ONE FINE DAY

「昨日のことは忘れてほしい」
「もう遅い。日記に書いた」

ドガに就て

2010-07-29 | 美術
図書館で「ドガに就て」という本を借りた。
ポール・ヴァレリィ著。吉田健一訳。
見るからに古そうな本。
昭和52年に出版された本だった。初版は昭和15年。

娘や息子にこのタイトル読めるかな?

「ドガについて」です。
いい年をした私ですら「あれこれなんて読むの?」と戸惑うことしばし。
でもなかなか興味深い本でした。
晩年のドガに実際にお会いになった方が書かれているのですから、
面白くないはずがない。
ドガの伝記、評伝というよりは、
画家について、絵画について、芸術についての短いエッセイ集。

その中に大変面白い一節があったので忘れないよう書き留めておきます。

「絵画史要略」

(前略)
変化のために変化させる悪魔は、(中略)
世紀から世紀へと、少なくとも百年に一度は、
彼の偉大な、自然への呼び掛けの歌を歌う。
自然への呼び掛けは必ず幾らかの効果をもたらす。
しかし悪魔は自分の廻りに少しばかり人が集まったと見ると早くも姿を消して、
今度は、集まった群衆の一人に姿を変えて、不平を言い始める。
彼は自然も一種の因襲にすぎないことを、
そこかしこと人の耳に囁いて廻る。
そして写実主義に対して印象主義を提唱し、
物体などというものは存在せず、
全ては網膜の作用として表現すべきだと言って歩く・・・・・。
そして絵画は光波のごとく震動し始める。

しかし、多大な努力の結果、
画家が光線の再現に成功するや否や、
悪魔は全てが光線によって征服されたことを嘆き、もはや、
画家の表現する色彩が半音階に並ぶ世界には、
幻影や、ちらちらする木の茂みや、きらめく水溜まりや、建物の影しかなく、
殊に、人間がほとんどいないのは惜しむべきだと言う。
そして、どこか非常に深く、あまり深いので、
そこにしまわれているものの中で最も古いものさえも、
斬新になって表現する場所から、
悪魔はと、円錐と、円擣と、それから、
最後までとっておいた立方体とを取り出す。
かれはそれらの立体、すなわち小児幾何学者らの玩具によって
全てが築けることを示す。
画家の世界は多面体や円体によって表現出来るものになり、
いかなる胸でも、腿でも、頬でも、馬でも、牝牛でも、
それらの岩乗な単位によって組み立てられないものは、ないようになる。
(後略)


*************

そうかぁ、絵画の歴史は悪魔が作ってたのかあ(笑)
キュビズム台頭の描写が真に迫っていて、
100年後ではこういう文章は書けないよなぁと、
妙に感心してしまった。

しかし、
時代は変わって、絵画の流行(傾向?主義?手法?)が変遷していっても、
本質的に素晴らしい作品はそんなものは飛び越えて決して消えることはない。
そこだけは人間を信じたい。

最近ベラスケスに興味津々です。
画集を図書館で借りてきました。
それで、
「本物のベラスケスの絵が見たいよぉ」と呟くたびに、
娘に言われるんですけどね、
「お母さん、見たから!ナショナルギャラリーに何点かあるから!」
「少なくともこれと、これは見てるはず!」





・・・いやぁ、そういわれれば微かに記憶はあるんですけどね、とほほ。
(絵画についてとやかく言う資格なし?)

あれ、ドガは?


図書館

2010-07-28 | 雑記


こんなに暑いのに「世界一のばら」まだ咲いています。
ほんとうにきれい。

今日は隣町の図書館に行きました。
沼のほとりにある図書館は明るくて涼しくて、
美術関連の本も充実していてお気に入りです。
開館は9時半だというのに、8時40分に着きました。
沼のほとりでなま暖かい風に吹かれながら本を読んで待ちました。
10分前に建物に入ると、入り口に20人くらい並んで待っていました。
図書館に並んで待つ?え~~~?
でも家にいるより涼しい図書館がいいとみんな思うんですよね。

