もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

世界のワクチン事情と日本社会

2021年01月16日 | コロナ

 イスラエルが驚異的な速さでコロナワクチンを接種していることが報じられた。

 イスラエルは英米に次いで12月19日以降米国ファイザー製ワクチンの接種を開始し、既に全人口923万人の25%に接種を終え3月末には50%を超えるとされている。
 イスラエルが早期にファイザー製ワクチンを接種している背景を推測すると、アメリカ国内のユダヤ人ネットワークを活用して早期に治験用ワクチンを入手してアメリカと並行・同時期に治験を行って承認する一方で、接種用のワクチンについても他国に先駆けて確保した結果では無いだろうかと推測している。
 現在、主要7カ国(G7)のなかで唯一コロナワクチンが承認すらされていない日本の状況は、既に英米で接種が開始された12月18日に厚労省がファイザー社からの承認申請を受け取り、治験を簡略化するとはいえ承認は早くても2月になるとされている。イギリスがファイザー社の治験中からデータ提供を受けて11月下旬にファイザーが申請するやいなや拙速という批判はあったものの1週間後の12月2日には承認したことを思えば、日本政府は従来通りに製薬会社からの申請を待っていたのであろうか。
 この差はどこから来るのであろうか。ワクチンは体内に異物・弱毒病原体を入れて抗体を作るものであるために副作用のリスクと切り離せないが、欧米諸国はワクチン接種によって救われる命と副作用で損なわれる命を冷徹に分析して、メリットの方が大きいと判断して迅速な承認を行ったものであろうと思う。厚労省の薬事・食品衛生審議会が担う承認作業の主眼は【他国製ワクチンが日本人に適合するか否か】であるとの報道があるが、生理・生物学的に日本人(縄文・弥生起源人)と欧米人は決定的に異なるものは無いので、有体に言えば、「1名の副作用死も許されない」という日本独自の基準で審査するというもので、ある程度の副作用(重大な場合には死亡)は容認しても、多数の命を救うべきという欧米思想(世界基準)とは根本的に異なる姿勢に起因するように思う。

 アメリカでワクチン接種が開始された後の報道でも、接種の進捗状況と副作用の有無が同程度に取り上げられていたように、日本社会は往々にして主目的を見失って副次的・付随的な一面にのみ拘る特性を持っているように感じられる。石油ルート確保のためのタンカーとタンカー乗組員の安全確保を主目的とする自衛艦の中東海域派遣に際しても、立憲民主党が大きく取り上げたのは「乗組員を含むタンカーの安全」という主目的ではなく、「自衛官が死傷する危険性が有る」という副次的な点であった。今回のワクチン承認審査の薬事審議会の委員諸氏にあっても、徒に平時の日本基準を踏襲することなく冷徹な国際基準、戦時判断を採って欲しいと願うところであり、我々も接種開始の暁には従容として接種を受け容れることが必要と思う(副作用で死んでもそれだけの事)。