ONE FINE DAY

「昨日のことは忘れてほしい」
「もう遅い。日記に書いた」

CONFETTI

2008-07-30 | 映画
WOWOWで放送された「コンフェッティ 仰天!結婚コンテスト」を見る。
なんでこんなタイトルになっちゃうの?(笑)
2006年イギリス映画。

久しぶりに気持ちよく大笑いの映画を見た。
イギリス映画にしてはめずらしく毒がない。
さっぱりした映画。
登場人物がみんな愛おしく、きっと何度も見たくなる。

ウエディング雑誌が企画した、
「変わった結婚式コンテスト」に集まった3組のカップル。
ミュージカル婚にテニス婚にヌーディスト婚。
彼らの望みを叶えるべく、
ゲイカップルの結婚式プロデューサーが絡んで、
コンテストへの闘いが始まる。
ドキュメンタリータッチで描かれる3組の結婚式絵巻。
結婚式をプロデュースするゲイのカップルが最高。
映画で初めて等身大のゲイカップルを描いたのではないかと
思うほど、二人が人間的魅力に溢れていて、だ~~い好きだ。
↓のおふたりさんです。


こんな作品に出会うと本当に嬉しくなる。
おすすめです。


The Happening

2008-07-30 | 映画
夏休み帰国中の娘と「ハプニング」を見る。
シャマラン監督の「サイン」に特別な思い入れがある母と娘。
楽しみにしておりました。

結論。どうってことのない映画でした。
明日になればすっかり忘れてしまいそうなので、
とりあえず書いておこうと。
でも何を書いたらいいかわからない(笑)

ある日突然人がばたばたと倒れていくと、
すぐに「テロ」を疑うところがいかにも9.11以降のアメリカ。
でも「テロ」ではなさそう。
じゃ、何が原因?
最後までそれがわかりませんでした。
こりゃ絶対宇宙人だな・・と思っていたらそうでもなかった。

恐怖と妙なユーモアが売りのシャマラン作品にしては、
どちらも中途半端な印象。
キャスティングはいいんですけどね。
マーク・ウォルバーグは今が旬の役者だし。
あのシラっとしたとこがシャマラン作品にぴったりと思ったのだけど。
もっと大真面目なメル・ギブソンとかブルース・ウィリスのほうが、
可笑しみは醸し出せるのかなぁ。

まあ、猛暑の中、少しだけヒヤっとさせてもらっただけ、
感謝、感謝。

邦題

2008-07-08 | 映画
初登場の最新しゅんちゃん

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息子と映画の邦題についてチャットでおしゃべり。
「なんかセンスの悪い邦題知らない?」ときかれる。
そんなこと急に云われてもねぇ・・・(笑)
センスのいいのだったらいくつか思い浮かぶけど。

「恋愛小説家」=As good as it gets
この原題を日本語におきかえるのはかなりむずかしいよね?
そのままずばりの日本語でしかも意味深でこれはうまい!

「旅立ちのとき」=Runnning on empty
シンプルでわかりやすい。
そういえば、この「~のとき」というのはけっこう使われるけど、
先日の「告発のとき」原題は「エラの谷にて」
映画そのものがアメリカという国を告発していると解釈すればわかるけど、
映画の中では誰もなにも告発はしていません。
核心にせまった邦題ということ?

「主人公は僕だった」=STRANGER THAN FICTION
え?どんな映画?と興味を引く、大変お上手なタイトル。
息子も同感。

「ニュースの天才」=SHATTERED GLASS
皮肉でインパクトがあって、これもうまい!

個人的にきらいなのは「善き人のためのソナタ」
ドイツ映画で原題は「あちら側の人々」
原題もわかりにくいけど、この邦題は先入観を与えすぎる。
タイトルをつけたひとの個人的見解を押しつけすぎ。

とまあ、書き始めたらやめられなくなるね。

でもテーマはセンスの悪い邦題だ。
そこでちょっとネット検索したら出てくる出てくる。
私が大笑いしたのは、

えびボクサー=crust
死霊の盆踊り=Orgy of the Dead
映像を想像するだけでも笑えるし、
いかにも趣味の悪い映画だって即わかるし、
しかしここまでいけば誰も文句はいえないだろうという開き直り方が好き(笑)

ばら再び

2008-07-08 | 雑記
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昨年キャサリン姉からプレゼントされたバラが
5月に4つも咲いて、やったー!と思っていたら↑

その後少し枝を整理しただけで、
みるみるうちに15個もつぼみをつけてくださって、
昨日からまた花が開き始めた。↓

おお!なんと可憐なこと!!


