









●「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(ルカの福音書15:4~7)。

さて、前回にも記しましたが、ここに書きましたのは、イエス様が語られた三つの例え話の中の最初の話ですが、神の愛、キリストの愛を分かりやすく教えている箇所です。素直な心で読むならば、決して難しい話ではありません。百匹の羊を持っている羊飼いがいました。この羊飼いは、雇われた人ではなく、これらの百匹の羊の一匹一匹をかけがえのない羊として心から愛していました。ある日、数えてみると、一匹がいなくなっていることに気づいたのです。この「羊飼いの愛」はどのような愛であったのかを考えてみましょう。
[ 1 ] 《かけがえのない愛》

[ 2 ] 《打算のない愛》

[ 3 ] 《忍耐深い愛》

[ 4 ] 《優しい愛》

[ 5 ] 《喜びを分かち合う愛》

[ 6 ] 《いのちを捨てる愛》

●「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」(Ⅰペテロの手紙2:24,25)。
●「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」(詩篇23:1)。















