っていたとしたら、津波を避けるために動き出すはずはない。だが、動き出したのである。無効としたからこそ、次の行動を取ろうとした。
だが、市は請求棄却理由として今以て有効としている。ここに矛盾が存在しているはずだ。
あとは二次避難場所の選択の問題となる。
但し、津波避難の常識である高台や高所への避難ではなく、橋や堤防と同じ高さので三角地帯と呼ばれている交差点を避難場所として選択した。川の水面は普段は堤防の頂点からかなり低い位置にあったとしても、津波が襲えば、当然、水面は上昇する。
また、津波が発生した場合、震源の位置にも関係するが、津波の高さは地震の大きさに関係すると見なければならないはずだ。特に大川小辺りの北上川の川幅は500メートル前後とかで、河口から5キロ程度内陸に位置しているとなれば、津波の遡上は当然視野に入れていなければならないことになる。
だが、視野に入れていなかった。
もう一つ、二次避難場所の選択で、無効とさせなければならない疑いのある事実の検証が必要となる。
地震直後の教職員の対応について、「混乱した状況で臨機応変に避難させるのは酷。裏山に安全に避難させる経路もなかった」と免罪しているが、上記NHK「クローズアップ現代」は、「裏山を子どもたちがシイタケ栽培の実習に使っていたとしている。
これはNHKが誰かの証言から得た情報事実であるはずだ。
実際にシイタケ栽培の実習に登っていたとしたら、「裏山に安全に避難させる経路もなかった」は責任逃れの虚偽情報の流布に当たる。
事実かどうかの検証が必要となるが、どのような山も、麓から断崖絶壁でそそり立っていない以上、経路はさして問題ではない。草を掻き分け、登れないことはないからだ。
また、市の広報車が津波が三角地帯を襲う何分前に大川小近辺のどの道路を走ったのか、検証する必要がある。市の報告書では学校の避難開始時間は午後3時25分、津波到達の12分前だとしているそうだが、それよりも遅かったという証言もあるそうで、市の広報車の警告時間と避難開始時間のズレによって、教師たちがどれ程に強い危機感を持って子どもたちの命の安全を守ろうとしていたかが明らかになるはずである。
強い危機感の中には津波襲来に対しては高台避難、もしくは高所避難の常識を含んでいなければならない。高台避難・高所避難の常識を持たずに津波から子どもたちの命を守るために強い危機感の中、避難場所を考えたとするのは逆説的に過ぎる。
となると、裏山に安全に避難させる経路がなかったのか、シイタケ栽培の実習に使っていたのではないかと検証しなくても、校庭から歩いて1分程の裏山を二次避難の場所として選択しなかったこと自体が、既に危機感を欠いていたことになり、色々と理由を上げて責任はないとしていることは、イジメ自殺が起きたとしても、教師や教育委員会が虚偽の情報を流したり、事実を隠す情報隠蔽を謀ったりしてイジメに気づかなかったとか、イジメと自殺の関連性を否定して責任を回避する構造が透けて見えることになる。
津波が三角地帯を襲ったとき、列の後ろにいた教師や児童が三角地帯付近で間近にまでせり出している、学校裏と地続きの裏山に咄嗟に逃げることができて、無事だったというのは避難場所の選択に関しては皮肉な事実となる。