この図書館にはちょっと調べ物が出来る机と椅子や、
座り心地のよいソファなどもあって、
そうか、並んでお気に入りの場所を確保するんだと合点。
私も並んで、中庭の見えるお気に入りの場所をとることが出来ました。

涼しい図書館は最高ですね。
西洋美術史の本を集中して読むことが出来ました。

話は変わりますが、
アンドラーシュ・シフの「スーパー・ピアノ・レッスン」という番組を
昨日から教育TVで連日放送しています。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲1~5までを5人の生徒に、
(といってもカーネギーホールでコンサートしているような若手プロ)
シフが指導するという内容で、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲は全曲大好きという私には、
嬉しくてたまらない番組です。
今日は「一番」でした。
番組を見たらグールドが弾いている「一番」を聴きたくなりました。
グールドの演奏を聴きながらふと窓を見たら、
西の空が夕焼けに染まっていました。
ベートーヴェンがよく似合う空でした。


Inception

2010-07-24 | 映画
わお!2ヶ月もブログほっぽらかしでした。
その間ツイッターで遊んでいたりはしたのですが、
今日相棒と「インセプション」を見て、
久しぶりにブログ書きたくなりました。

正しい解釈がどうかも定かでないネタバレありです。
未見の方はご注意ください。

「ダークナイト」のクリストファー・ノーラン監督作となれば、
いやでも期待は高まるというものです。
それで、正直な感想は、

まず人の夢の中に侵入するという行為が、
私には生理的に気持ち悪くて参りました。
最後のプライバシーというべき睡眠(夢)の世界に入って来られるなんて、
考えただけでぞっとします。
これはSF犯罪映画なので、
やぶれかぶれでなんでもやっちゃうよという設定なんでしょうが、
それにしてもライバル企業をつぶすために、
跡取り(キリアン・マーフィー!)の潜在意識の中に侵入して、
「父親の作った企業を守る事よりも自分の人生を貫く」という観念を、
インセプション=焼き付けるなんてまわりくどいことをするか?
というのが一番の疑問。
新興宗教の教祖様にでもなりすましたほうがてっとりばやいのでは?
しかも、跡取りの潜在意識に侵入というよりは、
夢の世界ビジュアルデザイナーだの、
睡眠剤のプロだの、
あとよくわからないそれぞれのプロがよってたかって考えた、
幾重にも重なった(なぜここまで複雑にしなきゃならないのかさっぱりわからない)
バーチャルな世界を作り上げて、そこに無理矢理跡取りを誘い込む荒技には、
正直、開いた口がふさがらなかったです。
たかがインセプション(?)にそこまで手をかけるか?
というか、ライバル企業をつぶしたいならもっとシンプルな方法が
いくらでもあるでしょうが、と思っちゃたらこの映画を見る資格なしですよね?

どんなにすごい映像を見せられても、
ストーリーについていけなかったらだめですよ。

とはいっても、映画の半分は居眠りしていた相棒と違って、
私がこの映画を最後まで鑑賞することができたのは、
この映画のもう一つのストーリー、
妻子トラウマを抱えた男の悲劇があったからです。

はい、レオ様といえばいやでも思い出さずにはいられない
強烈な映画がありますね。
「レボルーショナリー・ロード」と、
「シャッター・アイランド」です。
強烈キャラの妻に翻弄される男を演じさせたら、
レオ様の右に出る役者はおりません。
その男レオ様の悲劇三部作の最終章としてこの映画を見ると、
なかなか興味深いものがありました。
だってこの映画でやっとレオ様は、
妻の亡霊を自ら断ち切り解放されるのですから。
サム・メンデスとスコセッシとノーラン監督が連作したとはとうてい思えませんから、
たまたまこういうことになったのでしょうが、私は少しだけほっとしました。

とはいうものの、
見ている間中、あ~ぁ、これがクリスチャン・ベイル(レオ様の役)と、
ゲーリー・オールドマン(渡部謙の役)だったら良かったのにな~と、
(マイケル・ケインとキリアン・マーフィーだって出てるんだし・・)
ろくでもないことを考えていたのは誰でしょうね。

うちに帰って「ダークナイト」見ろよ!ですよね(笑)