靴のゴム底が無残にも剥がれ落ち、
家に帰りつくころには、
靴はぺったんこになった。
もう10年くらいはいている古靴。
よりによって東京まで出ていく日になぜはいていったのか?
そんなこともすっかり忘れさせてくれるくらい、
今日の美術史の講義は興味深いものでした。
ラファエロ2回目は、
ヴァチカン教皇庁の署名の間に描かれた4作についての講義でした。
特にあの有名な「アテナの学堂」の解説が、
美術史って最高に面白い!と思わせてくれる内容でした。
先生の話に私はすっかり魅了されてしまいました。
古代ギリシャの哲学者、科学者が一堂に会した様子が描かれている。
たとえば、
中央のこちらに向かって歩いてくる二人は、
左がプラトン、右がアリストテレス。
プラトンのモデルは、
ラファエロが敬愛してやまないレオナルド・ダ・ヴィンチであることは、
一目瞭然といっていい。
右のアリストテレスのモデルは諸説あるが、
ミケランジェロだという学者もいるらしい。
アリストテレスの足もとにだらしなく横たわっているディオゲネスの逸話など、
それだけでも一時間じゃ足りないよというくらい面白いし、
左側の下のほうに白い服を着てすくっと立っている女性のように見えるのは、
「アレキサンドリア」でレイチェル・ワイズが演じたヒュパティアで(?)
しかしそのモデルは、この絵を描かせたユリウス2世の甥っこで、
じゃあ男じゃないのってそのあたりも興味深い。
この絵が描かれて500年経った今では、
一体誰なのかわからない人も結構いて
(モデルが誰なのかということも含めて)、
研究者泣かせというか、研究者喜ばせというか。
そんな中でもはっきりわかるもう一人は、
右端でこちらを向いているラフアエロ自身。
古代ギリシャの有名な画家アペレスに自分をなぞらえている。
相変わらず自信満々だ。
さて、一番の謎は、
階段下に座り、頬づえをついている筋肉質な男、ヘラクレイトス。
モデルはどう見てもミケランジェロ。
このヘラクレイトス=ミケを描き足したのは一体誰か?という問いが
今日一番のミステリー。
え?ラファエロに決まってるでしょ?
そうかな?本当にそうかな?
これだから歴史は面白くてたまらない。
「アテネの学堂」にはラファエロの描いた下絵が残っている。
そこにはヘラクレイトスは描かれていない。
1510年にこの絵が完成したときは描かれていなかったヘラクレイトス。
さて1510年といえば、
同じヴァチカンはシスティーナ礼拝堂で、
独り黙々と天井画を描き続けている男がいた。
そう、ミケランジェロ。
しかしいまさらですが、すごい時代ですね!
(1510年といえば、ボッティチェリが亡くなった年でもあります。)
ある晩、ミケが家族に会いにフィレンツェに帰郷しているすきに、
建築家で大聖堂の設計もしていたブラマンクが
教皇すらなかなか入れてもらえない礼拝堂にラファエロを連れて行った。
ラファエロは天井を見上げて衝撃を受けた。打ちのめされた。
そこで彼は決めた。
今描いている「アテネの学堂」に天才ミケを描き入れよう!
ヘラクレイトスがいいだろう!
あのすばらしい天井画に描かれていた、
預言者エレミアのポーズをとらせるのはどうだ?
いやいやまてよ。
最近見たデューラーの「メランコリア」も素晴らしかった。
ただ考え込んでいるだけじゃなく、
ペンを持って何か書いているポーズがふさわしいんじゃないか?
と、先輩諸氏から学ぶことの大好きだったラファエロは考えた。
フィレンツェでの4年間、このローマにきてからも、
なにかとライバル視され続けてきたが、
偉大なる先輩に敬意をはらういい機会ではないか?
そうして加筆されたのが階段のヘラクレイトス=ミケ。
というのが、一般的な、誰もが納得できる解釈。
しかしいまから数十年前、それに異議を唱える学者が現れた。
プラトンが歩いてくるその前に邪魔するように位置する不自然さ。
着ているものも他の者たちと明らかに違う。
これは石工の服装だ。
なにより、その肉体表現。
腕とひざだけしか見えなくとも、
その肉体のたくましい表現は圧倒的。
などなど。
では、ラファエロが描いたのではないとしたら、
一体誰が描きたしたのか?
教皇のプライベイトな部屋に入れる画家はおのずと限られる。
え?ミケランジェロ本人?
しかし一体何のために?
どうですか、みなさんの想像力一気に広がっていきませんか?
