政府に尖閣諸島の実効支配強化を働き掛けるとして、自民党の稲田朋美幹事長を中心に議員62名が参加した「尖閣諸島の調査・開発を進める会」が設立された。
多くの人には自明のことと思うが、論理的思考音痴の自省を込めて、改めて尖閣諸島の帰属を整理してみた。
1885(明治18)年~ 政府が現地調査して尖閣諸島が無人島であり、清国を含むいずれの国にも属していない土地であることを確認
1895(明治28)年 閣議決定で日本の領土として沖縄県に編入(先占の法理:どこの国にも属していない場所を先に実効支配した国がその領土を主張できるという、国際法で認められる領有権取得の方法)
1896(明治29)年 実業家の古賀辰四郎氏に、大正島を除く魚釣島、久場島、北小島、南小島を30年間無償で貸与(鰹節工場等で入植:有人島に)
1932(昭和 7)年 子供の古賀善次氏に有償で払い下げられ私有地に
1940(昭和15)年 古賀善次氏が尖閣諸島での事業を撤退し再び無人島に
1945(昭和20)年 敗戦で米軍の直接管理下に(以後も漁師小屋等で断続的に使用)
1951(昭和26)年 サンフランシスコ平和条約締結(1952年に締結された「日華平和条約」)で台湾及び澎湖島は放棄したが、尖閣諸島は米軍施政下の日本領土と解釈される。
1969(昭和44)年 国連アジア極東経済委員会による海洋調査で、大量の石油埋蔵量の可能性が報告
1972(昭和47)年 沖縄施政権返還(協定調印は前年6月17日であり、協定調印後から中国・台湾が領有権を主張)、大正島を除く尖閣4島の所有権を古賀善次氏が売却(埼玉県在住?)
日中国交正常化(周恩来首相は尖閣問題棚上げを示唆)
1978(昭和53)年 鄧小平副主席来日(尖閣諸島問題の一時棚上げを表明)、日本青年社が魚釣島に灯台を建設
1996(平成 8)年 日本青年社が、北小島に第二灯台を建設し、日本政府に海図への記載を求める。
2005(平成17)年 前2灯台が海上保安庁に譲渡され、国有財産魚釣島灯台として海図に記載
2012(平成24)年 魚釣島、北小島、南小島の3島を地権者から20億5千万円で購入日本国への所有権移転登記を完了
以上、簡単に年譜的に列記したが、この他にも石原都知事の取得計画、中台漁船の無法行動・台湾及び香港人の無断上陸など年譜に記すべきことは多いが、歴史的に見て日本の先占と実効支配は揺るがないように思う。海底資源発見以後の台湾・中国の主張と行動は理不尽かつ無法なものであるが、日本の実効支配についても灯台が民間の手に依るものであったり、一時架設したヘリポートも撤去、島への上陸禁止・・・等々、極めて及び腰であったように思う。更に近年では、中国にとって台湾牽制と米空母の制約のために尖閣諸島の地勢的価値が益々高まっており、暴漢に一歩の地歩を許すことが百歩の後退に繋がる典型的な事例と思う。中国に地歩を譲った政治家や外務官僚は、今の事態をどのような目で見ているのだろうか。