もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

コロナと寛政の改革

2021年01月14日 | コロナ

 1月12日に「不要不急行動をする理由として、先ずは(緊急事態)宣言が無いことを挙げ、宣言後にあっては、「マスクをしている」「大人数ではない」「安全な店を選んでいる」・・・等の限りない理由(言い訳)を見つけることだろう。」と書いたが、現実に起こっているらしい。

 西村大臣が「20時以降の外出はもとより、昼間の外出も控えて欲しい」と談話したところ、「エッ昼間もですか」「昼間もなんて聞いてない」の声が方々で上がっているらしい。コロナ禍が始まって1年余が経過したにもかかわらず「究極の感染防止は他人と接触しないこと」であるという中学生レベルの知識・経験則が未だに共有されていないかのようであるが、実際は”知ってはいるが、御上の揚げ足取りで取り繕う”という言い訳に過ぎないのであろう。閑話休題。
 中国コロナのパンデミックが一段落した後の世界はどうように変化しているるのだろうか。
 一応の封じ込めに成功したとする中国でも小規模の都市封鎖を行っていることを考えれば、今後ワクチンが潤沢に出回ったとしても、各所に生き延びたウィルスによるパンデミックに怯える日々になるのではないだろうか。将に“1病(コロナ)息災”の気持ちで送らざるを得ない日々を考えれば、多くの企業が努力したテレワークは残り続けるだろうし、対面形式の営業や販売は敬遠されることから商談はリモートで、商売についても中小小売業者でさえもが販売方法を変えざるを得ないように思える。
 14世紀に中国起源とされるペストの世界的流行(当時の世界人口4億5000万人の22%にあたる1億人が死亡したと推計)ではヨーロッパ社会が激変したとされているように、コロナ禍以後の日本でも働き方や社会生活が大きく変化するのではないだろうか。
 となると、自分のような高齢のIT難民はこれまでの経験が全く役に立たない世界に変わるかも知れず【前門の虎(コロナ)、後門の狼(新社会)】と戦々恐々の有様に置かれることも覚悟しておかなければならないと悲観するところである。

 松平定信の寛政の改革を庶民は「白河の 清きに魚のすみかねて もとのにごりの 田沼恋しき」と皮肉ったが、「ITの 速さに老人追いつけず、コロナ以前の アナログ恋しき」とならぬように備えておこうと、思う。・・・多分、思うだけで努力しないと思うが。天の声は「不精に亘る勿かりしか」と叱っている。