もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

馬毛島と自衛隊馬毛島基地を学ぶ

2020年08月08日 | 自衛隊

 鹿児島県西之表市馬毛島の自衛隊基地建設構想が具現化しそうな情勢となった。

 馬毛島基地構想は、当初は厚木・岩国基地から硫黄島に追われた米空母艦載機の離発着艦訓練(FCLP)地としての整備であったが、近年では東シナ海における中国の伸長と島嶼防衛のためという意味合いが強くなったと考えている。馬毛島について良く知らなかったので調べてみた。馬毛島は、種子島の西方12kmにあり面積は8.20㎢、周囲16.5km、最高地点は71.7mの平たい島で河川がなく地質は農業に適さないとされていた。歴史的には、10世紀には島内に生息しているマゲシカを狩猟した記録が残っており、鎌倉時代から種子島氏の領地となっていたが漁師が年に1~2カ月漁業基地として使用するだけで定住者がいない無人島であったとされている。明治以降は入植者が牧場として利用(有人島)していたが、大東亜戦争末期の1944(昭和19)年海軍の防空監視所が設置されて再び無人島となった。戦後、1951(昭和26)年からは農業開拓団が入植し、ピーク時の1959(昭和34)年には113世帯528人がサトウキビ栽培や酪農を営んでいたが、利水・地質が農業に適さない土地であることに加え、害虫や鹿による農作物被害が増加し生活が困窮したために島民は徐々に島を離れて1980(昭和55年)に島は三度無人島となった。1975(昭和50)年に平和相互銀行(馬毛島開発株式会社)が島ごと買収したが開発計画が頓挫して島は放置された。1995(平成7)年に立石建設が馬毛島開発を買収して子会社(後タストン・エアポート株式会社)化して西之表市の公有地である市道と旧学校地を除く大半を所有地としたが開発は進まず、わずかに採石事業などで2005(平成17)年の国勢調査で同社の従業員15人が住民として登録されていたため離島振興法が適用される有人島と認定された。2007(平成19)年に硫黄島のFCLP代替基地、2009(平成21)年には普天間飛行場の移設候補地として国による買収が計画され、2019(平成31)年12月3日に河野太郎防衛相が記者会見で約160億円の売買契約で大筋合意したと発表している。現在判明している基地の概要は、島全域を「自衛隊馬毛島基地(所管不明)」として、2450mの主滑走路と1830mの横風滑走路をV字に整備、航空管制施設と武器・弾薬庫は整備するものの居住設備は持たずに150~200人の管理要員は種子島の官舎から通勤するとしている。基地の使用は、年間を通じ様々な自衛隊の訓練が考慮されており、空自戦闘機や陸自オスプレイの飛行訓練、空自の地上配備型迎撃ミサイル「PAC3」の訓練、空母に改装される護衛艦「いずも」の艦載機(空自機F35B)」のFCLPも視野に入れているとされる。米空母艦載機のFCLPは年に1~2回、それぞれ10日間ほどと見積もられている。

 防衛省は、今後4年間で基地を整備したいとして7日には鹿児島県知事に計画の概要を説明したが、西之表市議会には自衛隊基地受け入れに反対する空気が強いために更なる紆余曲折も予想される。更には今秋以降に予定されている環境影響評価(環境アセスメント)では、騒音に加えて島内に生息するマゲシカの保護(タストン・エアポート社の乱開発により既に個体数は半減?)等もあり、民間業者の開発には口を噤んでいた「自称自然保護活動家」が手ぐすね引いている姿も想像される。八重山基地の整備では軍事施設に不可欠である弾薬庫整備を忘れる、イージスアショアでは射界制限を誤るという平和ボケを露呈した防衛省、馬毛島基地の整備には褌を引き締めて取り組んで欲しいものである。