もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

上野樹里・東出昌大

2020年08月02日 | 芸能

 コロナ報道に飽きてネットニュースを眺めていたら、上野樹里さんの近況が報じられていた。

 記事の大要は『以前は、どちらかといえば“気難しい女優”というイメージだったが、結婚後は周囲に気を配るようになり、特に夫に持たせた愛妻弁当は夫や周囲から好評を博している。』という他愛もない内容である。TVドラマは全く見ないものの気弱?な夫を見守るCMは記憶していたが、彼女が34歳で料理研究家の平野レミ氏の長男でロックバンドのボーカル&ギターを務める和田唱氏と結婚していることは知らなかった。同じ日の芸能ニュースのトップは東出昌大氏と杏さんの離婚劇であるが、両者を見比べて男女間・夫婦間の難しさを改めて考えさせられた。平易に考えれば、結婚を機に良い方に変わった上野さんと変わらなかった東出氏という構図であるが、”雀百まで踊り忘れず”を真理と考える自分としては、上野さんは本来持っていた優しい一面を周囲が見落としていたに過ぎないように思う。世の中には、穏やかで周囲に心配りできる殺人者がいる一方で、見るからに一癖も二癖も窺える人が電車で席を譲ったりすることも珍しくない。人は社会の荒波を泳ぐために何枚もの猫の皮で本性を見え難くする術を心得ているが、何かの拍子でその皮が破れた時に極悪非道な行為に奔ったりするのではないだろうか。原因となる”何かの拍子”となりやすいのが金銭トラブルと男女間の軋轢・相克で、犯罪の陰に女ありと云われ、犯罪で最も利益を得る人間を見つけるのが捜査の鉄則とされる所以であると思う。また、究極の衝突までには至らないものの、男女それぞれの本性が衝突するのは、社会生活で被っていた幾重かの猫の皮の一部を脱ぎ捨てることができる家庭の場であるとも実感している。推測であるが、世の多くの男は社会で生きていくための猫の皮に加えて、安寧(安全)な家庭生活に必要な猫の皮を一枚余分に被って、女房の攻撃・痛罵に備えているのが現実であるように思う。昨日のブログで、陸(オカ)の軛から解放された艦船勤務の解放感に触れたが、そのような状態に置かれることを夢想する既婚者も少なくないと考えるのは果たして・・・。

 東出氏は、浮気性という本性を隠し切れなかったもののようであるが、中国コロナ禍にあっても新作映画が公開されたことを考えれば、本性を隠さずに生きていける場を得ているようで、それはそれで結構なことである。ともあれ、上野樹里さんの益々の活躍と幸せな結婚生活の永続を願って、日曜版ブログを終演。