もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

軍政と軍令を考える

2021年01月18日 | 軍事

 産経新聞に伊藤俊幸元提督が「イージス(アショア)代替艦は護衛艦にあらず」と題して寄稿された。

 イージスアショア配備計画の白紙化と代替案が取り沙汰されている時に、本ブログにイージス艦は代替策として不適当であり、海上リグ形式が望ましいと書いた。
 伊藤提督の主張されているのも、自分の主張よりは遥かに巧緻であるが趣旨に於いては同じである。提督の指摘は、代替艦の平時における練度維持と戦時における運用を疑問とするもので、サッカーに例えれば海自艦艇は統幕議長指揮下のフィールドプレイヤーであるべきであるが、代替感は防衛省内局主導のゴールキーパーに過ぎないと比喩し、防衛出動の事態にあっては海自艦艇として運用できない可能性を危惧しておられる。
 本日は軍政と軍令についての考察である。
 本記事で述べる軍政とは内乱や占領地等で軍が行政を行うことではなく、行政の一環として行う軍備,国防政策,編制装備,予算,人事に関する業務を言い、軍令とは作戦の立案・実施に関する事項を指しているが、軍政と軍令を戦略と戦術と表現する人も多い。
 西側諸国における現在の趨勢では軍政と軍令は最高指揮権者が一元的に握ることが殆どであるが、各国では若干の違いがあるように思われる。明治憲法下にあっては、軍政と軍令(統帥権)共に天皇の大権として並立状態に置かれたため、例えば政府の支那・満州事変不拡大方針に対しても軍部は「軍の配備・使用は統帥権の範囲(統帥権干犯)」として軍を増強・戦闘を拡大したことが挙げられる。現在の自衛隊についてはシビリアンコントロールの理念から軍政・軍令の双方を内閣総理大臣が持ち防衛大臣が分掌する建前になっている。さらに防衛省についてもの軍政は内局が担当し軍令は統合幕僚監部が担任することになっているが、制服は国会に出席することすらできないということからも明らかなように圧倒的に軍政優位である。防衛省の組織図を一瞥して貰えれば分かるように、防衛省の組織図に自衛隊の存在は無く自衛隊の組織図は別出しされており、一見すれば内局と統幕に指揮関係は無いように見えるが、実情は討幕は内局に従属していると云っても過言では無い。

 伊藤提督は論を「安全保障の分野でも、行政の縦割り、既得権益、悪しき前例主義の打破を政権に求める」と結んでいるので、代替艦の整備に当たっても制服が考える運用の危惧(有事に機能発揮できない)などは一顧だにされなかったのであろうことは想像に難くない。若し、自衛隊に対する軍政と軍令が防衛省組織図にあるように防衛の両輪であるならば、おそらく代替艦の建造以外の選択肢が採用されたと思う。”餅は餅屋””生兵法は大けがの元”は至言であり、内局(軍政)が整備・実質指導したミサイル防衛網が北ミサイルの迎撃に失敗した際は、軍政(内局)の瑕疵ではなく迎撃部隊が責を一手に被ることになるのだろう。