もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

青森の帰省者誹謗に思う

2020年08月11日 | コロナ

 墓参のために青森県に帰省した人が、地域住民から抗議文を貼られたことが報じられた。

 報道では、概ね地域住民の心無い所業とされているようであるが、本質は都市生活者と地方生活者の生活スタイルと生き方の根本的な違いが中国コロナ蔓延という背景から表面化した出来事ではと推測する。都市生活者(地方出身者を含む)は、所属する組織(会社やマンション等)の成文化された内部規律(内規)さえ守っていれば隣家に対しても行きずりの会釈程度で模範的な住民でいられる。一方、地域社会には成文化された内規が無いためにルールは無限に存在し、そこから外れた場合の社会的制裁は都市生活者の想像を超えるものになるようで、静かな余生をと地方に「Iターン」「Uターン」したが「原因不明の白眼視・村八分」という理由でうまくいかない事例の多くがこのことに起因しているように思える。更には、国の大号令にも拘らず地方創生が捗々しく進展しないのは、計画策定者の大半が大都市の出身若しくは大都市で学生生活を送ったために地方の「目に見えぬ実情」に暗いことが原因ともされている。冒頭の里狩りに話を戻すと、帰省者は事前に2度のPCR検査を受けて陰性と判定されたために大丈夫と考えて帰省したものであり、大都市で生活する場合は極めて模範的と評価されるであろうが、地方生活者にとってはPCR検査陰性という明確・定性的な事実よりも、危険な大都市から静穏な田舎に移動する心情・行為そのものが個人攻撃に値するものであろうと感じる。東京で学ぶ学生が地方に住む両親から「夏休みには帰って来るな」と云われたという場面も多く放映されるが、長年地方に住む両親が簿外のルールに従った所為であろう。中国コロナの撲滅・駆逐は略不可能で、身近に潜在する脅威としつつ生活しなければならないであろう「新しい生活様式」が模索されている今、大都市労働者を対象としたテレワーク・在宅勤務が話題を集めているが、それ以上に都市生活者と地方生活者の価値観の平滑化・同質化・融合を目指すことが必要ではないだろうか。なぜなら、地方に生活拠点を移してテレワークで糧を得るためには、地方生活者に隣人として受け入れて貰えることが絶対条件であるからである。1956(昭和31)に”もはや戦後ではない”と経済白書が謳って半世紀、安倍総理も”戦後レジームからの脱却”を提唱するが、その何れも大都市生活者の経済的・文化的側面を念頭に置いたもので、都市と地方が連携して共生するという精神的な土壌育成は等閑視されていたように思える。

 自分も、都会で職を得て生まれ在所は”遠きにありて想う”生き方をしてきたので、本当の地方生活は知らないと云うのが現状である。釈月性(文化14年~安政3年、周防の僧)の「将に東遊せんとして壁に題す」が青年の心意気と思って生きてきたが、日本が真の日本人の国であるためには、都市・地方が共に繁栄する必要があったのではないだろうか。そうすれば農林漁業が衰退することもなく、過疎化も抑制された日本が残ったのかも知れない。蛇足であるが釈月性の七言絶句を転載して、俄か都市生活者に堕した自分の戒めにしたいと思うところである。

 男児立志出郷関(男児志を立てて郷関を出ず)
 學若無成死不還(学もし成らずんば死すとも還らず)
 埋骨豈惟墳墓地(豈に骨を埋むるは惟だ墳墓の地のみ)
 人閒到處有靑山(人間いたる処に青山あり)