3 新古今の技巧
『新古今和歌集』の表現には、技巧として、古代からの
序詞(語句の上に冠する六音もしくはそれ以上の修飾語)、
枕詞(語句の上に冠する五音の修飾語。古くは四音のものも見られる)、
掛詞(同音異義の語をはたらかせて、一語に二様もしくはそれ以上の意味を兼ねさせるもの)、
縁語(係り言葉によって、主題の語に縁のある語を照応させて修飾するもの)
の技巧が頻繁に活用されているが、とくに特色を発揮しているのは、句切れと体言止めと本歌取りとである。
和歌の流れから見ると、万葉歌風では、荘重な五七調が主調であったから、句切れは、おのずから七音句に生じやすく、したがって、短歌では、第二句、第四句に生じやすかった。短歌が中心となった古今歌風以後は、軽快な七五調への傾向がいちじるしくなり、句切れも、おのずから五音句に生じやすく、したがって、第一句(初句)、第二句に生じやすかった。そして、その傾向が絶頂に達したのが新古今歌風であった。第一句で切れるのを「初句切れ」もしくは「一句切れ」といい、第三句で切れるのを「三句切れ」という。「体言止め」は「名詞止め」ともいい、一首の終りが体言で止められるのをいうのであって、万葉歌風から現われているが、その現われ方は、初句切れ、三句切れと同様に、新古今歌風で絶頂に達した。それらの用法は、いずれも軽快に流れすぎて抒情の迫力をとぼしくしやすい七五調の弱点を救っている。
新古今歌風では、体言止めの作と、三句切れと体言止めとを併用した作とがいちじるしい特色を示している。体言止めは、一首全体の声調の流れをそこでせきとめることによって、抒情を重厚にしている。
4 本歌取り
本歌取りは、一首の中に有名な古歌の語句を取り入れて詠む技巧である。その古歌を「本歌」という。先行歌の語句を取り入れて詠む技巧は古くからあり、中には、技巧としてのものが、先行歌の改作であるのか区別のつきにくい場合もあるが、新歌風では、主として俊成の影響で、多くの場合、連想によって、あるいは本歌の世界を揺曳させて、一首の含蓄・余情を豊かにする技巧で、この技巧がきわめて頻繁に用いられた。
0245 橘のにほふあたりのうたた寝は
夢も昔の袖の香ぞする(夏 俊成女)
本歌は
五月待つ花橘の香をかげば
昔の人の袖の香ぞする(古今集・夏、読人しらず)。*
「橘のにほふ」と「昔の袖の香」が本歌を連想させ、一種全体に本歌の世界が重なり、その重層性が優艶な新歌境にしている。『新古今集』の中には、二首の本歌を取っている作も見られる。このような本歌取りの技巧は、漢詩句を典拠とした作にもつながっている。とくに注目されるのは、これも俊成の影響がいちじるしいが、『源氏物語』を最高峰とする平安物語文学とのかかわりであろう。
5 幽玄体
新古今歌風には、以上に取りあげたもののほか、「客観的表現」といわれている特色がある。それは、体言止めとも深くかかわっているが、根源は「幽玄体」にある。「幽玄体」は、主客融合を目ざした抒情であり、客観的対象が、その重さのままで、その中に作者が生かされなければ達成されなかったからである。また、たとえば、「風更けて」(420)とか「露の底なる」(474)とかいったような、かつて見られなかった言葉のはたらかせ方が見られる、それも「幽玄体」が導いたものにほかならないのである。
(抄録・終)
* 悠026 参照(2006-1126-yis026 和泉式部歌集026 お姿を)。
*歌論の原稿をまとめているとき、ふと手を止めてTVをつける。放送大学で、古今・真名序らしいなと思って見ていた。漢文をいくつかに区切り、分かりやすく説明する。五分ほどでひととおり済んだ、と思っていたら、なんと延延と三十分ほど同工異曲の鸚鵡返しを続けている。それでも次の素材が出てくるのかなと我慢していたが、とうとうそれで終わってしまった。最後に講座名が「書誌学」と出た。
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