ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

Little Birds -イラク 戦火の家族たち-

2008年07月27日 | 映画レビュー
 イラク戦争を取材したカメラマン綿井健陽が回した120時間のフィルムから数家族に焦点を当てて編集したドキュメンタリー。

 確かに臨場感はあるけれど、取材カメラそのままの荒削りな感じがこの映画では良い方に作用していない。いままさに息を引き取ろうとする血まみれ幼女の苦しげな様子が写り、手足をもぎ取られた子どもの姿が延々映し出されるというのに、涙も出ないし、それどころかだんだん退屈してくる。子どもたちが死んでいくドキュメンタリーを見ていて「飽きてくる」というのはいったいどういうことだろう? こんなに悲惨な映像なのになぜか胸に迫るものがない。感情に訴える場面がたくさん描かれ、次々と子どもを亡くした親たちの悲嘆にくれる姿が登場するというのに、涙の一滴も出てこない。これはドキュメンタリーとしては失敗作と言わざるをえないのか、それともわたしの感性が麻痺してしまったのか、どちらだろう。

 思うに、取材のカメラは、いかに戦争を憎みアメリカを批判する姿勢を持っていても、それをあからさまに出してはいけないのだ。あまりにも明確な意図をもって撮影編集され、しかもそれがほとんど工夫もなく差し出されると、見ているほうには逆に監督の主張が響いてこない。

 このドキュメントフィルムに映し出されるイラクの人々は、アメリカだけではなくカメラマンたる日本人に対しても辛辣な批判の言葉を浴びせる。その言葉はそのままこの映画を見ている日本人に伝えられる。わたしたちはアメリカに追随する日本外交への批判にさらされる。日本が行う政治のすべてを一人一人の日本人が責任をとることはできない。それでもなお、「日本人がなぜアメリカの味方をするのか。イラクを解放すると言って、なぜ子どもたちを殺すのか」と問い詰められればその言葉を受け止めざるをえない。その苦しい思いに居心地の悪さを感じるのは、サダム・フセインの兵士だった彼らもまた、無辜の民を殺したのではないのか、という疑問がぬぐえないからだ。殺戮は殺戮を呼ぶ。まさに最悪の循環がここ、イラクで今なお続く。


 死んでいった3歳の女の子の姿がいつまでも目に焼き付いている。それはもう、「涙を流す」とか「悲惨」といった言葉を超えているのだ。だからこそ、わたしはこの場面を凍り付いたように見つめ続けるしかなかった。

 自衛隊員の姿も映っていたが、彼らの笑顔を見ても、「いったい何のために派遣されたのか」というわたしの疑問をぬぐい去ることはできない。(レンタルDVD)

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Little Birds リトル バーズ -イラク 戦火の家族たち-
日本、2005年、上映時間 102分
監督・撮影: 綿井健陽、製作・編集: 安岡卓治

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