ONE FINE DAY

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The Illusionist

2008-06-16 | 映画
姉夫婦がナイトショーで見たという「幻影師アイゼンハイム」見ました。

エドワード・ノートンが見たかったからまあいいんですけどね。
実はこの映画、予告編を見たときに結末が解ってしまいました。
手品師が主役で、映画全体がマジックのような仕掛けをもつ作品の、
アッと驚く結末が解っていたら、
ハッキリ言って映画なんて見なくていいんですよね。
でもまあ、姉が面白かったと云っていたし、
E・ノートン久しぶりだし、ポイントたまったし。
ノートンはアメリカのダニエル・デイ・ルイスみたいになってきて、
変な言い方だけど、芝居が重いっていうか重厚というか。
でもそう思ったのも最初だけでした。
ストーリーがどうしようもなくアメリカ映画で、
たとえ19世紀末のハプスブルグ王朝末期を描いているにしても、
それはどうしようもなくアメリカ映画で、
それが多くの人に受け入れやすい要素でもあるんでしょうが。

私がひねくれた性格なのはわかっています。
多くの人が感動したという映画もピンとこないことがままあるし、
自分でも素直じゃないなと思います。
しかしこの結末っていいんでしょうか?

ここからネタバレです。

皇太子の婚約者(ノートンの恋人)が殺されたようにみせかけておいて、
実はそれは幻影師(ノートン)が仕組んだトリックだったというのは、
見る前からわかってたからそれはいいんです。
この格差愛のカップルにしてみればそうするしか一緒になる方法はないのなら、
それはむしろ小気味良い結末でしょう。
しかしこの映画それでは終わらないんです。
そのうち幻影師も姿を消して、二人は人里離れた場所で、
幸せに暮らしましたとさ・・・で終われば、はははで終わったんです。

この幻影師は彼女が殺された(実は生きている)後も、
舞台に立ち、苦悩に満ちて舞台に彼女の幻影を呼び出し、
一体誰に殺されたのだ?と真相を語らせようとするのです。
実際は死んでいないのだから殺した犯人はいないのですよ。
それを、皇太子の犯行であると誰もが思うように画策するのです。
実際に皇太子は追いつめられて自殺します。
皇太子が人間的に問題だらけだとしても、
(映画で見る限りそれほどひどい人間には見えなかった)
これって赦されることなんでしょうか?

捜査していた警部(P・ジアマッティ)が最後に全てを看破して、
ほくそ笑むんですが、わたしとしては、笑ってる場合か?と問いたいですね。

単なる純愛映画と思ったら、
そこに逆説的な悪意があったという、
ある意味斬新な映画といえるのでしょうか?
E・ノートンだし。ただの純愛映画じゃ物足らないって?
だからこういう結末にしましたというのが、
いかにもアメリカ映画だと私は思うのです。
アメリカ映画の限界だと。