また今年も、極東国際軍事裁判(東京裁判)とニュルンベルク国際軍事裁判の意義を考える季節となった。
両裁判での訴追要因は、「平和に対する罪(侵略戦争)」と「人道に対する罪」であったが、戦勝国が法の不遡及との原則を無視して「法廷で法の創造」をして裁いたものと理解している。両概念は成立と適用の妥当性はともかく、人類と国際平和には必要なものであると考えるので、それらが戦後どのように定着したのかを勉強した。「平和に対する罪(侵略戦争)」については国連憲章に集団的自衛権と規定されて国際基準となっているが、そもそも戦争とは宣戦布告が絶対要件であると考えられているために、第二次世界大戦以降に起きた数々の侵略行為も宣戦布告がなされていないことから侵略戦争とされず、sの概念は一度も適用されていない。「人道に対する罪」については、1993年に国連安保理事会が設置した旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷や1994年のルワンダ国際戦犯法廷で「国際又は非国際武力紛争において犯された人道に対する罪」として「一般住民に対して行われた、殺人、殲滅、奴隷化、強制移送、拷問、強姦、政治的・宗教的理由による迫害」が人道に対する罪として裁かれた。この認識は1998年の国連決議に基づいて2002年オランダのハーグに設置された国際刑事裁判所(国連からも独立した機関)に引き継がれることになった。なお、侵略戦争についても国際刑事裁判所が審理することも模索されている。その後、国際刑事裁判所は拉致を含む強制失踪、アパルトヘイト、性的奴隷、強制妊娠、強制断種も人道に対する罪に追加している。こう書けば「人道に対する罪」は既に国際法理として機能しているように感じられるが、アメリカは当初は反対、クリントン政権が2000年に署名したが批准しないと公言、ブッシュ政権が2002年に署名を撤回。中国はウイグル族や少数民族に対する抑圧が訴追される可能性が有るためか署名拒否。ロシア・イスラエルは署名したが批准せず、アラブ諸国22国のうち批准国は3国にとどまり、インド、スーダン、ジンバブエは反対表明を続けているとされている。このような状態であることから、国連が人道に対する罪と指摘・決議した事項についても現在に至るまで裁判は開かれていないようである。日本は2007年に締約国となったが、国際刑事裁判所の審理する犯罪は同所設立以降の犯罪としているために、北朝鮮の拉致事件や慰安問題解決には寄与できないものである。
日本人のアイデンティティ喪失、とりわけ自虐史観の出発点となった極東国際軍事法廷(東京裁判)。戦勝国が訴追のために急遽構築したされる2つの法概念は70年経った今も世界のコンセンサスを得られていない状態であるが、世界中でただ1国、日本のみが2つの概念を至高の理念としている。尖閣諸島に対する中国の侵略や香港に対する迫害等の明確な犯罪が公然と進行している今も、国連が認める集団的自衛権はおろか自衛のための軍備すら放棄すべきという意見が少なくない。東京裁判が日本人の本質まで変えた背景には、ニュルンベルクではドイツ国民でなくナチ党員が裁かれたが、東京裁判では軍人はもとより政治家・思想家を含む日本人そのものが裁かれたことも大きいとされており、白人種の黄禍思想の典型と見る向きもある。東京裁判の是非に併せて、平和の象徴視されるマハトマ・ガンジーも非暴力は唱えるものの非戦は唱えていないことを考える夏であって欲しいと願っている。