聖書から人生を考えよう

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聖書から「人生」について真剣に考えてみませんか?

★敵をも赦す愛がある!

2005-05-25 | 「キリストの愛」
 
           (家の近くの庭で撮ったチューリップの写真です)
  人間にとって、一番難しいことの一つは人を赦すことですが、先頃大変美しい話を読みました。それは、かなり古い話ですが、トルコ人によるアルメニヤのクリスチャンの迫害があった時のことです。一人のアルメニヤの少女とそのその兄とが、血に飢えかわいた一人のトルコ兵に追跡され、遂に兵士は二人を田舎の小道に追いつめ、残酷にも、その少女の目の前で彼女の兄を殺してしまったのです。彼女はやっとのことで、逃げ伸びましたが、後に看護婦(師)となって働くようになりました。

さて、ある日のこと、彼女の働いていた病院に、一人の負傷した兵士が担ぎ込まれて来ました。彼女は、間もなくその兵士こそ、かつて自分の兄を殺した者であることに気づきました。しかし、その兵士の状態は、注意深い看護がなければ生命に影響する程のものだったのです。彼女はその兄を殺したトルコ兵を、それこそ骨身を惜しまず日夜看護にあたったのでした。その看護のお陰で、その兵士は快復に向かいつつありました。

そしてある時、彼はその看護婦(師)こそかつて自分が殺した人の妹であることを知ったのであります。兵士は彼女に「何故あなたはあなたの兄を殺した私のためにこのように親切にしてくれるのですか?」すると、彼女は答えました。「私は私の敵を赦すことのできるクリスチャンの信仰を持っているからです。」と。彼女は、愛と真心からの行為をもって、その敵である兵士に打ち勝ったのです。何と心打つ感動的な話でしょうか。憎しみや悪意に満ちた今の時代にあって、それらのものに代わって、赦しの心がこの社会に満たされたら、どんなにこの世の中が良くなることでしょうか。しかし、この人を赦す心は、自分だけの力や努力では決して真似のできないものであります。

 この「赦す」という心を神様に与えられるまでは、生まれながらの人間にとって、これほど、難しいことはないのです。イエス・キリストは「‥‥わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。 」(マタイの福音書5:)と弟子たち に教えられました。しかし、イエス・キリストはご自身でそのように教えられたばかりでなく、自らそれを実践され、模範を残されたのであります。これは、人知をはるかに超えたキリストの愛であります。

 キリストは、この地上で33年半を過ごされましたが、一人の人をも憎むことはありませんでした。どんな酷い扱いを受けても、決して人を呪ったりすることはありませんでした。キリストは最後まで、忍耐をし続けられたのです。人々の憎しみと反抗は、キリストを十字架にはりつけにすることにより頂点に達しました。しかし、その時キリストはどうされたでしょうか。 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」(ルカの福音書23:34)と、天に目を向け、父なる神に静かに執り成しの祈りをされたのです。キリストは、人間の側からはとうてい理解できないくらい、人間を最後まで愛し通されたお方なのです。

 キリストは、人間の心に持つ罪を憎んでもその人を憎むことはなさいませんでした。心から愛されたのです。ご自身を殺そうとしている人たちの為にすら祈り、そして命までも捧げげられたのです。この赦しの心こそ、今日の社会と私たち一人一人に一番必要なことであります。しかし、人を赦す前に、あなた自身の罪が、神様に赦される必要があります。なぜなら、すべての人は例外なく、聖よい神の前に罪を犯して永遠の滅び(地獄)に向かっているからです。もちろん、聖書でいう罪というのは、法律的な犯罪だけでなく、心の中の憎しみ、ねたみ、高ぶり、そしり、‥‥なども含んでいます。

 キリストを信じて、罪がすべて赦された者は、神の真の愛が分かって、人をも赦さなければならないことが分かります。そして、そのように、実践する力をも神様が与えてくださるのです。初代教会の最初の殉教者は、ステパノという人ですが、彼は、多くの群集に囲まれ、石打ちの刑に処せられました。そして、その時のことが聖書に記録されています。彼は、自分に石を投じる者のために、少しも憎しみを持たずに、彼らを愛し、「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と、祈ってから息を引き取ったのです。

●「‥‥人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。 そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。 こうして彼らがステパ ノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『主イエスよ。私の霊をお受けください。』 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼らに 負わせないでください。』こう言って、眠りについた。 」(使徒の働き7:57~60)。

●「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ人への手紙4:32)。


 この真の愛のお方イエス・キリストの十字架の赦しを経験した多くの人々は、キリストの愛後と赦しの心に触れて、キリストの福音を証しするために自らの命も惜しまずに従う人に変えられたのであります。憎しみは破壊をもたらします。しかし、真の愛と人を赦す心は、常に建設的です。あなたも、キリストのすばらしい愛を知りたいとは思われませんか?

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