もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

那覇市の孔子廟を学ぶ

2021年01月21日 | 中国

 沖縄県那覇市の孔子廟に対する上告審が結審したことを知った。

 そもそも孔子廟裁判を知らなかったので、孔子廟を含めて勉強した。裁判で争われているのは、市内の松山公園内の孔子廟の用地使用料を那覇市が免除していることが憲法に定める政教分離に反するか否かであり、1‣2審ともに市側が敗訴している。最大の争点は、孔子(儒教)が宗教であるか否かであると思うが、副次的には孔子廟が行っている行事が宗教的・政治的な意図を持っているか否かにも焦点があてられるものかと考える。
 孔子廟は那覇市の他にも東京の湯島聖堂を始めとして長崎市、栃木県足利市(足利学校)、岡山県備前市(閑谷学校))、佐賀県多久市(多久聖廟)等にあり、日本以外にも台湾、韓国、ベトナム、マレーシアにもあるとされていた。日本各地の孔子廟の由来を一瞥したところでは、朱子学教育のために日本人が設立したもの、日本人と在日華僑が協力して設立したもの、日・清両国政府の肝いりで設立されたものと多岐に亘っている。現在の維持・経営状態はどのようになっているかを観ると、公営、公益財団法人、一般社団法人とこれまた多彩であるが、公益財団法人「長崎孔子廟中国歴代博物館」の定款では、孔子廟の維持保管管理と中国歴代博物館の運営管理は長崎市が行うこととされているので、法人が運営している施設にも幾ばくかの公費が支出されているものと思われる。
 各孔子廟HPに記載されている主要イベントを眺めると、孔子の誕生祝いの孔子蔡を行っていることは共通しているが、中国語教室などを開催していることも多い。
那覇市以外の孔子廟が取り沙汰されない背景は、各孔子廟の歴史が古く、多くが朱子学修得のシンボルとして建設されたもので、中華思想の影が薄いことや中国共産党以前の設立ということが挙げられるのではないかと思う。
 一方、那覇市の孔子廟についてみると、もともと久米至聖廟として1676(延宝4)年に久米村(現在の那覇市の一部)に建てられたものであるが、戦災によって消失するとともに跡地が国道で分断されたために、昭和50年に別の場所に再建されたが、久米地区への移転要望が根強く残り、平成26年にようやく前述のような那覇市の協力で久米地区に帰ってきたとされている。那覇の孔子廟が宗教施設と疑われる背景には、孔子廟移転理由が沖縄に渡来したとされる「久米36姓の先祖供養」の意味合いが高いとされている点であるように思える。加えて廟全体の意匠が中国臣従の意を表していると近隣住民から反感を持たれているとも伝えられている。

 那覇孔子廟の宗教色については最高裁が判断することになるが、孔子学院が中国共産党のプロパガンダの先兵となっている現実、移転が平成26年に実現した事実等々を併せ考えると、中國が久米36姓の願望を最大限利用したことも可能性としては考えられる。かって毛沢東は文化大革命で「批林批孔」運動で林彪と儒教が共産主義思想普及の最大の敵とし、焚書・坑儒を礼賛する漢詩を作ったために紅衛兵は論語を始めとする儒教関連書籍を焼払ったことは良く知られている。時移り習共産党は「利用できるものは何でも」の精神で、孔子を最大限利用している。
 さて、最高裁の判断や如何に。