アップルミントもとっても元気。

IN THE VALLEY OF ELAH

2008-07-05 | 映画
う~、今日は暑かった!
来週帰国する娘の部屋の整理で汗だく。
シャワーを浴びて、
「じゃ、映画でも見にいくか!」ということで、
相棒と「告発のとき」見ました。

久しぶりに重い、重い映画でした。

原題になっている「エラの谷に」は旧約聖書に登場する、
巨人ゴリアテと少年ダビデが闘った谷のこと。
幼いダビデはサウル王のために巨人ゴリアテと闘うはめになる。
はじめから勝つ見込みなどない闘いに送り出される。
しかし負けると思われていたダビデは奇跡的にゴリアテを倒し、
無事帰還するという話。
(ダビデといえばミケランジェロのダビデ像を思い浮かべてしまいますね。
あの像はダビデが成長して青年になった姿なんですかね?)

湾岸戦争以降のアメリカの反戦映画を見ると、
どうも微妙な心境になる。
ヴェトナム戦争後にできた様々な反戦映画、
例えば「フルメタルジャケット」「プラトーン」「ディア・ハンター」「帰郷」
そして「地獄の黙示録」「天と地」・・・などを見たときに感じた、
戦争の地獄をかいまみたアメリカ兵の苦悩も相当なものだったろうと、
暗澹たる気持ちになるというのとは明らかに違う。
戦争そのものはよその国に勝手な正義を持ち込むという点では基本的に同じだと思うのだけど、
何が違うって、徴兵された兵士たちと、志願してゆく兵士たちという違い。
この違いは、単純な私にとっては大きい。
確かに様々なアメリカ社会の問題があるのだろう。
好きこのんで戦争に行く若者なんてそうはいないだろう。
学費のため、生活のためというのが大きな理由なんだろう。
しかし、イラクに行った若者たちは志願して行ったのだ。
どんなに貧しくともその選択はあり得ないと考える若者だっているのだ。
そういう気持ちがこの映画を見る大前提になっている。

トミー・リー・ジョーンズが演じる父親はヴェトナム戦争で闘った、
元軍人(軍警察の軍曹だった)。
二人の息子も尊敬する父親にならって軍人になる。
長男デイヴィッド(=ダビデ)は訓練中に事故で死亡。
次男マークはイラク戦争に志願した。
しかし戦場は狂気の支配する地獄だった。
彼は父親に「ここから抜け出させてくれ」と電話をする。
しかし父は「電話をかけているお前の周りに人はいないだろうな」と、
体裁を気にする返事、さらに絶望した息子は戦場で、
更なる狂気に蝕まれていく。

この話は休暇帰国中の息子が官舎から失踪したという知らせを受け、
父親が自分の息子に限って逃亡するなどあり得ないと、
自ら捜査に出向くところから始まる。
さらに、切り刻まれ焼かれた死体が発見されそれが息子だと断定される。
一体誰が何故そのようなことをしたのか?
地元警察のシャリーズ・セロンの助けを得て捜査していく。

この父親の苦しみはいかばかりか。
捜査の過程で更に明らかになっていく戦場の狂気と、
息子やその同僚の狂気。

捜査の途中、刑事(S・セロン)に夕飯に招かれる。
食事の後、彼女の息子を寝かせ付けるときに、
デイビッドという名のその子に「エラの谷」の話をする。
ダビデはとても小さいけれど恐怖に打ち勝って谷に降りていったのだよ。
恐怖を乗り越えて闘いを挑む大切さを諭す。
息子の捜査で絶望のどん底にいるときに。
きっと自分の息子たちにも語り聴かせたであろう話を。

母親(S・サランドン)の絶望と悲しみは深い。
ひと目息子に会いたいと訪ねてきた母親は、
たったひとり残った息子まで殺されてしまった、
なぜこんなことになってしまったのかと泣き崩れる。
父は「私が強制したのではない。あいつは自分で選択して行った」
その言葉が母親にどう届くのか?
この夫婦はこれからどうやって生きていくのか?

父親には少しずつ解ってくる。
息子が赴いた戦地は、正義などという言葉が通用しない世界であること。
その極限の世界で息子の精神が蝕まれていったこと。
助けを求めてきたのに、それを突き放してしまったこと。
・・・・自分が二人の息子を死なせてしまったこと。
ほとんど感情をみせず、黙々とやるべきことをやっていく。
この痛みはすさまじい。
(演じるトミー・リー・ジョーンズもすごい!)

刑事の小さな息子デイヴィッドが母親に問う。
「でも何故、王様はそんなに幼い少年がエラの谷に行くことを許したの?」
この問いに作者の想いが込められているのだろう。
エラの谷(戦場)で、巨人に勝ったダビデ少年の話は決して美談ではない。
エラの谷は自分の内なる戦場。
それに闘いを挑むのは自分でしかない。

絶望的な苦悩を自ら背負い込んだ男の物語。
確かに映画として見応えがありました。

アメリカはいつになったら気がつくのだろう?