ぼろぼろ剥がれ落ちる靴底のことも忘れて、
帰りの電車の中、今から500年前のローマに思いをはせる私でした。
ちゃんちゃん。
家に帰りつくころには、
靴はぺったんこになった。
もう10年くらいはいている古靴。
よりによって東京まで出ていく日になぜはいていったのか?
そんなこともすっかり忘れさせてくれるくらい、
今日の美術史の講義は興味深いものでした。
ラファエロ2回目は、
ヴァチカン教皇庁の署名の間に描かれた4作についての講義でした。
特にあの有名な「アテナの学堂」の解説が、
美術史って最高に面白い!と思わせてくれる内容でした。
先生の話に私はすっかり魅了されてしまいました。
古代ギリシャの哲学者、科学者が一堂に会した様子が描かれている。
たとえば、
中央のこちらに向かって歩いてくる二人は、
左がプラトン、右がアリストテレス。
プラトンのモデルは、
ラファエロが敬愛してやまないレオナルド・ダ・ヴィンチであることは、
一目瞭然といっていい。
右のアリストテレスのモデルは諸説あるが、
ミケランジェロだという学者もいるらしい。
アリストテレスの足もとにだらしなく横たわっているディオゲネスの逸話など、
それだけでも一時間じゃ足りないよというくらい面白いし、
左側の下のほうに白い服を着てすくっと立っている女性のように見えるのは、
「アレキサンドリア」でレイチェル・ワイズが演じたヒュパティアで(?)
しかしそのモデルは、この絵を描かせたユリウス2世の甥っこで、
じゃあ男じゃないのってそのあたりも興味深い。
この絵が描かれて500年経った今では、
一体誰なのかわからない人も結構いて
(モデルが誰なのかということも含めて)、
研究者泣かせというか、研究者喜ばせというか。
そんな中でもはっきりわかるもう一人は、
右端でこちらを向いているラフアエロ自身。
古代ギリシャの有名な画家アペレスに自分をなぞらえている。
相変わらず自信満々だ。
さて、一番の謎は、
階段下に座り、頬づえをついている筋肉質な男、ヘラクレイトス。
モデルはどう見てもミケランジェロ。
このヘラクレイトス=ミケを描き足したのは一体誰か?という問いが
今日一番のミステリー。
え?ラファエロに決まってるでしょ?
そうかな?本当にそうかな?
これだから歴史は面白くてたまらない。
「アテネの学堂」にはラファエロの描いた下絵が残っている。
そこにはヘラクレイトスは描かれていない。
1510年にこの絵が完成したときは描かれていなかったヘラクレイトス。
さて1510年といえば、
同じヴァチカンはシスティーナ礼拝堂で、
独り黙々と天井画を描き続けている男がいた。
そう、ミケランジェロ。
しかしいまさらですが、すごい時代ですね!
(1510年といえば、ボッティチェリが亡くなった年でもあります。)
ある晩、ミケが家族に会いにフィレンツェに帰郷しているすきに、
建築家で大聖堂の設計もしていたブラマンクが
教皇すらなかなか入れてもらえない礼拝堂にラファエロを連れて行った。
ラファエロは天井を見上げて衝撃を受けた。打ちのめされた。
そこで彼は決めた。
今描いている「アテネの学堂」に天才ミケを描き入れよう!
ヘラクレイトスがいいだろう!
あのすばらしい天井画に描かれていた、
預言者エレミアのポーズをとらせるのはどうだ?
いやいやまてよ。
最近見たデューラーの「メランコリア」も素晴らしかった。
ただ考え込んでいるだけじゃなく、
ペンを持って何か書いているポーズがふさわしいんじゃないか?
と、先輩諸氏から学ぶことの大好きだったラファエロは考えた。
フィレンツェでの4年間、このローマにきてからも、
なにかとライバル視され続けてきたが、
偉大なる先輩に敬意をはらういい機会ではないか?
そうして加筆されたのが階段のヘラクレイトス=ミケ。
というのが、一般的な、誰もが納得できる解釈。
しかしいまから数十年前、それに異議を唱える学者が現れた。
プラトンが歩いてくるその前に邪魔するように位置する不自然さ。
着ているものも他の者たちと明らかに違う。
これは石工の服装だ。
なにより、その肉体表現。
腕とひざだけしか見えなくとも、
その肉体のたくましい表現は圧倒的。
などなど。
では、ラファエロが描いたのではないとしたら、
一体誰が描きたしたのか?
教皇のプライベイトな部屋に入れる画家はおのずと限られる。
え?ミケランジェロ本人?
しかし一体何のために?
どうですか、みなさんの想像力一気に広がっていきませんか?
ぼろぼろ剥がれ落ちる靴底のことも忘れて、
帰りの電車の中、今から500年前のローマに思いをはせる私でした。
ちゃんちゃん。